無人島
1、無人島
波の音が聞こえる。
顔に水が触るのが冷たくてくすぐったい。
首が痛い。頭が痛い。
ていうか、全身が痛い。
口がしょっぱいしじゃりじゃりする。
目が腫れてて、開けづらい。
眩しいのもあるけど。
真っ白な砂浜……だね。
何でこんなところにいるんだろう?
真っ白な砂に、澄んだ青い水。リゾートみたいだけど。
必死に力をいれて仰向けになる。
なにしろ身体がガチガチになって動きづらい。
ああ、青い空。それに白い雲。
素敵なリゾートじゃないですか。
すこしまどろんじゃったりする。
じりじりと肌をさす日差しに違和感を覚える。
…………あれ、シドニーを出た時は冬の7月で、バンクーバーに着いてもそう暑くないって聞いてたんだけど。日差しが熱い。
そうだ、飛行機乗ったなあ。
乗ったら落ちたんだっけ。
死ぬかと思ったよ。
タカシは、他の人はどうなったのかな?
ここ……どこ?無意識に携帯電話を探す手。
あ、財布も携帯もハンドバッグの中だ。バッグは飛行機か……濡れて動きづらくなったジーンズのポケットにはハンカチとキーホルダー、濡れてひとかたまりになったティッシュだけ……
私はようやく起き上がった。それはもう、全身がひどい痛みだったけど、吐き気を堪えながら胡坐をかいた。グラグラする頭を起こして、沖のほうを見る。
見渡す限りの水平線。白い波。
海と反対側、振りかえると、今の私の後方には天頂が赤い岩場になっていて、その周囲が木々の緑でこんもりとした山がある。
右手はと見ると岩でできた崖でゴツゴツしてるし。
とりあえず左側--湾曲した砂浜--に移動してみようか。
海水でしばしばする目を涙で洗い流して、ぼやけた視界が戻ってきた。吐き気も去ったところでゆっくり立ち上がってみる。
はあ、ツライ。立ちくらみでグラグラする頭を前かがみにして、足を引きずるようにして歩き出した。
「はあ、はあ……」
さっきから前を向いて歩き続けている。崖が遠ざかってからあまり景色が変わったように見えないが、後ろを振り返れば、ずっと足跡が続いている。それも所々で波に消されている。何か目印でも置いてくれば良かったと思っても、後の祭りとはこの事だ。
しばし立ち止まって膝に手をつき、息を整えていると、はるか前方に腰掛けるのにちょうど良さそうな岩があったので、そこを目標にする。
急いでもしょうがないと思い着実に進んでいくと、岩の影に何か黄色いものが見え隠れしていた。
「あれ、救命胴衣?!」
私が着てるのとそっくりな黄色だ。
駆け寄ると果たしてそこには人が倒れていた。仰向けで大の字になっているのはアジア系の男性で目をつむって苦しそうな顔をしているものの、胸が上下しているから生きてはいる。
「もしもし、お兄さん大丈夫ですか?」
肩を叩きながら聞いた。
すると、喉をごろごろと鳴らし咳き込む。それからまぶたを懸命に動かして目を開けようとしている。
「無理しなくていいですよ、どこか痛いところありますか?」
「足……おかしいんだ」
目は開かないまま、低くかすれた声で訴えた。
「足……」
私は顔を向けると、ひざ丈のハーフパンツからでた左のスネが腫れて赤黒くなっている。波うち際で水から出たり入ったりしている膝下は力なく揺られており、左右のスネの太さが倍ほど違う。擦過傷は見られるが、大きなキズはない事から骨の異常が見て取れる。命にかかわる感じではない。
「他に痛いところはないですか?気分が悪かったり、めまいがしたりとか?」
男性の手や胴、なんともなさそうな右足などを触ってみたが、
「左足だけみたい」
という返事だった。
まあ一応医者の資格を持っているからには、応急処置的なことしようかな。
両手でしたまぶたを押し下げる。
「これ目だけで追ってください」
立てた人差し指をゆっくりと左右にに動かす。ちゃんと目で追うことができる。
うん、頭は打ってないみたい。
じゃ、足の固定をしなくちゃね。
「すこし待っててください。動かないで」
というと、お兄さんは目をつむったまま力なく片頬をあげ、
