62話
部屋から飛び出したフィーナは、火照った顔を冷ますために甲板に出ていた。
外の潮風はとても気持ちがいい。しかしそれでも尚足りないと感じたフィーナは、魔法を発動させる。
それは、子供のころから良く使っている簡単な魔法だ。
自分の周囲に極々小さな氷の粒を出現させ、空気を冷やすというものだ。
攻撃や防御に全く役に立たない魔法だが、生活するうえでは意外と便利で、寝苦しい夏の夜などはよく使ってテントを冷やしていた記憶がある。
「なんてことを……なんてことを……」
手で顔を覆いながら、リリウムが言った言葉を思い出す。
壁一枚挟んで、無意識の告白。しかも桃花はばっちり聞いていたと言う。何かの聞き間違いで済まされるものではない。
それにその後の言葉。
桃花が照れていることを考えれば、脈なしということではない。
むしろそんな状況なら、自分も桃花と同じ行動をしそうな気がすると、フィーナは思う。
「あー! 私はどうすればいいんですか!」
手をどけ、海に向かって声を上げる。
風のおかげで周りの乗客にはほとんど聞こえていなかっただろう。
しかしそんな事とは関係なく、周りの乗客や、警備の冒険者たちは全員がフィーナを見ていた。
正確にはフィーナの目と鼻の先。
今声が投げられた場所だ。
そこにはキラキラと輝く氷の粒が集まってきていた。
フィーナの魔法ではない。
フィーナの魔法では氷が一か所に集まることは無い。ましてや1つの大きな氷塊になることなどありえない。
風に流されて一瞬で溶けてしまうようなはかないものだ。
しかし船の手すりの外。海の上に浮かぶその氷は、その大きさをどんどんと大きくしていく。
少し遅れてフィーナもそれに気が付いた。そしてもう1つの事にも――
「え? 私の氷が……取られてる?」
さっきまで自分の周りに絶えず生成されては溶けていっていた氷が、今は全て氷塊に向かって進んでいく。
そして氷塊にぶつかった氷は、溶けることをせずそのまま中に取り込まれていた。
「なんですか……これ?」
その異常な光景に思わずつぶやいた瞬間、氷塊が鼓動した。
鼓動と同時に莫大な量の魔力が放たれる。あたかも心臓が血液を送り出すような強力な鼓動と魔力の奔流。
その流れにフィーナはその場で尻もちをついた。つくしかなかった。
立とうとしても、足が震える。腰に力が入らない。
周りを見回しても、一般の乗客は誰も同じような状況だ。
手すりにしがみつき転倒を避ける者。椅子にそのままどっしりと座り込んでしまっている者。甲板上に四つん這いで倒れこんでしまっている者。どれも人それぞれだが、共通して言えることは、その現象を起こした存在が今フィーナの目の前にある存在だと言うことだ。
かろうじで警備をしていた冒険者たちは立っている。しかしそれでも足は笑っていた。
そんな中1人の冒険者がフィーナに近寄ろうとする。氷塊がどのような存在か分からないが、とにかく危険な物だと判断し、動けなくなったフィーナをその場から離そうと考えたのだ。
しかしその行動は、氷塊の二度目の鼓動によって防がれる。
再び魔力の奔流が押し寄せ、近づこうとした冒険者に集中するかのように襲いかかる。
その衝撃は、物理的な物となって冒険者を船の縁に吹き飛ばした。
「大丈夫ですか?」と声を出すこともできない。
フィーナは、ただ圧倒的過ぎる目の前の存在が、徐々にその形を変えていくのを見ていることしかできなかった。
氷塊は2回目の鼓動と共にその姿を変化させ始めた。
最初はただの氷の塊だったものが、徐々に形を綺麗な球体状へと変化する。
そしてその球体はあたかも雛が殻を割って飛び出してくるようにゆっくりと罅が入り、そして割れた。
そこから現れたのは、1匹の龍。
表面は氷塊と同じように透明な氷を纏い、中は深い青色に包まれている。
鱗の1枚1枚が濃密な魔力を纏い、圧倒的な防御力を思わせ、その手から見える鋭利な爪は、太陽に怪しく輝いていた。
