第6話
夢を見ていた。昔の夢だ。
ボクが飛行学校に通っている時の夢だ。
ボクは練習機で洋上を飛んでいた。その時は単独飛行で、教官を乗せずにボク1人で飛んでいた。
心細くはない。かえって自由だ。決まったコースを飛ばなければならないが、怒声もほめ言葉もない、静かで、孤独な飛行だ。
孤独を嫌う人間はいる。だが、孤独の何が悪いのだろう。人間、最期は1人でしか死ねないのだ。仲間でつるんでも、最期は1人なのだ。
いづれ孤独になるのだから、今から孤独でもそう、変わらないだろう。
空は相変わらず灰色が混ざったような鈍い青色だ。今にも落ちてきそうだ。
その時、エンジンから煙が上がる。メーターをチェック。燃料の供給をストップさせてエンジンを切る。このままだと落ちるのは空ではなく、ボクだ。
無線で教官にエンジントラブルを報告する。教官からは機を捨てて脱出せよと命令された。
しかし、まだ機速はある。おまけに押し風だ。
海岸線に着陸できると報告すると、しばらくして着陸の許可がおりた。
機体を捨てるくらいなら、共に墜落したい。そう思った気がした。
失速させないように気をつけてグライダーのように飛ぶ。カモメのように、緩やかに飛ぶ。
エンジンが止まったために静かだった世界がさらに静かになる。
楽しい。このまま墜落してもいいかもしれない。そう思えるくらい楽しくて仕方が無い。無性に歌が歌いたい。だがどの歌の歌詞も頭から抜け落ちて歌える歌がない。
機体は上手く海岸線までたどり着く。
緩やかに降下。波で湿って締まった砂浜に着陸する。滑走路と違って大きな凸凹が機体を揺らす。
飛行機が止まった。無事に着陸してしまった。
ボクは無線で海岸に無事着陸した事を伝える。救助が来るまで待つことになった。
飛行機から離れた場所でポケットに入ったタバコをつける。
だが海風によって中々火がつかない。しょうがないので飛行機を影にして火をつける。何とかついた。
海岸線を見ながら煙を吸い込む。
海は青というより黒や灰色に近い青色だ。空のようだ。濁った波が壁のようにそそり立ち、重力に負けて弧を描いて海を叩きつける。波はやがてひしゃげて砂浜を舐めていく。
あの波の内、1つでもこの飛行機とボクを海の彼方に誘ってくれる波は来ないだろうか。
海に吸い込まれて、あの波の、あの泡のように海に溶け込めないだろうか。
ボクを吸い込んで、ボクという存在を希釈してくれないだろうか。いやボクを消し去ってくれないだろうか。
波になるために1歩、また1歩と波打ち際に歩む。足首まで浸水する場所で、ボクは足を止めた。いや、止められた。動けないのだ。これ以上、一歩も進めない。壁や紐も無い。
だが1歩も動けないのだ。
ボクは、波になれない。
サイレンが聞こえた。救助だろうか。視界がかすむ。
気がつけば闇の中にいた。汗をかいている。
サイレンは救助隊のものではなかった。
基地に設置されたスピーカーからだ。
ボクは跳ね起きてズボンをはき、ブーツに足を滑り込ませる。紐は適当にグルグルと足首に巻きつける。
フライトジャケットをつかんで外に出る。
頭上を大きなエンジン音が通り過ぎる。
敵の四発重爆撃機だ。
急いで宿舎近くの防空壕に滑り込む。
防空壕にはすでに多くの人間が潜んで、ムッとする空気が充満していた。
空を切る音がした。地震、爆風。敵が爆撃を開始した。機体は無事だろうか。
近くで爆発が起きた。もしかするとこの防空壕を直撃するかもしれない。
ボクの真上に爆弾が降ってきて欲しいという願望があった。
しかし、それは叶わなかった。
1時間くらいたっぷり爆撃して爆撃機は去っていった。
飛行場は大きくえぐれて、格納庫のいくつかは火災を起こしていた。しばらくは空襲警戒が続いたが、夜明けと共に解除された。
消防車が鎮火に努めている。
「お! ヨシミ! 生きていたんだ」
「ミノリこそ。派手にやられたね」
「滑走路は午前中までに復旧するそうだよ。あと『サイウン』は無事だよ。もう1機は格納庫に直撃してお釈迦だけど」
運がよかった。いや悪かったのか。当たるなら、ボクに当ててくれればよかったのに。
司令部は報復爆撃を企図した。
そして爆撃地の偵察を命じた。
ボクはまだ、生きていた。