19話 陽射しの中で
「なに? まだ救援要請を出してから一刻しか経ってねえぞ。いくらなんでも早すぎねえか? それに『朱の霞』が来るなんて……」
どういうことだと首を捻りながら、隊長は報告に来た兵士に先導されてライカたちから離れていった。
「ルークさん」
名を呼んでダレスを見上げると、彼はライカが言わんとすることを察したようで、外していたフードを被り、ああと頷いた。
「入口に戻るぞ。ヴォードに連絡する」
「はい」
ライカとダレスは、キールが待っているはずの町の北側の入り口に向かって歩き出す。
『朱の霞』は女性ばかりの女王の近衛部隊。国内外での女王が出席する式典には必ずいる。ライカもダレスも、朱い衣を纏った彼女たちが女王に付き従っている姿を、何度も眼にしている。一番最近ではバルドゥクの戴冠式だ。
ダレスがフードを被った理由は一つ。『朱の霞』に顔を見られれば素性が知られてしまうかもしれないからだ。必要に迫られて正体を明かすことになるかもしれないが、少なくとも今はそのときではない。絶対と言い切れないのは、一度も会ったことのない『朱の霞』という可能性があるからだが、残念ながらこちらから確認する術はなかった。――『朱の霞』は常に仮面で顔を隠しているのだ。
「『朱の霞』は、どうして顔を見せないのでしょうか」
「さあな。考えたこともない」
ダレスは興味なさそうに空を見上げる。憎々しいまでの青。陽の光をこれほど疎ましく感じるのは初めてだと、黒髪の騎士団長は燦々(さんさん)と輝く太陽を睨みつけた。
「あっ、ライルさん、ルークさん、こっちっす!」
入口付近に行くと、町を囲う外壁の陰に座っていたキールが立ち上がって大きく手を振ってきた。傍には三頭の地竜が地面に伏せっている。
「商人の方はどうしました?」
「あの人なら、知り合いが無事かどうか気になると言ってちょっと前に町に入って行ったっす。兵士が獣はいなくなったって言ってたからついて行かなかったっすけど……まずかったっすか?」
怒られると思ったのか、キールがライカの反応を窺うように恐る恐る訊いてくる。
「いえ、大丈夫でしょう。それより――」
「姫鳥を出せ」
「ひぃっ!? え、は、はいっす!」
急にダレスに近づかれたキールは、大きく後ろに飛び退ってから大慌てで地竜に括りつけていた鳥籠を外し始めた。
キールを怯えさせたダレスは、荷物の中から紙と筆を取り出し、立ったまま筆を走らせる。ダレスが、書き終えた紙を脚に結び「ヴォードに届けろ」と言うと、姫鳥はピィィと可愛らしい声で鳴き、青空の向こうへと飛んでいった。
「これからどうするっすか?」
「町の人に話を聞きます。混乱している今なら、色々聞き出せる可能性が高いですから。それと、今日はここに泊まります。連日砂漠で寝るのは辛いでしょう」
「やったーっす! あ、いや、分かりましたっす。宿の手配は任せて下さいっす」
思わず本音が漏れたキールは、慌てて真面目な表情を取り繕って背筋をぴんと伸ばす。そんな正直な彼を見て、ライカは苦笑まじりに溜息を吐いた。
「ナナリノさんの母親が宿を営んでいますので、泊まれるか訊いてみて下さい。負傷者の受け入れをしているみたいですから、断られたら違う宿で構いません」
「はいっす。じゃあ地竜屋にこいつらを預けてから行ってみるっす」
「お願いします」
キールは地竜を連れて町の中へ走っていった。
「ルークさんはここで姫鳥を待ちますか?」
「ああ。『朱の霞』と顔を合わせないとも限らないからな」
「では、私は町の人から話を聞いてきます」
「気を付けろ」
「……ありがとうございます」
危険に慣れていることは十二分に知っているにも拘わらず気を付けろと言ってくるダレスに、ふっと表情を柔らかくしてライカは礼を言った。
建物の被害状況と人々の様子を見ながら町を歩く。被害は北側に集中しており、倒壊したり焼失した家屋が多く見受けられたが、幸いにして町としての機能を失うまでには至らなかったようだ。もっとも、命を失った人からすれば、とても幸いとは言えないだろうが。
「あっ! えっと、あ、あの、す、すいません!」
幼子が逃げるときに手から放してしまったであろう通りに落ちていた人形を拾い、砂を払って見つけやすいよう目立つ場所に置いていると、後ろから声がした。ライカの近くには何人もの人がいる。誰を呼んでいるのだろうと振り返ってみると、そこには大きな瓶を抱えたナナリノがいた。よほど重いのだろう。全身の筋肉がぷるぷると震えている。褐色の肌なので顔色に変化は見られないが、もし白い肌をしていれば真っ赤になっているに違いない。
「どうしたんですか? 随分重そうですけど」
「い、井戸から、み、水を汲んでくる、よう隊長に、言われた、んですけど、い、入れすぎちゃいまして」
砂漠の町での水は貴重。入れすぎたからといって、捨てるわけにはいかなかったのだろう。
「手伝いますよ。どこに運べばいいんですか?」
「え、で、でも」
遠慮するナナリノに手をずらすように言い、ライカは瓶の底に手をかける。途端にずっしりとした重みを手に感じる。瓶はライカが予想していたよりもずっと重かった。
「……よく、これを一人で持とうと思いましたね。で、どこに運びましょう?」
「す、すみません。詰め所までお願いします」
消え入りそうなほど小さな声でナナリノは呟いた。