殻から出ている部分はまだ顔と腕、そして体の一部だけだ。それでも尚大きさは優に5メートルを超えている。
これは、どの動物とも魔物とも違うと言えた。存在そのものが別物であると、フィーナの直観に告げる。逆らってはいけないものだと心が訴えかけてくる。
そんな存在をフィーナは1つしか知らない。そしてつい先日聞いた話を聞けば、この存在がそれだと確信できる。
「ひょ……氷海龍」
タストリアの町を1日で廃墟に変えた存在。何かを探すように町を襲っていたらしい存在が今、目の前にいる。
そして氷海龍と目があった。
『見つけたぞ! 氷の加護に愛されしモノ!』
氷海龍が口を開き、声を上げる。それはただの叫び声だ。しかしフィーナの頭の中には、その意味が直接響き渡っていた。
その意思とも思える声の強さに、フィーナは耳を塞ぎ、蹲る。
『私と共に来てもらう!』
「なにを……」
何を言っているのか、そう言おうとした。しかしその声を出し切る前に、フィーナは氷におおわれていた。
正方形の氷の膜。それを見た時、フィーナにはこれを破壊することは出来ないと理解できた。
見た目はただの薄い氷だ。しかしその中身はとてつもない魔力が込められ、フィーナがたとえ全力で魔法道具の剣を振ったとしても、破ることはおろか傷1つ付けることは出来ないだろうと直感する。
氷海龍は、フィーナを閉じ込めたその氷の膜をゆっくりとつかみ上げた。
『私と一緒に来てもらう!』
もう一度それだけ言って、氷海龍は氷の卵から残った体を出そうとする。しかしそれを止めることができるものは、ここにはいない。
冒険者も2度の魔力の奔流によって足腰が立たなくなってしまっている。
悔しそうになすすべも無く連れ去られそうになるフィーナを見ながら、冒険者の1人が手を伸ばす。
その先に巨大な武器を持った男が降り立った。
武器を持って部屋を飛び出し廊下を走る。
その時、1度目の衝撃が来た。船が大きく揺れ、バランスを取るのが難しい。しかしお構いなしに床だけでなく壁も使って一気に走り抜ける。
目指す場所は2人の部屋だ。
異常事態になった時は、まず合流を第1にすることは3人で旅をする最初に決めたことだ。このルール俺を1人にすると色々やらかしそうだからという理由なのが少し残念だが、こういう時はすぐに方針を決められて便利だな。
階段を下り、2人の部屋がある階へ降りたところでリリウムがいた。
「リリウム!」
「トーカ! 何が起こっているか知っているか?」
「いや、知らねぇ。けどこの威圧感って魔力だろ? なら可能性は1つだ。それよりフィーナは?」
同じ部屋にいるはずのフィーナがいない。別行動してたのか?
「フィーナは少し前に部屋を飛び出してしまっていてな」
「飛び出した?」
何やってんだ? お前ら。
「とにかく今フィーナとは一緒じゃない。すぐに探さないと」
「だな。もし甲板にいたら少し面倒かもしんない」
「氷海龍か……巻き込まれてないといいが」
その時2度目の衝撃が船を襲う。それと共に叫び声と頭の中に言葉が響いた。
『見つけたぞ! 氷の加護に愛されしモノ!』
『私と共に来てもらう!』
「なんかヤバくね?」
「氷の加護に愛されしモノ、か」
「かなりピンポイントな気がするな。たぶんフィーナのことだろ?」
「そうじゃないと思いたいが……そうなんだろうな」
氷属性の星の加護、しかも1等星だからな。
ダンッと音がして床が少しだけ抉れる。しかしそんなことは気にせず、俺は甲板に向けて一気に駆け上がった。
甲板への扉を開け、外に出るとフィーナが透明な膜に覆われて氷海龍に捕まっているのが見えた。
やっぱり捕まってた!
飛び出した勢いそのままに、甲板を一歩で走り抜けその膜に駆け寄る。
龍らしき個体に捕まっているが、今はチラッと見るだけで無視する。
こいつが氷海龍か。かなりデカいな。
しかし自分の魔法に自信があるのか、俺がフィーナに近づこうとするのを止めようとはしていない。ただ傍観しているだけだ。それとも動けないのか?
