63話
真っ暗闇から放り出されたフィーナは、そのまぶしさに目を細めた。
地面は冷たく、付いた手が霜焼けをおこしてしまいそうだと感じた。
しかし今のフィーナには、それに構っている余裕は無い。いち早く視界を取戻し、現状を理解しなければならない。
なぜなら、フィーナは氷海龍に連れ去られたからだ。
今自由にさせられていると言うことは、すぐに殺される訳では無いのかもしれない。しかし相手は邪神級。何をされるか分からない。
相手にとってはほんの遊びでも、人間の身には殺人級の被害になることなどざらにあるのだ。
「ここは……」
細められた目を懸命に広げ視界を確保する。
まず目に入って来たとは氷でできた一面の壁。表面に凹凸は見られず、磨き上げられた鏡のようにフィーナの姿を反射している。
そして周囲を見回そうとすれば、ここが地下であることを証明するかのように、天井は土で覆われていた。
その土ですら氷におおわれている。
どうやらここは半球状の空間の様だと判断する。一部の地面が水になっていることから、そこから氷海龍は出入りしているのだろう。そして自分もそこから連れ込まれたと考える。
自分が飲み込まれてからどれぐらいの時間がたったかは分からない。しかしそれほど時間は経過していないように思えた。
「割と近くの島。やはり民話にあった氷海龍の巣なんでしょうか?」
凍った地面に気を付けながら立ち上がる。
そして背後に巨大な気配を感じた。
とっさに振り返れば、目の前についさっき自分を飲み込んだ存在がいた。
氷海龍は氷で出来た薔薇のような物を囲むように体を曲げて中を覗き込んでいる。
その姿に、先ほどまでの恐ろしさは見受けられなかった。むしろその逆。どこか優しさすら感じられた。
しかしフィーナが目を覚ましたことに気付いたことで、その雰囲気は一変する。
『起きたか、娘よ』
グルルと低い鳴き声は、フィーナの脳内に言葉として入って来た。
『さあ、早くその氷の加護を与えるのだ』
「あの……何のことですか?」
『早くするのだ!』
氷海龍は焦ったように声を荒げた。その気配だけで辺りの空気が揺れる。しかしフィーナは負けじと声を張り上げた。
「説明してもらわなければ分かりません! 氷の加護をどうしろと言うのですか! 私に何をさせるつもりですか!」
その声は震えていたかもしれない。しかし声を出せただけでも凄い事なのだ。
相手は邪神級。一度その威圧感を目の前に受けていたからと言って、普通口答えができるような相手ではない。
日頃常識はずれの存在を、近くから見ていたからこそ成せる業であった。
『……そうだったな。人間は知らないのだったな。許せ娘よ。娘には人間が魔力と呼ぶものをこれに与えてもらう』
フィーナの声に、少し落ち着きを取り戻したのか、氷海龍が説明をする。
氷海龍が示すのは、その体の下にある氷の薔薇のようなオブジェだ。
それにフィーナの魔力を与えろと言っているのだ。
魔力の放出自体はそれほど難しいものではない。しかし同時にかなり危険な物でもある。
魔力が星の加護を使うために必要な発動キーなのと同時に、魔力は生命そのものの起点でもある。
もし魔力を使いすぎれば、意識を失うこともあるし、下手をすれば死ぬことすらある。
普通ならば、よく分からない氷のオブジェなどに、命令されたからと言ってやるようなものではない。
しかしこの現状。魔力の使いすぎで死ぬのか、はたまた命令を無視して殺されるのか。
氷海龍が何の目的で自分を攫ったか分からないが、逆らえば殺される可能性もフィーナは考えた。
そして天秤に掛ける。
魔力の使い過ぎで死ぬ可能性と、言うことを聞かずに殺される可能性。
フィーナは生きることのみを考えて、天秤を図る。必ずトーカとリリウムが助けに来てくれると信じているからだ。
ゆえにフィーナは、命令に従うことにした。
少しでも長く生きている可能性を残すために。
「分かりました。魔力を与えればいいんですね」
氷の薔薇のような物に近づき、両ひざをついて手をかざす。
そして意識を集中させ、フィーナは魔力の譲渡を始めた。
「ばあちゃん、ちゃんと見ててくれよな!」
俺は家の近くにある1本の木に狙いを定め、腕を振り抜く。
ドスンッと重い音がして、木の幹を半分ほど抉った。
「どう? 前より強くなったでしょ!?」
「そうだね。夏の時より凹む大きさが広くなってるよ。これなら来年の夏には倒せるかもしれないね」
「やった! 楽しみだな!」
俺は今、冬休みを利用して山奥にある祖父母の家に来ていた。
理由は両親に家から追い出されたからだが、そんなことは気にならない。もとより俺にあまり関わろうとしてくれない親なのだ。それならばいつも俺のことを見ていてくれる、ばあちゃんたちの所にいた方が楽しいに決まっている。
