11話 出航
夜三の刻。人々が寝静まり波音だけが繰り返し聞こえるティティマの港から、一隻の船が出港しようとしていた。
「ティナ、俺が戻ってくるまでにしっかり情報集めておくんだぜ。第二、第三との連絡も忘れるなよ」
船の乗員はヴォード、ダレス、ライカ、キール、それと第一騎士六人の合わせて十人。副団長のティアナンも甲板にいるが、彼はリムストリアには行かず、ヴォード不在の間、代わりを務めることになっていた。
「承知しています。こちらのことはお任せ下さい」
「頼んだぜ。シューヴとも仲良くな」
ヴォードがイシュヴェンの名を出した途端、ティアナンの顔がとてつもなく苦いものを口にしたように歪む。
「別に兄と仲違いしているわけではありません。あの人が真面目に職務に当たらないことが問題なんです」
真面目過ぎる弟と、真面目とは程遠い兄。二人を合わせると丁度よくなるのではないかと、ヴォードはいつも思う。
「ははっ、まったくお前らいい兄弟だわ。ま、なんかあったら連絡してくれ。よし、船を出せ」
ヴォードが合図を出すと、騎士たちが慣れた手つきで帆を張り、船を係留させていた縄を解く。
「お気を付けて……ライルさんも」
ティアナンは、ダレス、キールと並んで立っていたライカを見る。彼の視線には妙な熱が篭っていた。
ライカは、フェリシアが手配したダレスの相棒――子分役をするマールの双子の弟の何でも屋という、半分本当で半分嘘の設定で騎士たちに紹介されたキールの護衛ということになっていた。
ライルの姿をしたライカを見た騎士たちは、一瞬眼を見開いたものの、それ以上の動揺は見せなかった――ティアナンを除いては。
彼は面白いほどに狼狽えていた。何もない地面で躓いたほどだ。
実はティアナンは、以前からフェリシアの侍女ライカに並々ならぬ感情を抱いていた。顔には出さなくても、稀に会えた日は嬉しくて不眠になるくらい特別な感情を抱いていた。想いを告げる勇気などない。二十五を過ぎた男が何とも意気地がない話だが、ただ会って話せるだけで幸せだった。
そんなティアナンの前にライカとよく似た――本人なのだが――男が現れた。髪の色も仕草も、ましてや性別も違う人間。別人だと頭では理解している。しかし、ライカに対する想いが強すぎるせいか、どうしても眼の前にいる賞金稼ぎの男が想い人と被ってしまうのだった。
「ありがとうございます」
ライカが礼を言うと、ティアナンはさっと敬礼し、ゆっくりと動き出す船から飛び降りた。軽やかに桟橋に着地した彼は、しばらくの間、暗闇の海に消えていく船を見つめていたが、やがて踵を返し町へと戻っていった。
しばらくの後、第一騎士の間で副団長は同性愛者らしいという噂が囁かれるようになり、噂をばらまいた騎士六人には鍛錬という名のそれはそれは厳しい制裁が加えられたが、ライカとライルが同一人物だと知らないティアナンの部屋からは、時折「違う、私は違う」という声が聞こえてきたという。
「この二部屋を自由に使ってくれ。順調にいけばリムストリアには三日で着く。何もなくてつまらねえだろうが、まあ適当にくつろげよ。じゃ、俺は寝るわ」
向かい合う二枚の扉を指差したヴォードは、大きな欠伸をしながら廊下の突き当たりの部屋に入っていった。
残された三人の間に沈黙がおりる。ライカたちは三人。部屋は二つ。
誰と誰が同じ部屋になるのか。それは、途轍もなく重要な問題だった。特にダレスとキールにとっては。
「ルークさんはそちらをお使いください。私はキールとこちらを使いますから」
「いや、お前は一人で部屋を使うといい。俺がそいつと同じ部屋で寝る」
「いえ、それは」
「お、俺は、そのお二人が……何でもないっす」
騎士団長であるダレスが一人で一つの部屋を使うのが当然だと考えるライカ。本当はライカと同じ部屋になりたいが言い出せないダレス。ダレスと相部屋だけは勘弁してほしいが、かといってライカと相部屋にしてほしいとも言えないキール。
三者三様の思惑がぶつかり合い、なかなか決まらない部屋割り。それに終わりを告げたのはキールだった。
「う、ううっ」
両手で口を押さえて呻き声をあげるキール。緊張で吐き気を催したかのように見えたが、そうではなかった。彼の顔は今にも倒れそうなほど真っ青になっていた。
「キール!? ……もしかして船に乗るのは初めてですか?」
ライカの問いかけに小刻みに首を振って頷くキール。
「船酔い、ですね。騎士の方に薬がないか訊いてきますので、すみませんがキールを寝台に運んでいただけますか」
「……分かった」
小さく息を吐いたダレスは、気分が悪くて死にそうになっているキールを抱え上げ、片方の部屋に寝かせた。ライカはキールの看病をすると言い出すのだろうなと思いながら。




