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緋の扉2 ~いつかの断片~  作者: 緋龍
想いの果て
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29話 かつての森は

「見えました。あれがナヨークト峡谷です」


 背に夕陽を浴びながら地竜を走らせていると、先頭を行くナナリノが正面を指差した。

 四日前の朝にユイレマを発ち、陽が沈む前には砂漠を抜けた。そこから先は、ひたすら乾いた大地があるだけだった。風鳴かざなりの森と呼ばれていた名残すら見当たらなかった。火事で燃えた木々は、長い年月の間に、朽ちて土へと還ったのだろう。

 新たな生命が芽吹くことのなかった寂しい大地は、緑から見放されてしまったようにライカには見えた。木がないため水は大地に留まらず、水がないため木は大地に根付かない。あるのは僅かな草と、薄茶色の土だけ。

 だが、植物は生息していなくても、動物は絶えることなく繁殖していた。

 そしてその厳しい環境を生きるたくましい動物たちの一部は、食欲という生物すべてが持つ願望に対して、とても忠実だった。

 

「ライルさん、右から二匹来てるっす!」


 隣を走るキールがそう言って腰の後ろの剣を抜く。視線を右に向ければ、赤茶色の狼のような獣が二匹、真っ直ぐこちらに向かってくるのが見えた。姿形からして赤翁せきおうだろう。ナナリノによれば、森があったころは無害な大人しい獣だったと文献などには書かれているらしいが、よだれを垂らし牙を剥き出しにして走ってくる姿は、狂暴な獣そのものだ。


「前からもだ。数は三、いや四。狙えるか、ナナリノ」 


 正面から飛んでくる巨大な黒色の芋虫に羽が生えたような獣、蛮虫ばんちゅうを視界に捉えたダレスが、地竜の速度を上げながらナナリノに訊ねる。

 訊かれたナナリノは、わたわたと揺れる地竜の背の上で矢をつがえつつ、「は、はい、大丈夫です!」と答えた。


「蛮虫は俺が片付ける」


「分かりました。キール、一匹任せましたよ」


「はいっす!」


 ライカとキールは地竜を降り、迫る赤翁犬に向かって駆け出した。

 二匹の赤翁は速度を落とすことなく走り続け、ライカたちとぶつかる少し手前で高く跳躍してくる。


「はっ」


 跳躍を予測していたライカは、同時により高く跳び、上下に重なった瞬間に蜥蜴とかげのような皮膚をした赤翁の胴体に剣を突き刺した。そのまま自身の体重をかけて地面に叩きつける。腹を刺され全身を強打した赤翁は、短く鳴くと息絶えた。


「うおおぉっ、このやろおぉぉっ!」


 一方のキールは、最初の攻撃を横に跳んでかわし、次の攻撃を剣で弾き返し、もう一度向かってくる赤翁犬の顔に、気合いの声とともに蹴りを入れた。ぎゃん、と鳴いて赤翁が倒れる。


「とどめだっ!」


 キールの剣が立ち上がろうとする赤翁の首を深く切り裂く。赤翁犬は大量の血を流しながら痙攣けいれんしていたが、しばらくすると動かなくなった。


「俺を食おうなんて考えるからだぜ」


 キールは剣についた血を振り落として鞘に収める。この四日間何度も襲われたせいで、すっかり赤翁との戦いに慣れていた。


「まだ無駄な動きがありますが、少し余裕が出てきたようですね」


 キールの動きを見ていたライカが、ダレスとナナリノの方に視線を向けながら口を開く。ちょうどダレスの剣が最後の蛮虫を両断するところだった。

 

「もう楽勝っす! まだまだいけるっすよ!」


 キールは拳を前に突き出して、にっと笑う。


「キール、油断は禁物です。一瞬の判断の誤りが死に直結することもあるんですから」


「大丈夫っすよ。そんな下手を打つほど馬鹿じゃないっすー」


 駆け足で地竜に戻る自信たっぷりのキールの後ろを歩きながら、ライカは微かに顔を顰めて溜息を吐いた。キールは決して弱くない。だが、まだ未熟な部分も多い。彼が今持っている自信が、彼を危険にさらすことにならなければいいのだが。


「心配ですね……」


「どうかしたか?」


 蛮虫を倒して戻ってきたダレスが、ライカの呟きに反応する。


「いえ、何でもありません。血の匂いで獣が集まってきます。峡谷に急ぎましょう」


 ライカは首を振って地竜に乗った。


「……ああ」 


 頷いてダレスは鞭をしならせ、地竜を走らせる。それを見たキールとナナリノも、彼の後に続く。並走する二人は何か言葉を交わしていた。どちらも表情は明るい。自分たちがどのようにして赤翁を、蛮虫を倒したかを話しているのだろうか。彼らはこの四日間でよく喋るようになった。歳も変わらないとあって話しやすいのだろう。ただ、その内容のほとんどが、戦いや武器に関することだったが。


 (私も、よく話をしていた)


 キールとナナリノが話す姿を見て、昔、兄と慕った男がライカの脳裏によみがえる。厳しい訓練を終えて眠る前のわずかなひととき、よく小さな声で二人で話していた。話の中身は、どうすれば刃の切れ味を長持ちさせることができるかや、より少ない動きで標的を殺す方法など、血なまぐさいものばかりだったが、それでも幸せだったように思う。


「セアルグ……」


 誰に届かない声は、沈みゆく夕陽とともに地平線の彼方へと消えていった。


 

 

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