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緋の扉2 ~いつかの断片~  作者: 緋龍
想いの果て
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35話 バガル訓練所

「姫鳥は戻ってきましたか?」


 東の空から昇ってくる太陽の光を眩しく感じながら、ライカは北の空をじっと見続けているダレスに声をかけた。

 ナヨークト峡谷の北にある、リムストリア兵の駐屯地の一つ、バガル訓練所。

 満身創痍のキールを崖の割れ目に連れ帰り、彼に最低限の手当てを施し、ヴォード宛に姫鳥を飛ばすと、ライカたちはすぐに峡谷を発ちここに向かった。手持ちの薬だけでは足りなかったということも大きな理由の一つだが、何より、目指すべき場所であるリムストリアの王都トゥオネが、訓練所のさらに北に位置しているからだ。

 緊張の糸が切れて気を失ったキール以外、仮眠どころか休憩さえも取らずに夜のあいだ地竜を走らせ続けたが、眠いとこぼす者は誰もいなかった。

 訓練所に着くやいなや、ナナリノが地竜から飛び降り、見張りの兵士にキールの手当てを頼み込んだ。

 すんなりと入れたのはナナリノの気迫のおかげだろう。見張りの兵士に掴みかからんばかりの勢いで、門を開けろと詰め寄ったのだ。

 その彼女は今、管理棟の最上階にある隊長室で詳しい事情を説明させられている。


「いやまだだ」


「もどかしいですね、ただ待つというのは」


 ヴォードに宛てた手紙には、『嘆きの四翼』について分かったことの他に、『朱の霞』に自分たちを迎えに来るよう交渉してくれと書いていた。

 バガル訓練所から王都は地竜で二日の距離だが、大分出遅れてしまっている。『嘆きの四翼』追いつくためには、地竜よりも速い移動手段が必要だった。『朱の霞』が騎乗する、風の民のような速い乗り物が。


「ああ。だがヴォードなら上手く説得できるだろう」


「信頼していらっしゃるのですね」


「……口が立つのは間違いないからな」


 もの凄く苦いものを食べたような顔でそう答えたダレスを見て、ライカは口元を緩めて微笑んだ。




「っくぅぅ、ってえぇぇぇっ!」


 キールは何度目になるかわからない悲鳴を上げた。

 救護室に運ばれ、すぐに始まった治療は、とにかく痛かった。消毒薬もしみて痛いし、傷を縫う針も痛い。包帯を巻かれる前に塗られた薬などは、毒なのではないかと思うほど肌が熱くなった。


「我慢して下さい、もう少しで終わりますから」


 しかし、キールがどれだけ悲痛な声を上げても、衛生兵の女性は全く手を止めることはしなかった。動揺することも狼狽うろたえることもなく、淡々とキールの身体に包帯を巻いていく。

 これまでに多くの兵士の手当てをしてきたのだろう。的確な処置と慣れた動作から、かなりの経験を積んでいることが窺える。

 その証拠に、治療が終わったときには、キールは支えなしで歩けるようになっていた。治療中に感じた痛みも嘘のように消えている。もちろん傷口は痛むが、ここに来る前とでは雲泥の差だ。


「うおおっ、ありがとうございますっす! ほんと感謝するっす!」


 包帯の巻かれた腕をぐるんぐるん回しながらキールは礼を言い、ベッドから降りて服を着る。


「どういたしまして。もう来ないでくださいね」


「えっ!? は、はいっす……」


 にこりともしない衛生兵にぴしゃりと言われ、しょぼんと項垂れてキールは救護室の扉を閉めた。

 もう来るなというのが、怪我をするなという意味なのは分かる。分かるが、もう少し優しく言ってくれてもいいだろう、こっちは怪我人なのに、とぶつぶつ言いながら外に出る。

 朝早いにも拘わらず、すでに大勢の兵士が塀に囲まれた訓練所の広い敷地の中で活動していた。事情を知らされていないのだろう。兵士たちがキールに無遠慮な視線を向けてくる。

 きょろきょろと辺りを見回すと、ライカとダレスの姿があった。不思議なことにライカとダレスには、あからさまな視線は向けられていなかった。その代わり、遠くからちらちらと二人の様子を窺っている兵士が何人もいたが。

 ダレスに睨まれた結果だろうとキールは推測した。


「ライルさん、ルークさん!」


 キールは名を呼びながら二人に駆け寄った。


「キール、走って大丈夫なのですか?」


「はい、もう全然問題、ってえぇ……」


 満面の笑みでぴょんと跳んだキールだったが、着地の振動が傷に響いたらしく、顔を歪ませながら「ないっす」と続けた。

 そんなキールを見て、ライカは浅く息を吐く。


「安静にしていて下さい。でないとまた傷口を縫うことなって大声を上げなければなりませんよ」


「い、いや俺、大声なんて」


「よく聞こえてきていたな」


「……あはは、はははははは…………大人しくしてるっす」


 がっくりと肩を落としたキールを見て、ライカはもう一度息を吐きながら小さく微笑んだ。ダレスも微かに眼尻を下げ、三人の間に穏やかな空気が流れる。

 しかし、次の瞬間にはもう穏やかな空気などどこにもなかった。

 ピイィィィィィ、と甲高い笛の音が辺りに響き渡る。笛を吹いているのは見張り台にいる兵士らしかった。

 笛の音を聞いた兵士たちは手を止め、緊張した面持ちで整列し始める。宿舎や管理棟からも続々と兵士が出てきて、広い敷地を埋め尽くしていく。


「な、何すか!? 一体何が起きてるんすか!?」


「何かの訓練でしょうか。ナナリノさんに訊けば分かるのでしょうが」


「いや、その必要はない。あれが原因だ」


 ダレスがそう言って北の空を見上げる。

 そこには、優雅に空を舞う風の民の姿があった。


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