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弐之語部

 昨日の事故の事が頭から離れない。

 あの後は講義を受けてもバイト先で仕事をしていても"心ここにあらず"と言った状態が続いてる。

 いや、事故の事がと言うよりも、あの着物姿の彼女の事が頭から離れないと言ったほうが正しいのかもしれない。

 事故の時間を言い当てた事や男性の傍でとった不思議な行動の事も気になるが、それよりも彼女が最後に見せた悲しみの表情が俺の心に鋭く突き刺さっていた。


 当たり前の事だが、女性の涙や泣き顔を見るのは今回が初めてと言う訳じゃない。

 痴話喧嘩で女性を泣かせてしまった事なんて過去を振り返れば数え切れない程……


 ………………


 すまん、見栄を張ってしまった。

 男女交際などと言う楽しいイベントを小、中、高と通して経験した事の無い俺は、当然の事ながら痴話喧嘩をした経験もなければ目の前で泣かれた経験も無い。

 しかしだ、教室の向こうの方で泣いてる女子を見たり、テレビのドキュメンタリー番組やドラマで女性の泣き顔を見た事くらいはある。


 でも……

 昨日の彼女の表情は俺が今まで見たどの泣き顔よりも悲しく、つらそうに見えた。

 うまく説明出来ないけど、見ている俺自身も悲しくなってくると言うか、胸が締め付けられると言うか、そんな感じがしたんだ。


 彼女にもう一度会いたい……

 会ったからと言って何かが進展する訳では無い事くらい言われなくても分かっている。

 疑問に思っている事を聞くどころか、声を掛ける事すら出来ないかもしれない、でも……

 今までだったらこんな事は考えもしなかったと思うが、何故か今日は何も行動をしないでじっとしている事が耐えられない、そんな気持ちがどんどん溢れてくる。


 あの時間にあそこに居たと言う事は午前の講義を選択してるのかもしれない。

 もしそうでなくても車や自転車ではなく駅から歩いて大学まで来ていたのは確かなんだから正門前で待っていればまた会えるかもしれない、そんな想いで俺はいつもより早めに大学へと向かった。


 さすがに三時間も早いとまだ生徒の姿はほとんど無い、少し早すぎたか。

 この時間だといつもの店もまだ開いてないので俺は正門前に陣取ってこちらに向かってくる学生の顔を食い入るように見る事にした。


 四時間くらい経過し生徒の数も疎らになってきた頃、俺は重大な事に気づいてしまった。

 昨日は喪服だったから人ごみの中でも浮いて目立っていたが、あれが普段着だとは到底思えない。

 と言う事は今日は別の服装になってると考えるのが当然だが、そんな状況で簡単に見つける事が出来るのか? ましてや髪型を変えられてたり化粧をされてたら、女性に縁の無かった俺がこの人ごみの中で探し出すなんて出来るのか?

 そもそも彼女も同じ大学の学生だって前提で考えていたが、それ自体が間違いだとしたらどうする?

 たまたま校内に知り合いが居て忘れ物を届けに来ただけとか、そんな可能性もあるんじゃないのか?

 もしそうだとしたら、いくらここで待っていても会えない、と言う事に……


 あぁ~! 時間を無駄にした~!


 はぁ……

 全身を例えようの無い脱力感が襲ってきた……もう駄目だ。

 俺は肩を落としたまま教室へと向かい、いつもの席へ座った。


 "いつもの"と言っても別にこの席に座らなければいけないと決められてる訳ではない、ただ三階にある教室から外を眺めるのが楽しいので入学以来ずっと窓際の一番後ろの席に座ってる訳なんだが、不思議とここは空席になってる事が多く今までここ以外に座った事は数えるほどしかない。


 一応講義には出席したものの、やはりこんな状態では何を聞いても頭に入ってこない。

 脱力感の抜けないままボンヤリ窓の外を眺めていると何やら異様な雰囲気が伝わってきた。

 当然ガラス越しに外の音が聞こえる筈ないんだが、妙にざわついてると言うか、慌しいと言うか、人がどんどん集まって来てこちらを見ているように思える。

 しかし少し様子がおかしい、集まっている生徒の顔をよく見ると、その視線は俺の居る教室ではなくもっと上の方に向いていることが分かる。


「みんな何を見てるんだ? 屋上に何かあるのか?」


 生徒の何人かが眼を背け、手で顔を覆ったその瞬間、目の前を黒い影が上から下へとよぎった。


「な! 何だ今のは?」


 状況が掴めず焦っているその時、頭の中に彼女の声が甦ってきた。


 『あの女の人……可愛そうに……明日の午前十時二十五分……転落死……』


 慌てて時間を確認すると腕時計の針は十時二十五分を示している。

 ま、まさか……嘘だよな。


 教室を抜け出し、急いで階段を駆け下り校庭に出るとそこには見覚えのある女性が……

 そう……昨日あの交差点で見た女性が血まみれで横たわっていた。


 人が大勢押し寄せ、叫び声で騒がしい筈なのに妙な静けさに包まれた空間……昨日のあの時と同じだ。

 そんな中、着物姿の彼女が人ごみを擦り抜けるように歩いてきた。

 そして横たわる女性の横まで来ると昨日と同じように小さく一口だけ息を飲み込み、淡く、青白い光に包まれた。


 何か言わなきゃ……

 言いたい事、聞きたい事がいっぱいあった筈なのに……いざとなると何も言葉が出てこない。

 どうしてなんだよ、情け無い! 早く何か言えよ!


「あ、あの……」


 精一杯の力を振り絞ってやっと出た言葉に彼女は気づいてくれた。

 少し驚いたように俺の方を振り返ったが、その表情はすぐに悲しくつらいものになった。

 その悲しみの表情は死人に対してのものだと思っていた。

 今まで俺が見てきたどんな表情よりも悲しそうに、つらそうに見えたのは彼女が知人の死に直面していたからだと思っていた。


 なのに……


 なのにどうして俺を見る時もそんな悲しい目をするんだよ……



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