そして今やっているのは、毎回祖父母の家に来ると恒例になってる力調べだ。
他の子は家の柱で背比べをやっているらしいが、俺はそんなことに興味は無かった。
俺が今1番ハマっているのは、この力調べだ。
ここに来たときに1回、そして帰る時に1回ずつ木の幹を全力で殴る。その時に出来た樹の凹みで自分の力がどれだけ上がっているのか調べるものだ。
家や学校、公園じゃ絶対に見せられないことだけに、ここに来た時だけ思いっきりできるこの遊びは、俺の数少ない楽しみの1つである。
これをやり始めて早4年。来年小学6年生になるころには木を殴り倒せるだろうと聞いて、来年が楽しみでならない。
「じゃあ、恒例行事も終わったし、家に戻ってごはんにしようかね?」
「うん!」
俺はばあちゃんの後に付いて家の中に入っていった。
家の中は昔ながらの畳と襖でできた日本家屋である。ところどころ傷みが出てきているが、じいちゃんばあちゃんでは自力で直すことができないらしく放ってあるらしい。
俺が大きくなったら必ず直すと約束している場所もいくつかある。
そんな家の居間で、じいちゃんは新聞を読んでいた。
「じいちゃん!」
「おう、来たか桃花。今回はどうだったよ?」
「半分凹んだ! 来年は倒せるかもしれないって!」
「そりゃ楽しみだな」
「うん!」
じいちゃんは綺麗なつるっぱげだ。そして歯も真っ白である。
得意技に、ハゲと歯を同時に輝かせることと言うよく分からない技を持っていたりするが、飯ん時にいきなりやられるとスゲー笑えるから怖い。
思わず吹き出すとばあちゃんがすごい怒るのだ。そしてじいちゃんともども一緒に正座で反省させられる。
全面的にじいちゃんが悪いはずなのにとんだとばっちりだ。
ばあちゃんの作るご飯は言っちゃ悪いが質素だ。
一汁三菜を主として、ご飯は雑穀米だし飲み物は緑茶。食卓に肉が出ることは稀で、ほとんど魚である。
育ちざかりの俺としては少し物足りないものがあるが、コンビニ弁当ばかり食べている俺としては、多少楽しみの1つでもある。
特にばあちゃんの作る糠漬けは最高で、それだけで雑穀米がいくらでも食べられそうである。
そんな飯を食べながら、俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。
「なあ、なんで俺の名前って女っぽいの?」
その質問は親には怖くて聞けなかった質問でもある。
「桃花の名前の由来かい?」
「そうそう。桃花なんて女の名前じゃん。学校でスゲー笑われたもん。先生にも直接会う前は女だと思われてたし」
俺はブスッと頬を膨らませる。
名前でからかってきた奴はぼこぼこにしてやったが、それでも学年が上がるごとに俺の名前をからかってくる奴は後を絶たず、毎回俺の心に小さな針を刺していった。
「桃花って名前は、桃花のお父さんが決めたもんだよ」
「そうだったな。確か桃花と初めて対面した病室から、桃の花が咲いているのが見えたらしい」
「……」
「どうした?」
「それだけ?」
「それだけって?」
「もっと何か意味とか無いの?」
「あいつは馬鹿だからな。そんな深い意味など考えずにつけたのだろう」
「そうね。あの子馬鹿だからね」
父さんが知らないところで思いっきりバカにされているが、そんなことは俺には関係ない。
問題は、俺の名前の由来に意味が無かったことだ。
「どうしよう……冬休みの宿題に名前の由来を調べて作文にしないといけないんだけど……」
「おや、そうなのかい」
「うん」
今回名前のことを切り出した理由はこれだ。小学5年生にもなって今更名前の由来だなんて遅いと思うが、先生曰く色々な言葉の意味を知るようになった今だからこそ、自分の名前の意味をもう一度考え直すいい機会になればいいだそうだ。全く意味が分からない。
とにかくそういう訳で作文を書かなければならないのだが、名前の由来が病室から桃の花が見えたからでは作文にならない。
すっかり困ってしまった俺を見かねたじいちゃんが、口を開いた。
「確かにあの馬鹿は深く考えずに名前を付けたのかもしれん。だけどな、桃の花には凄い意味があるんだぞ?」
「凄い意味?」
「花言葉って知ってるか?」
花言葉。それは俺も聞いたことがあった。
花に意味を持たせて、相手に送ることでその思いを伝えるものだって国語の教師が言っていた気がする。
それを言うと、じいちゃんはそんなもんだと言って続ける。
「桃の花にも花言葉があるんだぞ」
「ど……どんなの?」
少し緊張した面持ちでじいちゃんの言葉を待つ。
「チャーミング」
「そんなー!」
「まだあるぞ? もう1つは、私はあなたのとりこ」
「それもやだー!」
「桃の実ができれば愛嬌なんてのもあるぞ?」
「それ全部女用じゃん!」
ことごとく男には似つかわしくない花言葉である。
