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緋の扉2 ~いつかの断片~  作者: 緋龍
想いの果て
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30話 夜の峡谷

 ナヨークト峡谷に着いたのは、月が頭上で瞬くころだった。

 月明かりに照らされるのは、どこまでも続く深い谷。崖は、少しでも足の置く場所を間違えれば、谷底に落ちてしまいそうなほど険しい。

 ライカたちは峡谷の上層部にできた大きな割れ目を探索の拠点にすることにした。地竜から荷をおろし、枯れ草を集めて火をおこす。

 簡単な食事をすませると、誰からともなく、ふぅと息を吐き出した。豪華とはとても言えない内容だったが、それでも腹が満たされれば一応の満足は得られた。


「えっと、じゃあ今日はどっちが先に寝るっすか?」


 うーんと背中を伸ばし、首を鳴らしながらキールがライカを見る。

 この四日の間、ライカとナナリノ、ダレスとキールの組み合わせで交替で睡眠を取っていた。三人のときはライカとダレスが交替で火の番をし、キールは一晩中眠っていたが、ナナリノが加わり彼女が自分も見張りをすると言って聞かなかったため、二人組になることになったのだ。

 その疲れが溜まってきているのだろう。弱音を吐くことはないが、ナナリノは食事の最中から何度も欠伸をしていた。

 あと一刻もすれば日付が変わる。少しでも疲れを取るためにはもう休んだ方がいい。

 しかし、ライカは腰から外して地面に置いていた剣を取り立ち上がった。ダレスも続いて腰を上げ、大剣を担いで割れ目の外に無言で出ていく。 


「キールとナナリノさんは休んで下さい。ここは奥が行き止まりで入り口は一箇所だけですから、それほど警戒する必要はないでしょう」


「どこに行くんですか?」


「『嘆きの四翼』を捜しに」


「だったら俺たちも――」


 腰を浮かせて立ち上がろうとするキールを、ライカは手で制して止める。


「貴方たちにこの暗闇の中での捜索は無理です。明日も朝早くから動くことになりますから、しっかり身体を休めておいて下さい」


 いいですね、とキールとナナリノを交互に見ると、二人ともこくりと頷く。ライカも頷き返すとダレスの後を追って闇にその身を溶け込ませた。

 少し先にいたダレスに追いつき、二人で険しい崖を跳躍しながら下りていく。谷底につくと、風の音が周囲の岩に反響して、いやに大きく不気味に聞こえた。

 感覚を研ぎ澄まし、周囲の気配を探る。


「近くに人がいる気配はありません」


「そうだな。しかし、本当にここに『嘆きの四翼』のねぐらがあるのか? 俺やお前のような人間ならともかく、行方知れずとなっているのはただの村人ばかりだ。ユイレマの隊長が言っていたように、ここに普通の人間が住めるとは思えん」


 見上げてもなお高い崖に手を置き、ダレスはライカを見る。


「そう、ですね。ですが、誰もが無理だと思っている場所だからこそ、彼らがいる可能性も高いのではないでしょうか。隠れ家としてこれほど相応しい場所もありませんから」


「それはそうだが……。まあいい、行くぞ」


「はい」


 ライカとダレスは月明かりの中を駆け出す。月が雲に隠れ、夜を照らす唯一の灯りがなくなっても、二人の動きが鈍くなることはなかった。

 

「ルークさん」


 ライカがダレスを呼び止めたのは、キールたちと別れてからおよそ半刻後のことだった。


「どうした」


「少しお待ち下さい」


 ライカは小型のカンテラを取り出し、手早く火を点けて地面に置く。すると、暗闇に紛れて見えなかったものがはっきりと見えるようになった。


「これは……血か」


 黒々とした円形の染みが点々とあるのを見て、ダレスが片膝をつき、指で地面をなぞる。しかし、ざらざらとした感触以外に得られるものはなかった。


「おそらく。あちらに続いているようです」


 カンテラで地面を照らしながら、ライカは谷底の入り組んだ地形を進んでいく。


「よく分かったな」 


「闇には慣れていますから」


 そう言って、ライカはほんの少しだけ寂しそうに微笑んだ。

 黒い染みの痕跡を辿っていくと崖の前にある大きな岩にぶつかった。


「ここで消えていますね」


「血を流していた奴は空を飛んでいったか、それとも……」


 ダレスは岩の横に立つと、手をかけてぐっと力を入れる。すると、ダレスの背よりも高い岩が僅かに動いた。岩の後ろには空間があるようだった。


「手伝います」


 カンテラを地面に置いたライカは、ダレスと向かい合うように立って岩を掴んで力いっぱい引いた。

 ずずず、ずずずず、と濁った音を立てて、ゆっくりと岩が横にずれていく。人一人が通れるだけの隙間が出来るまで二人は岩を移動させた。


「力仕事をすることになるとはな」


 手についた砂を払いながらダレスが不機嫌そうに呟く。


「ルークさんと一緒でよかったです」


 カンテラを持ったライカは、注意深く周囲の気配を探りながら岩の後ろにあった空間に足を踏み入れる。地面には黒い染みがあり、奥へと続いていた。


「……あ、ああ」


 ライカの言葉には、一人では岩を動かせなかったという意味以外含まれていないのだが、何故かダレスは動揺し始め、ぎこちない足取りで彼女の後を追うのだった。


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