28話 待つもの、向かうもの
緑と水に恵まれた、ヴァラファール大陸随一の豊かな国、ローディス。
その王都ラシィリニオスに聳える王城の一室で、今代の“戦の護”フェリシア・ローディスが、落ち着かない様子で広い室内をうろうろと動き回っていた。
彼女がくるりと向きを変えるたびに、長い黄金色の髪と藍色のドレスの裾がふわりと舞い揺れる。
「もう九日が経つというのに、どうしてライカから連絡が何もないのかしら」
十年前に出会ってからずっと傍にいてくれた、大切な親友。本当は危険な場所になど行かせたくない。侍女としていさせてあげたい。――だが、今の平和とも混乱とも言えない不安定な世の中がそうさせてくれない。
いつになればライカに頼らなくてすむようになるのだろうか。真の平和とも言うべき誰もが心穏やかに暮らせる時代が来るのだろうか。
「……きっと来ないわね」
フェリシアは苦い笑みを浮かべる。
人間は欲深い生き物だ。安寧を望みながら野心を膨らませ、平和が訪れた次の瞬間にはもう、どこかで誰かが争いの種が芽吹かせているのだから。
“戦の護”はその名の通り戦いの象徴。ローディスに絶対の勝利をもたらす存在。この世から戦が全てなくなれば、不必要になるであろう制度。
もしそうなったら、恋をすることができるのだろうか。愛しい人と生涯を共に生きることが――。
そこまで考えて、フェリシアは首を振った。
叶わない夢など見続けるものではない。いくら望んだところで現実が変わるわけではないのだから。
こんこんこん。扉が叩かれる。失礼しますと入って来たのは、フェリシアのもう一人の侍女、マールだった。
「姫様ー! ライカ様からの姫鳥がきましたよー! それにティアナン副団長様から、ヴォード団長様より送られてきた文書を預かってきましたー」
「ありがとう、マール」
こちらになりますー、と笑顔で渡された、待ちに待っていた二枚の紙に素早く眼を通す。
死獄石が原因による獣の襲撃に遭遇したことなどが書かれていたが、誰も負傷していないということに、まずはほっと胸を撫で下ろした。
次に、ライカからの報告に書かれている、『嘆きの四翼』という文字をじっと見つめる。自国に反旗を翻そうとしているらしい集団。
「どうして人は、人と争わずにはいられないのかしらね」
「大切だと思う人たちに幸せになってほしいからじゃないのですかー?」
フェリシアが溜息とともに零した呟きに、マールが大きな可愛らしく首を傾げて応える。
「……そうね。そうだったらいいわね」
厳しい日差しのなか、熱い砂の上を四頭の地竜が駆けていく。その姿は元気そのもので、熱さなど微塵も感じていないようだ。
一方で、地竜の上に乗る者たちは、一刻も早く砂漠の熱から逃れたいと心の底から願っていた。
「まだ砂漠は終わらねえのかよ」
ローディス国第一騎士団団長クレイ・ヴォードが、うんざりした顔で小さく毒づく。小声なのは聞かれたくないからだ。――自分たちの真上にいる人物に。
ヴォードは目深に被ったフードを少しずらし、顔を上に向ける。
眼に入るのは燦々と輝く太陽――ではなく、艶やかな水色の羽毛。大きな翼をゆったりと動かす様子は、優美という他ない。
「風の民、ねえ」
翼竜と似た大きさの、あれらとは似ても似つかぬ美しさをもつ生き物の名を口にしながら、ヴォードは昨夜のことを思い出した。
風の民に乗って砂漠を走る自分たちの前に現れたのは、リムストリア国女王の直属部隊『朱の霞』の隊長、ツェルエだった。
紅色の仮面で顔を隠した彼女に案内され、砂漠の片隅にあるケーネの里という小さな集落に辿り着くと、里に一軒しかない宿に入り、ツェルエを見て慌てふためく宿の主人のもてなしを受けた。
腹も満たされ、そろそろ話を、というところで、キャソの町から一緒だったリムストリアの兵士が、慌てふためいた様子でヴォードたちのいる部屋に駆け込んできた。彼は、里の入り口で地竜の世話をしているはずだった。
「た、大変です! け、獣がっ、獣が大群でこちらに向かってきていますっ!」
ヴォードは蹴るように椅子から立ち上がり、壁に立てかけていた剣を掴むと部屋を飛び出した。自分のすぐ後を追ってくる騎士たちに指示を出し、ツェルエと手分けして獣を倒しながら死獄石を探す。驚いたことに彼女は死獄石の存在を知っていた。
石を見つけ、里に入り込んだ獣を全て排除し終えたときには、すでに月は真上にはなかった。怪我人の手当てを手伝った後、水の入った瓶の中に沈んだ石をどうするかツェルエに訊ねる。海に沈めるつもりであれば預かるつもりだったし、持ち帰ると言われれば渡すつもりだった。
しかし、彼女の答えはそのどちらでもなかった。
「これは人が長く持つには危険な代物ですから」
そう言って『朱の霞』の隊長は、傍で伏せていた風の民の口に、瓶から取り出した死獄石を放り込んだのだ。
呆気にとられるヴォードの顔が可笑しかったのか、仮面の奥からくすりと笑う声が聞こえた。




