20話 朱の霞
詰め所の周りは怪我人と兵士でごった返しており、ライカとナナリノは「すみません、通ります!」と何度も声をかけながら、ようやく所定の位置に水瓶を置いた。
「ああ重かった!」
重労働を終えた開放感から、ナナリノが両ひざに手をついて大きく息を吐き出す。ライカの手のひらも赤くなっていた。
「ありがとうございました! 本当に助かりました。えっと……」
言葉を途切れさせたナナリノを見て、まだ名乗っていなかったことに気が付く。
「ライルといいます。賞金稼ぎを――」
しています、と続けようとすると、それに被さって「遅いぞナナリノ!」という声が聞こえてきた。視線を左に向けると、ナナリノと同じ深緑色の制服を着た兵士が近づいてくるところだった。
「水運ぶのにどんだけかかってんだ。早く配れ、ってそいつ誰だ?」
苛立たしげにナナリノを叱責する兵士。しかし、隣にいたライカに気付くと、吊り上がっていた眼が丸くなる。
しかし、ナナリノの返答を聞くと、再び元の吊り上がった眼になった。
「え、えっとこの方はライルさんといって、わ、私の命の恩人です」
「はあ? 兵士が一般人に護られてどうすんだよ。自覚が足りねえぞ」
「は、はい、す、すみません」
「ったく、お前みたいな鈍くさい奴がなんで兵士になれたんだか……っ!?」
項垂れるナナリノになおも追い打ちをかけていた兵士が、突然驚いた表情になり、さっと敬礼の姿勢をとった。近くにいた兵士たちも手を止めて次々と敬礼し始める。その顔は一様に緊張で強張っていた。
「どうかしたん――あっ!」
先輩兵士の視線を追って振り向いたナナリノも、あたふたと敬礼する。
誰がいるのかは見なくても予想がついたが、背を向けたままでいるわけにもいかず、ライカも体の向きを変えた。
「あれ? 何であんたがここに……またナナリノか?」
「いえ、私が手伝いを申し出ただけです。気にしないで下さい」
白髪の交じった黒髪を掻きながら近づいてくる隊長に、ライカは首を振って答える。そして、隊長の一歩前を歩く人物に眼を向けた。
風にはためく鮮やかな朱色の衣。顔を覆うリムストリアの紋章が刻まれた白色の仮面。兵士と民がひしめく詰め所のなかで一際異彩を放つその姿は、紛れもなく『朱の霞』。女王直属の精鋭兵。
「隊長」
仮面の奥から少しくぐもった女性の声が聞こえてくる。
「はっ」
「隊長に死獄石のことを教えたのは、この者か?」
「はい。この方ともう一人の方がいなければ、被害は深刻なものになっていたでしょう。我々の、いえ、ユイレマに住む全ての民の恩人です」
隊長の言葉にゆっくりと頷き、『朱の霞』はライカを見据えてくる。しかし、どんな感情を向けられているのかは一切伝わってこない。
「そうか。私はリムストリア国女王親衛隊『朱の霞』の一人、リマーラ。貴殿の名を訊いても構わぬか」
リマーラの名にナナリノがぴくりと反応する。
「私はライルといいます、リマーラ様」
「ライル殿、私と共に王都に来てはもらえぬか。ユイレマを救った者としてシャラトゥーラ様に紹介したいのだが」
リマーラの発言にどよめきが起こる。一国の王に会うことがどれほどすごいことなのかがよく分かる反応だ。
身に余る光栄だと感激する場面。
しかし、ライカは「お断り致します」と頭を下げた。どよめきがさらに大きくなる。
不興を買うことになろうとも、王都に行くことは出来ない。シャラトゥーラと会うのは非常に都合が悪いというのもあるが、何よりも刻がない。一刻も早くセアルグの示した滅びの息吹の正体を突き止めなくてはならないのだ。このユイレマにはその手掛かりを求めてやってきた。情報を集めきれていない今、町を離れるわけにはいかない。
「その理由は?」
声を荒げるでもなく、怒るでもなく、リマーラは淡々と訊いてくる。
何と答えるべきか。ライカは少し考えてから口を開いた。
「リマーラ様の申し出は大変ありがたく思います。ですが、戦った全ての人の力が合わさってこそ、この町の被害を最小限に食い止めることが出来たのです。私たちは少し手をお貸ししたにすぎません。もし、女王様に何かお言葉をいただくとすれば、それは私たちではなく、今日戦った人全員に贈られるべきでしょう」
すこし大げさかもしれないが、嘘ではない。この場を丸く収めるには、称えられるべき者は他にいると主張するのが最も良い。
その証拠に、敬礼していた兵士たちが誇らしげな顔になる。本心から納得したかは分からないが、リマーラもあっさりと引き下がった。
「そうか。貴殿がそう言うのならば仕方ない。残念だが諦めるとしよう。――隊長、私は王都に戻る。明日には増援の兵士も到着するはずだ。町の復興に必要な資材は手配しておく」
「はっ、ありがとうございます!」
朱色の衣を翻し、感情の見えない『朱の霞』は颯爽と去っていった。