氷海龍の半身は今だ卵のような氷の中に埋まっている。それが足止めになっているのだとしたらちょうどいい。
サイディッシュを展開させ、魔力を注ぐ。火花を散らし刃が回転を始めた。
「フィーナ、今助けるぜ!」
「トーカ!」
勢いを利用して、サイディッシュを思いっきり膜に叩きつける。
大量の火花が飛び、膜にサイディッシュが突き刺さった。その光景が予想外だったのか、氷海龍が叫び声をあげた。
『私の氷膜を破壊するだと!』
「魔法っつってもただの氷だろうが!」
そのままサイディッシュを振り抜く。それだけで氷の膜ははじけ飛ぶように消えた。
足場を失ったフィーナが海へと落ちそうになる。
そこに後から飛び出してきたリリウムが受け止めた。
「リリウム、ナイスキャッチ」
「落ちたらどうするつもりだったんだ!」
「そうです! 助けるなら最後まで責任もってください!」
「何とかなるって! 実際リリウムが何とかしたっしょ? それよりこいつだ」
俺はけん制しながらリリウムたちの場所まで戻る。
俺の攻撃に警戒度を上げたのか、氷海龍は迂闊に攻撃してくることは無かった。
正直助かった。もし問答無用で攻撃してきた場合、俺は耐えられるだろうが船が保つか分からない。
かなり大きな船だが、邪神級の攻撃を受けて無事でいられるとは思えないしな。
「氷海龍か。なぜフィーナを狙うんだ?」
「分かりません。いきなりあの卵みたいのが目の前に現れて、そこから今の状態に」
「生まれたってことかね? あの突然の魔力はこいつが現れたからだったのか」
「フィーナは大丈夫か? かなり濃密な魔力だが」
「正直きついです。今も腰が抜けちゃってて1人じゃ歩けませんし……」
フィーナはリリウムの肩を借りて、何とか立っていられる状態だ。戦闘はまず無理だろう。そしてフィーナを支えているリリウムも。
つまりここで戦えるのは、俺だけってことだよな!
『加護の娘をよこせ!』
突然氷海龍が動き出した。
卵が全て砕け、その全体像が現れる。
一言で言えば氷の龍だ。
蛇のように長い体。そこから小さく出ている両手と両足。そのすべては氷でできているようだ。
氷海龍はフィーナに向かって突撃する。俺は無視するってことか。
俺はフィーナと氷海龍の直線上に割り込み、サイディッシュを構える。
『邪魔だ!』
「あんたが邪魔なんだよ!」
俺と氷海龍が正面から激突する。
氷海龍は、俺の振るったサイディッシュを口で受けとめた。
氷海龍の口の中で、サイディッシュが火花を激しく散らすが、効果は見られない。熱には意外と強いようだ。
牙と刃がぶつかり合った時の衝撃波が、船を襲い大きく揺らす。
護衛の冒険者たちが一般人をすでに船の中に避難させていたため、船から落下する者はいない。
しかしこの衝撃、後何発耐えれるか分からないな。もちろん船がだ。
「リリウム。こいつ倒して良いよな?」
「出来るのか? 船はあまり保たないぞ」
「一撃で沈めれば……たぶん」
「たぶんじゃダメだろ! ここから陸まで遠泳させる気か!?」
陸は見える距離になるけど、泳ぐのはちょっと勘弁したいな。
「けどこいつはフィーナを狙ってるんだぜ? 倒さないとずっと追われそう」
「それはそうだが……トーカ!」
リリウムが考え込みそうになった瞬間、氷海龍が動きを変えた。
サイディッシュを銜えたまま激しく首を振るう。俺はそれに逆らい力を込める。
「簡単にはにがさねぇぞ?」
『貴様に用は無い!』
氷海龍の口元に魔力の集中を感じた。これはヤバい。
ただでさえ濃密な魔力が渦巻くこの場で、さらに魔力の集中を感じたのだ。その量は途方もないものになる。
魔力に物言わせて好き放題やりやがって。
今度は俺がサイディッシュを振り回し、氷海龍の口から引き離す。それと同時に氷海龍の魔法が発動した。
魔力が真っ白な霧に生まれ変わり、甲板のみならず船全体を包み込む。
ちっ……目くらましか。
やみくもにサイディッシュを振り回してみるが、霧が吹き飛ばされる気配はない。
もしかしたら霧ではないのかもしれないが、そんなこと今はどうでもいい。
あいつが狙っているのはフィーナだ。
最初あいつは、俺を無視してフィーナを攫おうとした。なら今、俺が奴を見失った瞬間を利用してフィーナを攫うために動く可能性は高いはず。
「フィーナ! リリウム!」
「ここだ!」
俺の声に対してリリウムが声を上げる。フィーナの声は聞こえないが、リリウムが焦った様子を見せてないことからまだフィーナは無事なのだろう。
声の場所を頼りにリリウムの元へ近づく。
「無事か?」
「問題ない。それよりトーカの方こそ大丈夫か? 氷海龍と真正面からぶつかっていたが」
「問題ねぇぜ。あれぐらいならいくらでも受けられる」
