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緋の扉2 ~いつかの断片~  作者: 緋龍
想いの果て
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32話 夢の砂

 岩の後ろに隠された空間を、ライカとダレスは最新の注意を払いながら進む。崖にできた裂け目のようで、細長い通路のような空間には明かりと呼べるものが一切ない。唯一の光であるライカの持つカンテラの火だけが頼りだった。

 

「人の気配がないな」


 三人並ぶのがやっとの幅の道を、壁に手を添わせながらダレスは歩く。自分たちが拠点にしたところとは違い、天井もダレスが手を伸ばせば届くほど低い。もしここで戦うことになったとしても、剣を抜かずに対処しなければならない。


「はい。ですが、血痕は続いていますので、この先に誰かがいる可能性は十分にあります」


 地面には、黒い染みが点々とある。傷を負った誰かがここを通ったのは間違いなかった。


「生きていると思うか」


「……分かりません」


 ここまで見てきた血痕を全て足せばかなりの量になる。分からないとは答えたものの、生存している可能性は低いと思えた。

 緩やかに蛇行する道をしばらく進むと、遠くに小さな明かりが見えた。近づいていくと、それが月の光であることが分かった。割れ目の通路が終わるのだ。

 ライカはダレスと顔を見合わせると、カンテラの火を消した。二人で気配を消して移動し、出口手前の壁に身を這わせて外の様子を窺う。


「これは……」


 ライカは驚きの声を漏らした。


「まるで兵士の野営地だな」


 ダレスの声には感心しているような響きがあった。

 細長い通路の先、そこは周囲を高い崖に囲われた広場のようなところだった。小さな集落がそのまますっぽり入りそうなほどの広さがあり、何十もの天幕が張られ、あちこちに篝火かがりびが焚かれた形跡がある。

 しかし、やはり人の気配はなかった。

 ライカとダレスは、積み上げられた松明用に用意されていたらしい布が巻かれた木を見つけると、火を点け、手分けして天幕の中を調べて回った。ほとんどが寝床として使用されていたようだったが、中には食料と水が保管されていた痕跡のある天幕もあった。

 

「ライカ」


 ライカが寝床用の天幕に置かれていた書きかけの手紙を読んでいると、ダレスが呼ぶ声がした。返事をして彼がいる天幕へと向かう。


「何かありました――ああ、この方が」


 ばさりと入口の布をめくったライカが目にしたのは、地面に横たわった若い男――もう永遠に動くことのない人間だった。


「手当てする前に死んだようだ」


 ダレスが遺体の血に染まった服をめくると、そこには四本の裂傷があった。深くえぐるように皮膚を裂かれており、たとえ適切な治療が施されていたとしても、助かる見込みはほとんどなかっただろう。それほど酷い傷だった。


「ルークさん、見て下さい。唇と首筋に何か付いています」


「ああ、確かに。砂、か?」 


 松明の明かりを反射してきらきらと光る物質にライカはそっと指で触れる。血の通っていない死者の身体は、ひどく冷たかった。


「そのようですが……死にかけている人間に砂を飲まそうとするでしょうか」


 誰かがこの人物に砂らしきものを飲ませようとしたが、彼には飲み干す力が残っておらず、砂は首筋を伝って地面に落ちた。付着している箇所からそう推測できるものの、理由が分からない。


「“至る夢の砂片”」


 ダレスがぼそりと呟いた言葉に、ライカははっとなった。

 この砂がヨクルチァが言っていた“至る夢の砂片”であるならば、瀕死の人間に飲まそうとしたことにも説明がつく。


「飲めばどんな傷でもたちまち治るなどという現実離れした薬が本当に存在するとは」


「ここが『嘆きの四翼』のねぐらだったのは間違いないだろう。だが、奴らはどこに行ったのだ?」


 ダレスは天幕を出ていく。ライカも後を追って外に出た。音を立てて風にはためく天幕を見ながら、思考の海に身を委ねる。

 どこかの町で死獄石と“至る夢の砂片”を使い、仲間を増やそうとするのであれば数人もいれば十分だ。彼らはただ怪我に苦しむ人たちに“砂片”を渡すだけでいい。町を襲うのは獣がやってくれるのだから。

 複数の町で同時に実行するとしても、必要なのは二、三十人くらいだろう。あまり多くても怪しまれる。

 天幕の数から推測して、ここには八十人前後の人間が集まっていたと思われる。それが全員いないとなれば、考えられる行き先は――


「王都です」


「王都だ」


 ライカとダレスは同時に口を開き、視線を交わすと、同時に地面を蹴った。



「どう、キール? 何かいた?」


 ライカの言いつけを破って外に出たキールとナナリノは、谷底に下りれそうなところを探してしばらく歩いてみたが、見える範囲にはほぼ垂直な崖しかなく、諦めて来た道を戻り、割れ目の前を通り過ぎて峡谷の入り口までやってきていた。

 一番高い場所からなら何でも見えるだろうという考えからなのだが、残念ながら今は夜であり、小さなカンテラの明かりでは自分たちの周囲を照らすのがやっとだ。

 それでも二人は懸命に眼を凝らし、月光の薄明りの下で動くものがいないかを探した。


「うーん、わっかんねえ」


 真剣な顔で峡谷全体を見渡していたキールは、はぁ、と溜息を吐いて隣にいるナナリノの方を向く。

 そのとき、彼の後ろの暗闇がゆらりと動いた。


「暗くてよく見えないわね」


 ふわぁと欠伸をして眼をこするナナリノ。身体が眠りを欲していた。


「ねえ、そろそろ――」


 帰ろうよ、と言いかけたナナリノの動きが止まる。そして、彼女の眼が、顔が、身体が、見る間に恐怖に染まっていく。


「もうちょっと向こうに行って――どうしたんだ?」


 様子がおかしくなっていくナナリノを見てキールは首を傾げる。


「キール、後ろっ!」 


「えっ?」


 キールが振り返るのと、巨大な手が暗闇から伸びてくるのは、ほとんど同時だった。

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