38話 混乱のなかで
雲と大地の間を優雅に飛ぶ風の民。
初めて空を飛ぶ生き物に騎乗したライカは、遥か下に広がる大地とどこまでも続く空を、食い入るように見つめた。
地上から見る景色とはなんと違うのだろう。全てが小さく作り物のようで、それでいて不思議と輝いて見える。
ふとライカは、ローディスの城の庭園で第二騎士団団長のイシュヴェンが、いい場所を見つけたと言っていたことを思い出した。
(ローディスの上空を飛べるのなら、誘いを受けてもいいかもしれません。……まあ、イシュヴェン様も冗談で仰ったのでしょうが)
「おかしいわ、風の民が飛んでない。空から監視するよう指示を出したのに」
ツェルエの声でライカは浮かんでいた考えを消し、前方に見えてきた緑あふれる町に眼を向けた。
町の中心には湖が広がり、その中央には王宮と思しき一際大きな建物が建っている。
「『嘆きの四翼』が攻めてきたのだろう。ツェルエ殿、私たちは途中で降りる。貴殿は女王陛下の許へ急がれよ」
「……恩に着ます」
『朱の霞』の隊長は振り返って頭を下げると、前を向いて風の民に高度を下げるよう言った。
一度大きく翼を動かした風の民は、滑るように王都に近づいていく。
緑と水の都トゥオネは、悲鳴と怒号が飛び交い、鮮血が舞い、剣がぶつかり合う音が響く戦場へと様変わりしていた。
兵士が碌に剣を交えることも出来ずに次々と倒されていく。剣を握ったことなど一度もなさそうな人間が、兵士の首を片手で掴んで持ちあげ、民家の壁や地面に叩きつける様は異様としか言いようがなく、悪い夢でも見ているようだ。
通りにはすでに多くの民や兵士が倒れており、そこかしこに血飛沫の跡や血溜まりがある。なかには水路に倒れている者もおり、透き通った水には血が混じっていた。
「な、なんなのこれは……」
起き上がろうとする兵士に飛びかかって馬乗りになり、落ちていた剣を拾って躊躇なく胸に突き立てる男を見たツェルエの口から悲鳴にも似た呟きが零れる。
顔に服に返り血がかかっても、男はなんら動揺するような素振りは見せず、次の兵士に向かっていく。戦意を失っているのか、男を囲んでいる兵士のほとんどは構えすらまともに出来ていない。
男の剣が兵士の一人を貫こうとする。だがその寸前に、朱色の外套を纏った『朱の霞』が現れ、男に体当たりをして剣先を逸らした。
よろめく男。『朱の霞』は間髪をいれずに剣を振りかざす。しかし、男はそれを片手で握った剣で易々と受け止め、『朱の霞』ごと振り払った。
「人間の動きとは思えん」
低い声でダレスが呟いた。
「ダレス様、王宮へ続く橋の手前にヴォード様がいらっしゃいます」
湖の中央にある王宮と城下を結ぶ唯一の橋。その城下側で剣を振るっているヴォードの姿が見えた。深緑色の兵服のリムストリア兵の中で、黒色の生地に赤で紋章が描かれたローディスの騎士服はよく目立つ。――騎士服に加えて彼の燃えるような赤髪もよく目立っていた。
「よし、降りるぞ。ツェルエ殿、くれぐれも用心なされよ」
「え、ええ、ダレス殿とお連れの方もどうかお気を付けて」
ぎこちなく頷いたツェルエは、民家の屋根とぶつからないぎりぎりの高さまで高度を下げるよう風の民に指示を出した。
ライカとダレスが飛び降りると、風の民はまたすぐに高度を上げ王宮へと飛んでいった。
着地した二人は混乱状態の通りを駆け抜け、橋へと向かう。
「ヴォード!」
「よお、遅いご到着だな。先に始めさせてもらってるぜ。元気だったか、ライル?」
「はい。ご無事で何よりです、ヴォード様」
第一騎士団団長は、二振りの剣を見事に操りながら橋を渡ろうとする侵入者を防いでいた。
顔と腕に一筋ずつできている傷が、相手がいかに強敵であるかを物語っている。軽口をたたく余裕はあっても眼は真剣そのものだ。
彼の後ろでは何十人もの兵士が盾を持って橋の入り口を塞いでいる。
「状況は?」
「良くはないね。動きは速いわ力は強いわで、流石の俺様もここを護るので手一杯。ケイフォンたちを散らばらせたけど、あいつらも苦戦してるだろうぜ。一体何なんだこいつらは?」
「『嘆きの四翼』だ」
「いや、そうじゃなくて……まあいい、とっとと全員倒すぞ」
「ああ」
ダレスはヴォードに斬りかかろうとしていた女の脇腹を斬りつけ、少し離れたところでリムストリア兵に剣を突き立てていた男に向かって大剣を投げつける。それと同時に駆け出し、民家の屋根から飛び降りてきた少年を蹴り飛ばすと、男の胴体を貫いた大剣を引き抜き、壁を蹴って跳びかかってきた少年に斬りかかった。
絶対に避けれない攻撃。しかし、ダレスの大剣は宙を斬った。
少年は人間ではあり得ない跳躍をしてダレスを飛び越え、違う敵を相手していたライカに真上から短剣を振り下ろす。
「ライカ!」
上に気配を感じたライカは、剣を交えていた男の胸ぐらを掴んで引き寄せ、己の身体と入れ替える。
次の瞬間、男の背中に少年の短剣が突き刺さった。
ぐぅ、と呻き声を上げて倒れる男。
しかし、仲間を刺した少年は、全く動じることなく短剣を引き抜いて、再びライカに飛びかかった。そのあまりの速さに一瞬対応が遅れ、剣が弾き飛ばされる。
「くっ」
剣を拾う余裕はないと判断したライカは、振り下ろされてきた少年の腕を掴み、後ろに捻り上げて、肩甲骨にひじ打ちを入れた。
ばき、と鈍い音がして少年の骨が折れる。
だが、それでも少年の動きは止まらなかった。短剣を左手に持ち替え、なおも攻撃を繰り出そうとする。
ライカは懐から暗器を取り出し、抱きとめるようにして彼の腹に突き刺した。
ずるずると崩れ落ちていく少年。
「何故……何故このようなことを」
動かなくなったまだあどけなさの残る亡骸を見下ろし、ライカは大声で叫びたい衝動に駆られた。




