31話 分かち合う二人
崖の割れ目に残されたキールとナナリノは、地竜の世話をし、武器の手入れをして、荷を点検した。食料はまだあるが、水の残りは多くはない。補給せずに動けるのはあと二日が限度だろうというのが二人の出した結論だった。
やるべきことを終えた二人は、焚き火を挟んで地面に身を横たえた。外套を敷いていても岩の冷たさが身体に伝わってくる。
一日中走り通しだった四頭の地竜は、割れ目の奥ですでに地面に伏せて眼を閉じていた。
静かな空間にぱちぱちと枯れ木が爆ぜる音が響く。
「なぁ……訊いていいか」
仰向けになって上を見ていたキールが、躊躇いがちに口を開いた。
「ん、なに?」
キールに背を向ける形で寝ていたナナリノは、ごろりと向きを変えて彼を見る。
「……父親はいないのか?」
いつになく真面目な口調でキールは訊ねる。
ユイレマにいたときからずっと気になっていたのだ。母親と姉はたくさん聞いたが、父親の話は一度も出てこなかった。また、ヨクルチァの口からも夫の話を聞くことはなかった。
だから、いないであろうことは察しがついたが、その理由が死別なのか、それとも単に別れただけなのかの判断まではつかなかった。
軽々しく訊けることではなくことくらいキールにも分かっていたし、知ったところで何かが変わるわけでもなかったが、それでも一度芽生えた疑問は消えなかった。
「死んだわ。私が小さいときにね」
淡々と答えるナナリノ。彼女の言葉からは、躊躇いも戸惑いも感じられなかった。
「……そうか。わりい、変なこと訊いた」
「気にしないで。お父さんの記憶ってほとんどないのよ。だから悲しいともあまり思わなくて」
キールはむくりと起き上がり、焚き火に照らされるナナリノの顔をじっと見つめる。
「なんで死んだんだ?」
「村が獣に襲われたの。お父さんだけじゃなくて、村にいたほとんどの人が死んだわ。兵士もいない辺境の小さな村でね。自警団はあったけど、碌に剣も握ったことがない人がほとんどだったみたい。だから、一匹の獣を倒す力はあっても、百近い獣と戦う術は誰もっていなかった」
「ヨクルチァさんは? あの人は凄腕の賞金稼ぎだったんだろ? どうにかならなかったのか?」
「そうね、あのときお母さんがいたら村はなくならなかったかもしれない。――でも、お母さんは村にいなかった。ただの農民だったお父さんは、姉さんと私を家の貯蔵庫に入れて出ていったわ。私たちを護ると言って」
ぱちっ。また爆ぜる音がして一瞬炎が鮮やかに揺らめく。
「勇気のある親父さんだったんだな」
しばらくしてキールはそう言った。
「……ありがとう。ねえ、キールの両親は? 何をしてる人なの?」
「どっちも死んでる。病気が原因らしいけどよくは知らねえ。興味もないから知りたいとも思わねえけど。ああ、謝る必要はないぜ。そりゃまあ小さい頃は親がいなくて辛い目にあったりもしたけど、俺は今の人生に満足してるんだ。マールもいるしな。それに……いや何でもねえ」
人身売買のために攫われそうになったときにライカに助けられたことまで喋りそうになり、キールは首を振って話を止めた。
「マールって?」
「姉貴だよ。俺とマールは双子なんだ。性格は全く違うけどな」
「そうなの?」
「ああ。例えばこの間も――」
キールはいかに自分とマールの考えが違うかを、身振り手振りを交えて説明する。彼の話はマールが聞けば激怒するであろうほど脚色されている部分も多かったが、その分面白さも倍増されており、ナナリノは何度も笑い声を上げた。
「あぁ、おかしい。こんなに笑ったのって久しぶりかも。貴方とマールさんはとっても仲がいいのね」
ナナリノは眼尻に溜まった涙を指で拭きながらキールを見る。
「今の話を聞いてなんでそうなるんだよ」
キールは心外だと言わんばかりに眉を吊り上げてナナリノを睨む。
「だって、仲が悪かったらそんなに楽しそうに話さないでしょ」
「ちぇっ、もういいよ」
確信をもってにっこり笑うナナリノに何も言い返せなくなってしまい、キールはどさりと後ろに倒れた。が、すぐにまた勢いよく上半身を起こし、きょろきょろと辺りを見回し始める。
「どうかした?」
「いま何か聞こえなかったか?」
「ううん、私は何も聞いてないけど」
「獣の唸り声のような音が聞こえたんだ。ただの風の音かもしれないけど……気になるから俺ちょっと見てくるわ」
「え、ちょ、ちょっとキール!?」
剣を持って立ち上がり外套を羽織るキールに、ナナリノも慌てて起き上がる。
「ここにいろってライルさんに言われたの忘れたの? それに外は真っ暗なのよ?」
「大丈夫だって、遠くまで行くわけじゃないんだから。すぐに戻ってくる」
焚き火の番頼むなと言って出ていこうとするキールを、ナナリノは待ってと呼び止めた。外套と弓を掴んで彼に駆け寄る。
「私も行く」
「駄目だ。危ねえからお前は残ってろ」
「嫌。危ないのはキールも一緒でしょ」
「俺は男だからいいんだ」
「なにその理屈。それを言うなら私は兵士よ」
ナナリノは真正面からキールをじっと見据える。その茶色の瞳には、絶対に引かないという強い意志が表れていた。
しばらく二人は睨み合っていたが、先に根負けしたのはキールだった。くしゃくしゃと頭を掻き、眼を逸らす。
「……ああもう! 分かったよ、勝手にしろ! そのかわり俺から離れるんじゃねえぞ」
「キールこそ私から離れないでよね」
キールを負かしたナナリノは、にっこりと笑みを浮かべて言った。




