13話 新人兵士ナナリノ
ざすっざすっざすっざすっ。ざすっざすっざすっざすっ。
リムストリア中部に広がる中央砂漠に地竜が砂を蹴って走る音が響く。見渡す限りの砂、砂、そして砂。
ただ砂の上を進むだけならば何の問題もない。しかし、ここは砂漠で、しかも今は太陽が頭上にある。上から降り注ぐ陽の光と、下から照り返される熱が、容赦なく砂漠にいる者を苦しめるのだった。
熱い砂の上を走ること一日と数刻。砂漠に入って間もないころは言葉を交わしていたライカたちだが、次第に口数が少なくなり、半刻後には誰も何も言わなくなった。時折キールが「暑いっす……」と独り言を言ったり、ライカが「ふぅ」と息を吐いたりするくらいだ。それは、砂漠で一夜を明かし、朝になって再び地竜で走り始めても変わらなかった。
港町キャソから砂漠の町ユイレマまでは、地竜でおよそ二日。もうしばらくの間、砂漠の熱からは逃れられなかった。
一方、砂漠の町ユイレマでは、新人兵士のナナリノが町の見回りを終えたところだった。
「どうだ、仕事には慣れてきたか」
詰め所に入り外の強烈な日差しから解放されたことにほっとしていると、ユイレマに配属された兵士をまとめる隊長が、読んでいた書面から顔を上げて訊いてきた。
「は、はいっ! 問題ありませんっ!」
緊張で顔をこわばらせて力いっぱい敬礼するナナリノを見て、熟年の隊長は苦笑する。
「もう少し肩の力を抜け。そんなんじゃいざってときに対応が遅れるぞ」
「す、すみませんっ」
謝るナナリノだが、その身体は硬いままだ。詰め所で武器の手入れをしたり休憩していたりした兵士たちが、呆れた様子で首を振る。二人のやり取りは、ナナリノがユイレマの警備隊に配属されてから毎日繰り返されていた。
「……まあいい、それより任務だ」
「私にですか!?」
任務と聞いた瞬間、ナナリノが裏返った声を上げた。正規兵になってまだ数日、新人中の新人である自分に通常業務以外の仕事が与えられるとは。ナナリノの胸が期待で膨らむ。
が、隊長の次の言葉を聞いて、期待は一気に萎んだ。
「他に誰がいるんだ。キャソから来た商人が砂漠で白い影を見たと言っているらしいから詳細を聞いてきてくれ」
「……分かりました」
聞き取り調査。砂漠に囲まれた町として、砂漠に関する情報は重要。特に獣の出没状況には常に気を配り、必要であれば住人に警告を出したりしなければならない。身を守る術を持たない者にとって、砂漠の獣は危険すぎる生き物なのだ。
しかし、ナナリノの気分は盛り上がらない。地味で面白味がないようにしか思えないからだ。
「もしその白い影が漠白亀だったら討伐隊を編成しなきゃならん。商人は『緑の夢』に泊まっている。頼んだぞ」
「はっ。すぐに行って参ります!」
いくら地味でもこれは大事な任務だ。そう自分に言い聞かせると、ナナリノは敬礼して詰め所を出た。
「……弓の腕はいいんだがな」
凄腕の弓使いだった母親には及ばなくとも、そこらの兵士よりはよほど腕は立つ。しかし、すぐに緊張してしまう体質のせいで、その能力を発揮できていない。本来ならもっと早くに正規兵になれたのに、二年もの間訓練兵を脱することが出来なかったのは、重要な試験などの際に緊張で実力を出せなかったからだ。
それともう一つ。思い込みが激しいというか、一度こうしなければと思うと途端に視野が狭くなる欠点もあった。
もったいない。
隊長はナナリノが開けたまま去っていった扉を見ながら、机に片肘をついて溜息を吐いた。
「すいません、警備隊の者ですが」
ナナリノは『緑の夢』に行き、流れ出る汗を拭いながら宿の主人に声をかけた。
「おや、ナナちゃんじゃないかい。ヨクルチァさんは元気かい?」
代々宿を受け継いで経営している老年の主人は、しわしわの顔に人の良さそうな笑みを浮かべてナナリノに近づいてきた。
「ええ、信じられないくらい元気です。あの、ここにキャソから来た商――」
「ヨクルチァさんもねえ、怪我さえしなければ今でもまだ現役だったろうにねえ。昔、一度だけ彼女が戦っているところを見たことがあるけど、すごかったねえ。あんな動きをする人、他に見たことがないよ」
ナナリノの言葉を遮って宿の主人はヨクルチァの話を始める。『緑の夢』は老主人が話し好きということで有名だった。いい人には違いないのだが、無理矢理にでも会話の主導権を握らないと、話を聞かされ続けることになる。
噂ではその昔、一晩中話を聞かされ続けた客がいたという。真偽のほどは定かではないが、老主人を知る町の住人のほとんどは真実だと信じて疑わなかった。
「この間もねえ、隣の家の息子が水桶を振り回して踊りだしてねえ」
話に割り込む隙を伺っている間に、どんどん話題が変わっていく。早く用件を言わないと陽が暮れてしまう。ナナリノは意を決して話を遮った。
「すいません! ここに泊まっているキャソから来た商人に会いたいんですけど、どこにいるか知ってますか!」
「な、なんだい、急に大きな声を出して。商人かい? それならもうキャソに帰っていったよ。半刻くらい前だったかな。予定より早く目的の品が手に入ったみたいだねえ」
老主人は大声を上げたナナリノに眼を瞬かせて驚きつつも、質問に答えてくれた。
「ところで、そこの仕立て屋なんだが――」
「ありがとうございました!」
また話を再開させようとした老主人に礼を言って、ナナリノは宿を飛び出した。
「商人なら荷を傷付けないために地竜を歩かせているはず」
全速力で町の入り口まで走り、警備隊用の地竜が繋がれている厩舎に駆け込む。一番近くの地竜の綱を解き、飛び乗った。
「おい、どこにっ」
「任務なんです! すぐに戻りますから!」
驚いた地竜の世話係が慌てて止めに入ったが、ナナリノは彼の制止を振り切って町を出た。
兵士の砂漠での単独行動は厳禁とされている。
その理由はただ一つ。危険だから。
油断すれば兵士であっても簡単に命を落とす。砂漠の獣はそれほどに強く恐ろしい。
しかし、ナナリノの頭からはそのことが完全に消えていた。商人に会って情報を聞く。ただそれだけしか考えていなかった。