じいちゃんは俺の意見に笑いながら「けど」と続けた。
「けど、桃の花にはもう1つ花言葉がある」
「どうせそれも女向けなんだろ?」
俺はいじけながら、それでも僅かな期待を残してじいちゃんの言葉を聞いた。
「最後の1つは――」
「1つは?」
「天下無敵だ」
「へ?」
「天下無敵。最強ってことだな」
「な……何だぞれ! スゲーカッコいい!」
「だろ? 桃花にピッタリじゃないか」
「マジだ! 俺最強だし!」
「だから作文にするならそのことを書けばいいと思うぞ?」
「うん! そうする! にしてもじいちゃん花言葉詳しいんだな!」
普通桃の花の花言葉なんて知らないだろ? せいぜいバラとかユリとかひまわりとかを知ってる程度だろうし。
それを聞くと、隣で俺たちの会話を聞いていたばあちゃんがくすくすと笑いながら言った。
「じいちゃんね。私にかっこよくプロポーズしたくて、色々花言葉を勉強したのよ」
「わ! それを言うな!」
じいちゃんは慌ててばあちゃんの口を閉じようとするが、時すでに遅し。俺はしっかりと理由を聞いてしまった。
「じいちゃんロマンチスト?」
「煩い! とにかくお前の花言葉は天下無敵だ。なら名前負けしないようにそれに見合っただけの力と心を育てないといけないぞ」
「力と心?」
「そうだ。力はお前が育てば必然的についてくるだろう。今でも普通の子より力持ちだからな」
「もちろんだ!」
「そして心だ。心が育たなければ、ただ暴れるだけの化け物になるぞ?」
「化け物? 化け物はやだ!」
学校でこの力を見せびらかしていた低学年の時。俺はよく化け物と呼ばれていた。
喧嘩して友達をぼこぼこにした時、その仲介に入った教師を殴り飛ばした時、そして呼び出された親が俺に向けて言った言葉。
3人ともが俺を化け物と呼んだ。
そんなの絶対にやだ!
「なら心を育てるんだ。弱い者をいじめない。見下さない。大切なものを、死んでも守り抜く。そんなふうに、自分の心に1本筋を通して、絶対にそれを破らないと約束するんだ。そうすれば心は体と共に育っていく」
「うん! そうする! 俺絶対にいじめないし、見下さないし、守る!」
「ならお前は化け物にはならないさ」
そう言ってじいちゃんは俺の頭を優しく撫でてくれた。
その姿が徐々にぼやけていく。そして気付いた。
これは夢なのだと。
目を開く。視界がまぶしさにぼやけ思わず目を細めた。
「ここは……」
寝た状態のまま辺りを見回す。おそらく宿なのだろう。
簡単なタンスとテーブル。そして窓の外は町と海が広がっていた。
そしてゆっくりとさっきまでのことを思い出していく。
氷海龍と戦い、隙を突かれてフィーナを奪われた。そして追いかけようとして……
「そうか、俺はリリウムに止められたのか」
最後に見た光景は、リリウムが剣を振り抜いた姿と若干凹んだ鞘の形。そしてその時のつらそうな顔。
ならば俺は鞘で殴られたのだろう。
リリウムは、フィーナとの約束を守ったのか。
それは少し前に話していたものだ。俺が邪神級と戦おうとしたら、殴ってでも止める。もしあの状況で俺が海に飛び込んでいれば、確実に殺されていただろう。リリウムは、恨まれるのを覚悟でそんな俺を止めてくれたんだ。
今、落ち着いて考えれば、船の上での俺は馬鹿みたいだ。フィーナを攫われて、ただ暴れて、仲間まで傷つけようとした。
その上、振り抜く勢いで殴られて、やっと気絶する自分の体と、今はすでになんともない殴られたはずの後頭部を触って笑いがこみあげてくる。
こんな体してるのに、フィーナを守ることができなかった。
目の前で連れ去られるなんて大失態をしてしまった。
しかし、と頭を回転させる。少しでも助けられる可能性は残っているはずだ。
氷海龍はわざわざフィーナを生かしたまま連れ去った。なら生かさなければならない理由があったはずである。
氷海龍がフィーナを食うためにさらった訳じゃないことは何となく分かる。
あいつはフィーナのことを氷の加護に愛されたものと言った。ならその氷の加護がフィーナを守ってくれるはずだ。
氷の加護をどのように使うか分からない以上、ずっと安全というわけではないのだろう。だから少しでも早くフィーナの居場所を見つけて、助け出さなくてはいけない。
俺は天下無敵じゃなければならない。
大切な人を守れる人間に育つって、じいちゃんとばあちゃんと約束した。
ならそれは絶対に守らなければならない。家族との約束は絶対だ。
ゆえにフィーナの爺さんとの約束も絶対に守らなければならない。そうしなければ、俺の力の意味が無くなる。
俺がただの化け物に成り下がる。
「……ぜってぇ助け出す」
何をしても。その結果、他人にどう思われようとも。
ベッドから起き上がり、壁に立てかけてあったサイディッシュを手に、俺は宿の扉を開けた。




