1話 ある日のどこか
ヴァラファール大陸南方の国、リムストリア。
この国のある村で、一人の男が一心不乱に地面を掘っていた。
何日も何日も。
リムストリアは山と砂の国。水に恵まれている土地は少ない。王都を除けばほとんどの町や村は、常に渇きの恐怖に怯えていた。
恐怖は現実となって男の暮らす村を襲った。
村で唯一の井戸が涸れた。
村の者は雨が降るように祈った。
男は祈るかわりに地面を掘った。水が湧き出す奇跡を信じて掘った。手の皮が剥け、血豆が潰れても掘り続けた。
そして、奇跡は起きた。
「や、やった。はは、やった、やったぞ! 俺はやったんだ!」
地下から勢いよく湧き出す水に、男は泣きながら喜んだ。これでもう渇きに怯えなくてすむ。次はいつ雨が降るのかと怯えなくてすむ。
村は救われたのだ。
「早くみんなに知らせないと。ん、何だ、これは……?」
村に戻ろうとした男は、足許に見慣れないものが落ちていることに気が付いた。地面を掘っているときにはなかったものだ。湧き出す水に押されて地下から飛び出てきたのだろうか。
どうして地面にあったのかは分からなかったが、男はそれを拾い懐にしまった。何故なら、男が今まで眼にしたもののなかで、一番綺麗だったから。
その綺麗なものが、何であるかを知る由もなく――
わたしは一人
誰とも話さず 誰とも語らず
誰とも会わず 孤独を生きる
花に 草に 風に 大地に
海に 砂に 月に 星に
愛を注ぎ 慈しむ
だけど陽光だけは 愛せない
その眩しさは わたしの鼓動を止め
そのぬくもりは わたしの息を止める
わたしは独り
喜びも感じず 幸せも知らず
涙も流さず 静寂を生きる
春が 夏が 秋が 冬が
朝が 昼が 夕闇が 夜が
訪れては 消えていく
だけど未来だけは 訪れない
優しき骸が わたしを呼び止め
哀しき骸が わたしを繋ぎ止める
悠久の檻に囚われ 永劫の褥に眠り
不変に惑い 不変に沈む
それでも
それでもわたしは 光に憧れる
全てを打ち消す 終焉の光に
ヴァラファール大陸の隅にひっそりとある、忘れられた村の寂れた酒場。くすんだ赤色のドレスを着た女が、かすれた声で歌っている。聴かせるつもりがあるのかないのか、声量はないに等しい。呟きよりもやや大きいといった程度だ。
だが、それがこの歌には合っていた。
「終焉の光、か」
酒場の隅で一人酒を飲んでいた男が、ぽつりと呟いた。男の顔には額から左眼、頬にかけて大きな傷痕があった。しかし、誰一人として男の存在を気に掛ける者はいなかった。
いや、男だけではない。ここにいる人間は皆、誰とも話さず誰とも語らず孤独を生きている。誰かといても孤独を感じている。孤独を望んでいる。
それが、どれほど幸福で、どれほど不幸なのか。忘れられた村の人間は、誰も知ろうとはしなかった。
「檻に囚われているのは、きっと俺なのだろうな」
気付いたところで何も変わらない。目的を遂げるまで男が歩みを止めることはなく、目的を果たすまで男は何度でも同じ選択をするだろう。全てを失ったあの日に決めたのだ。いかに卑劣でも、いかに残虐でも、決して迷いはしないと。
しかし、歌を聴いた男の一つしかない紅の眼には、哀しみの色が浮かんでいた。