サイディッシュにも罅1つ歪み1つ無い。魔物の骨と特殊な金属を使ってるだけのことはあるな。
「そ……そうか。邪神級とも正面からぶつかり合えるのか」
「バカ言うなよ。あいつもこっちも全力じゃやってねぇ。そんなことしたらここら周辺吹き飛びかねないからな。あいつがフィーナを狙ってる以上、この船を沈めんのはヤバいってことは分かってるみたいだな」
俺がそう言うと、リリウムは驚いた表情で固まってしまった。
「全力じゃない……のか?」
「あたりまえ」
「そうか……」
リリウムはぶんぶんと顔を振ってから、フィーナに向き直る。
「フィーナなら無事だ。今は多少腰を抜かしているがな」
「すみません。そろそろ1人で動けるようにはなると思いますが」
「けどその時間はないっぽい」
俺は振り向きざまサイディッシュを振るう。
ガキンッと激しい音がして、サイディッシュが何かを受け止めた。
その衝撃で一瞬だけ周りの霧が取り除かれる。その瞬間に見えたものは、氷海龍の爪だった。
「やっぱフィーナを狙って来てたか」
「私たちは下がるぞ」
「おう、援護するからドアまで走りな」
「フィーナ行くぞ。つかまっていろ!」
「はい」
リリウムが半ばフィーナを肩に担ぐように持ち上げ、甲板の出入り口に向かって走り出す。そこにはすでに避難した冒険者たちが扉を開けて待ってくれていた。
俺は氷海龍がそちらに行こうとするのを押さえながら、リリウムたちが完全に扉の中に入るのを窺う。
しかし氷海龍も簡単には逃がしてくれなかった。
3度目の衝撃。
これまでとは比べ物にならないほどの膨大な量の魔力が放たれ、船を激しく揺らす。
そのせいでフィーナを担いでいたリリウムは、バランスを崩し倒れてしまった。
「しまっ!」
「きゃっ!?」
甲板に再び投げ出された2人に、冒険者たちから大丈夫かと声がかかる。しかしどの冒険者も甲板に出て来ることは出来ない。
3度目の衝撃波で完全に体が震えあがってしまっているのだ。
今この中でまともに動けるのはおそらく俺とリリウムだけ。それもリリウムは動くのが精一杯だ。
「面倒くさいことしてくれてんな!」
『娘はもらっていく!』
俺がサイディッシュを振るい、氷海龍の腕を切り落とそうとしたとき、氷海龍の手ごたえが突然消えた。
そして俺が振り抜いた場所には氷のかけらだけが残る。
「しまった!」
フィーナの方を見た時には、すでにフィーナは氷に囚われていた。
「トーカ!」
「フィーナ!」
駆け寄ろうとするも、いつの間にか凍っていた地面に足を取られる。
その隙に、消えた氷海龍が再び氷の塊となってフィーナの上に現れた。そしてフィーナを氷ごと丸飲みにしてしまった。
「フィーナ!」
必死に手を伸ばすが届くはずも無い。氷海龍は、目的は果たしたとばかりに海に飛び込んでしまう。
俺はすぐさま起き上り、サイディッシュを拾って氷海龍の後を追おうとした。
しかし後ろから羽交い絞めにされ、自由を奪われる。
「待てトーカ! 海に飛び込むのは無謀すぎる!」
「うるせぇ! フィーナが捕まっちまったんだぞ! 放っておけるか!」
「そんなことは分かっている。しかしこの状態では無理だ!」
「離せよ!」
俺は強引にリリウムを振り払う。しかしそこに更なる圧がかかる。
扉の中に隠れていた冒険者だ。
氷海龍が消えたことで、魔力圧が消え、動けるようになった彼らが俺に飛びかかって来たのだ。
「なんだあんたらは! 隠れてただけのくせに邪魔すんな!」
「悪いがそうはいかない! 俺たちの依頼内容はこの船の護衛だ! これ以上危険な事に巻き込まれる訳にはいかないんだ」
冒険者として考えれば当然の行動だった。
邪神級に狙われて船が無事だと言うことだけでも奇跡なのに、その奇跡を反故にしてなおも邪神級の相手に勝負を挑もうと言うバカがいるのだ。止めるのも当然のことである。
そもそも邪神級相手に正面から挑んでいた俺の方がおかしいのだ。
しかし、フィーナを攫われ、頭に血の登った俺には関係ない事だ。
「邪魔すんなら、あんたらも俺の敵だ!」
捕まった腕を強引に振り、冒険者たちを振り払う。氷海龍の力に比べれば、たかが人間数人の力など無いに等しい。
俺から発せられる敵意に、冒険者たちは再び恐怖する。
氷海龍ほどではない。しかしそこには自分たちでは相手にならないと自覚するだけの威圧感があった。
それはすでに敵意というレベルを超え、殺意に代わっている。
しかしその殺意は一瞬で霧散した。
「なっ!?……」
「すまんトーカ。しかし彼らが言っていることも正しいのだ」
俺はリリウムの剣を後頭部に受けていた。
鞘付きのままだが、おそらく全力で振り抜いたのであろう。倒れながら見たリリウムの鞘は一部だけ凹んでいた。
「フィー……」
そして俺は甲板の上に倒れ込み、意識を失った。