「動けと言う方が酷でね」
と嫌味な言い方をした。
あんまりいい性格じゃなさそう。
固定板、包帯、水、ガーゼ、担架、麻酔……最低限必要なものをぶつぶつと口で唱えながら探す。
ただ、欲しいものはこんなところにありそうもない物ばかり。
「あーもう、どうすりゃいいのさ」
入った浜側から迷わないように、振りかえり風景を確認しながらながらまっすぐ山に向かう。
砂地がだんだん葉っぱの堆積に変わる。するとなめらかな枝の常緑樹があったので、ごめんなさいを言いながら、なるべくまっすぐな部分の太枝を、体重を掛けて折った。そして、木に絡まっていたあまり太すぎないつる植物をつかんで引きちぎる。うん、ちと匂うがこれで患部の固定ができる。
近くにあった、いかにも南国って言う大きな葉っぱを一枚折ると地面に置いてその上に収穫物を置いた。
もう少し奥に群生しているシソ科の植物に似てて、柔らかそうな葉っぱを取る。すこしもんで匂いを嗅ぎ、そしてちょっと舐めてみる。うん、大丈夫そう。鷲掴みにしてそれも、収穫の山に加える。
そして大きな葉をもう三枚採ると、脇に抱えてお兄さんのところへ急いで戻った。
「戻りましたよ。生きてますか?」
今、気絶してたらまずい。
「死ぬ」
冗談言う元気があって良かった。
見ると顔色は悪いものの、意識がはっきりしたようだ。私のことを凝視している。
「まず海からあがりましょうか」
と大きな葉を一枚、お兄さんの横においた。
「この上に移動できますか?」
お兄さんを手伝って足を動かさないように、葉の上に移動させると、後ろから脇の下に腕を差し入れ、左足に負担がかからないように葉っぱごとゆっくり後ろへ引っ張った。
するとお兄さんはものすごい悲鳴をあげた。あまりに声が大きいので、「おお、ビックリした」なんて間の抜けた事を言って、波がこないところまで引きずった。
「痛いですね。ごめんなさいね。今固定しますからね」
そう気を紛らわすように話しかけながらも、集めた材料を、処置しやすいように加工する手は休めない。
その間、絶え間なく声を掛け続けたので、お兄さんの名前がわかった。ワカヤマ(漢字不明)、国籍日本。私も日本人だというと少し驚いていた。アメリカ育ちだからそう見えないという人も中にはいる。けど、そんなに驚くほどじゃないと思う。
髪型とか化粧とかで国籍不明な感じなのかな。
すぐに固定して日陰に連れて行きたい。日焼けしちゃう……じゃなくて、飲み水の確保ができてない今、水分が失われるのは避けたい。
「ワカヤマさん、今から足の固定するから。ごめんね、ものすごく痛いと思う。でも左足だけは動かさないで。絶対!我慢して!わかった?」
「うう……」
私は束ねておいた細い枝を、救命胴衣でくるむとワカヤマの口元に持っていく。
「ワカヤマさん、口開けて」
開いた口にそれを噛ませ、
「これを思いっきり噛んでいて。痛みなくなるから」
と大嘘を言った。足の傍へ座り込む。
用意しておいたもので、うまく処置できますように。目を閉じ大きく息を吐き出す。
自分を一発張って気合いを入れた。
「よっしゃっ」
終わった時にはボロボロでずぶ濡れだった……私が。
「我慢しろって言ったろうが!コンチクショウが!お前なんか×××で×××××だ!くたばれ!××で、ひいひい言わしてやる」
この時ワカヤマは足の固定の痛さで、ひいひい言ったあと気絶していた。
私はひいひい言っていたワカヤマの元気な方の蹴りが顔面に入って、海に突き落とされ、目の周りに青タンができていた。私が気絶するかと思った。
そんな状態で、担架がわりに、大きい葉っぱでソリのようなものを作って、彼を載せて運んでいた。
日陰に運び入れ、自身の切れる息を整えようと座りこんだ。流れる汗を腕で拭い一息つくと、冷たい風を楽しむ。
ああ心地よい風だこと。ここにボストン・クーラーがあったら、いくらでも払うのに……
どう見てもリゾート地で、気分はうっかりバカンスだ。
でも、ぼやぼやしてられないんだった。水を見つけないと遠からず呑む必要はなくなるんだ!そんなのいや。