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緋の扉2 ~いつかの断片~  作者: 緋龍
巡らされる糸
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26話 空白の地図

 ライカとダレスが『風の名残』に戻ると、通りで瓦礫を片付けていたキールが駆け寄ってきた。


「お帰りなさいっす! 例の奴らの居場所は分かったっすか?」


「確証はないですが、ナヨークト峡谷というところにいるかもしれないという情報は得られました」


「そうっすか。水と食料は補充したっすから、いつでも出発できるっすよ」


「ありがとうございます」


 話しながら中に入り、階段を上って部屋へと向かう。

 怪我人の手当てや壊れた壁の修繕、その他諸々の作業をする人間が、ひっきりなしに宿の中と外を行き来している。一階の厨房でヨクルチァが忙しそうに動き回っているのが見えた。 


「それで……その峡谷って遠いんすか?」


 部屋に入るとキールが心持ち不安そうに訊いてきた。移動の心配をしているのだろう。灼熱の砂漠が辛いという気持ちは分からなくもないが、ユイレマは砂漠の中にある町。どこへ行くにしても熱砂は避けて通れない。


「ここから東に砂漠を抜けた先にあるそうです。キール、地図を出して下さい」


 ライカは苦笑まじりに言う。


「はいっす」


 自分の荷物をごそごそ漁り、目的の物を見つけたキールは、机の上にさっと広げた。


「ユイレマの東……ここだな」


 ダレスの太い指が地図の上を滑り、ナヨークトと書かれたところで止まる。


「結構遠そうっすね」


 地図で見るかぎり、地竜を飛ばせば半日程度で砂漠は抜けられそうだが、峡谷までは何日もかかるように思えた。砂漠の端と峡谷との間にかなりの空白があるのだ。


「この場所には何があるのか……ヨクルチァさんに訊いてみましょうか」


「そうだな。頼めるか、ライ、ル。俺はこいつと地竜の準備をしておく」


 頷いたダレスは、ぎこちなくライカの偽名を口にすると、自分の皮袋を持って部屋を出ていった。


「えっ!? い、いや、はいっす!」


 指名を受けたキールが、ぎょっとなって驚きながらも慌ててダレスの後についていく。

 二人の後姿を見送ったライカは、額の布を一度取って縛り直し、鏡を見て己の姿に問題がないか確認してから、荷物と地図を持って部屋を後にした。

 一階の厨房に行き、つんとする臭いを発している大きな鍋をかき混ぜているヨクルチァに声をかけると、彼女は「ああ、あんた。丁度よかったよ。あんたに話があったんだ」と言って、近くにいた女性に鍋を任せ、ライカを人気のない裏口近くに導いた。


「変な臭いだっただろ? あれは怪我に効く薬なんだけどね、臭いが強いのが難点なんだよ」


 額に浮いた汗を袖で拭うヨクルチァは、すまないねと謝る。ライカは、大丈夫ですと首を振った。


「それで、私に話とは?」


「そうそう、さっき、あたしの娘のナナリノがここに来てね、あんたの連れの少年と挨拶を交わしてたから知り合いなのかいと訊いたんだよ。そしたらあんたたちが命の恩人だって言うじゃないかい」

 

「それは大袈裟です。あの獣、獏白亀ばくはくきを倒せたのはナナリノさんの弓の腕が良かったからです。私たちは少し助力したにすぎません」


「まったく、謙虚な兄さんだねえ。世の中にはちょっと手助けしただけで大金をせしめようとする連中がわんさかいるってのに。まあ、いいさ。とにかく一言礼が言いたかったんだよ。――娘を助けてくれてありがとうね」


 家族をまた失うことにならずにすんだよ。

 ふっと表情を暗くしたヨクルチァが、そう呟くのが聞こえた気がしたが、次の瞬間には元の表情に戻っていた。

 “また”失う。過去に誰かが死んでいる言い方だ。そう考えたライカは、彼女の夫がいないことに気が付いた。不在なだけという可能性もあるが、もしそうであれば誰かが話題にしているはずだ。だが、ヨクルチァもナナリノも隊長も、何も言わなかった。ということはつまり――


「ナナリノさんを助けることが出来て良かったです」


 ヨクルチァの夫だった人間はすでにこの世にいないのだろう。しかし、それを確かめることはしない。彼女の過去の傷に触れる資格も、またその必要もないと思ったからだ。ナナリノが生きている、重要なのはその事実だけだ。


「ああ……そういえば、何か用があってあたしに声をかけたんだろ? 何だい? 何でも言っておくれ」


「ありがとうございます。では、これを見てもらっていいですか?」


「どれどれ、ああ、この国の地図だね。大ざっぱにしか描かれていない、どこにでも売ってるやつだよ」


 ライカが広げた地図を見たヨクルチァは、ぴんと指で紙を弾く。


「この空白の部分に何があるのかが知りたいのですが、ご存知ですか?」


 砂漠と峡谷の間を指差しライカが訊ねると、急にヨクルチァの顔が険しくなった。


「あんたたちまさかナヨークトに?」


「はい。危険だということは理解しています。ですが、私たちは行かなくてはならないんです」


 真っ向からヨクルチァの茶色の瞳を見つめ、意思が固いことを示す。しばらく無言の攻防が続いたが、先に視線を逸らしたのはヨクルチァだった。ふっと息を吐いて、しょうがないねえと微笑む。


「あたしも昔は人から行くなと言われた場所にたくさん行ったからね。あんたたちを止める権利なんてないか。いいよ、教えてあげる。その代わり、約束しておくれ。――絶対に死ぬんじゃないよ」


 ライカが頷くと、ヨクルチァは約束だよと言って、地図の空白部分の説明をし始めた。


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