61話
「トーカ! 急いでください!」
「そうだぞ! このままでは乗り遅れる!」
「誰のせいだ! 誰の!」
俺たちは今、港に停泊している船に向かって全力疾走していた。と言っても俺は気が抜けて全力で走る気は皆無だが……
なぜこんなことになってるかと言えば、さっきの俺の言葉が全て。
要は2人が船の時間ぎりぎりになるまで風呂に浸かっていたからだ。俺は軽く汗を流す程度にしといたのに、2人はガッツリ浸かって来ていたらしい。
そのせいで俺たちは、出港しそうになる船に向けて走っている訳である。
ちなみにフィーナの馬車は今朝、すでに船の船員によって馬小屋から運び出されている。
あらかじめ予約しておけばやってくれるサービスだが、それが今俺達を急がせている1番の理由だった。
なんせ俺たちが乗り遅れたら、馬車と馬だけ首都に持ってかれちまう訳だからな。
「見えました。あの船ですよ」
フィーナが指差した先には、大型の帆船。馬車を載せるだけあってその規模はかなりデカい。
フェリーと同じぐらいだと思ってたら、それ以上だった。
よく考えれば、フェリーは車だけ乗せればいいけど、馬車と馬両方載せないといけないから、デカくなるのは当然か。
てか馬って結構デリケートな生き物って聞いたことあるけど、それを船旅させるんだから相当大きな場所を用意しとかないといけないもんな。
「このままではマズイな。トーカ!」
「魔法使うのか?」
「フィーナは私が持っていく」
「なら荷物は任せな」
「へっ!?」
リリウムの言葉にフィーナが驚きの声を上げる。しかしその時には、すでに俺たちは動き出していた。
リリウムがフィーナの持っていたカバンを、自分の物と一緒にこっちに放り投げる。そしてフィーナの腰を抱き寄せたかと思うと、お姫様抱っこの要領で持ち上げた。
俺は飛んできた鞄を受け止めて足に力を込める。
「星に願いて、疾走の風を纏う。エアブースト」
リリウムの詠唱が終わると同時に、彼女の足もとに空気が集まり、バネのようにはじけた。
それを利用してリリウムは一気に速度を上げる。
「きゃあぁぁぁぁあああ!」
俺はそれに並走するように駆け、フィーナの悲鳴を残しながら船の甲板向けて飛び上がった。
そして俺たちは今正座させられている!
「2人とも何を考えているんですか! いきなり船に飛び乗ったら不法乗船になるに決まってるでしょうが!」
「だって、なあ?」
「勢いでつい……」
俺が視線をそらし、リリウムが俯いたまま小さくつぶやく。
それをしっかり聞き取ったフィーナが、怒りの声を上げる。
あの後、突然甲板に飛び乗った俺達に、船員たちは非常に驚いていたが、すぐに賊と勘違いし剣を向けてきた。
フィーナの必死の弁明と、しっかり料金を払っていたことが確認され、何とか厳重注意で済むことができたが、危うく船から放り出されるところだったのだ。
「常識の欠如したトーカならともかく、リリウムがそれを一緒にやっちゃダメでしょう! それを止めるのが私たちの仕事なんですよ!」
「本当にすまなかった。しっかり反省している」
「あとで船員の方にもちゃんと謝っておいてくださいよ。トーカもです!」
リリウムが怒られる姿が珍しくて、笑いをこらえていたらまた怒られた。
『すみませんでした』
2人一緒に綺麗な土下座をして、その場はフィーナの怒りを収めることに成功した。
港町から首都までは1週間程度の船旅になる。その間、俺たちは暇を持て余すことになる訳だ。
基本的には、自由に行動するスペースは確保されているが、それでも武器を振り回せるようなスペースがあるはずも無く、やれることと言えば甲板に出て軽く運動をすることと、海岸線を眺めることぐらいだ。
後は以前話していた釣りをして過ごしている。
相変わらず釣竿は簡単なものだが、ゆっくりとした帆船のスピードもあって、意外と魚が釣れるのだ。まあ時々魔物も釣れるのだが――それはそれで面白い。
しかし一般客からすれば、魔物を船の上にあげる俺たちは危険人物。俺達が甲板に出て来ると、ソソソッと俺達から離れた場所に移動する。
それでも船の中に戻ったりしないのは、釣りの物珍しさと、魔物退治が見られる怖いもの見たさだろうと俺は思っている。
ちなみに釣った魚や魔物で食べられるものは、船の船員に渡して料理に使ってもらったりしているため、船のコックからは意外と評判が良かったりする。
そして船に乗って3日目。今日も今日とて3人で釣りをしていた。
「それにしてもこれは飽きませんね。待ってるだけなのですぐに飽きると思ってたんですが」
「まったくだな。ただ待っているのがこれほど楽しいものも珍しい」
「まあ、それが釣りの醍醐味みたいなもんだ。いつ来るか分からない緊張感と来た時の高揚感は何度体験しても飽きない」
それに返しが付いていない釣り針を使っているため、かなりの集中力と反応速度が必要になってくるこの釣り。意外と訓練になる。
船が大きいため、目視で浮の浮き沈みが分かることは無く、手の感覚のみでやるのだ。おのずと感覚も敏感になる。
しかも釣り上げた魚が魔物だった場合、すぐに戦闘態勢に移行しないといけないもんだから、瞬発力も訓練されている。
冒険者の訓練としてはある意味うってつけだな!
と、俺の竿が引っ張られる。その瞬間、思いきり釣竿を引きあげた。
それに合わせて海の中から飛び出してくる魚。
「来た来た!」
「2度目だな。分かっていると思うが魔物だぞ!」
「よっしゃ!」
「トーカ、頑張ってください!」
魔物を釣り上げて喜ぶ俺を、遠巻きに見守る一般客たち。そしてそれを若干不安そうに見る警備員。
釣り上げた魔物が宙を舞い、俺に向かって真っすぐ突っ込んできた。
その魔物は魚の形をしているものの、なぜか足があり自由に陸地でも動ける奇妙な魔物だ。
最初釣り上げた時は思わず「キモッ!」と言ってしまうぐらいにはキモい。
突っ込んできた魔物を躱し、向き合う。
この場での武器は基本的にナイフだ。サイディッシュなんてこんな狭い場所では使えない。てか、すぐ横でフィーナとリリウムが気にせず釣りを続けているのだから、危なくて使いたくないのが本音だ。
懐のナイフを鞘から取り出し構える。それに合わせて魔物が走って突っ込んできた。
この魔物、地上では基本的に体当たりしか攻撃手段を持たないのである。しかもかなり直線的。
ゆえに俺は一歩だけ横に移動し、交差するタイミングでナイフを振り抜く。
数秒後には、俺の後ろで半身を綺麗にそがれた魔物が倒れ伏していた。
「魚って傷みを感じる器官が無いって聞いたけど、魚型の魔物はどうなのかね?」
「その情報自体初耳なので、なんとも言えないですね」
「まったくだな。お! 今度は私か!」
半身になって倒された魔物が警備員たちによって厨房へ運ばれていくのを背後に、今度はリリウムが普通の魚を釣り上げていた。
数時間の釣りを終え、リリウムとフィーナは自分たちの部屋に戻ってきた。
そしてフィーナがため息を付く。
「どうした?」
「どうもトーカに距離を取られているような気がしまして。私何かしたんでしょうか? もしかして先日の件ですかね?」
フィーナが言っているのは、船に乗った時にキツく怒ってしまったことだ。
どうもあの日から、トーカがどこかフィーナを避けているような気がするのだ。
表面上はいつも通りに接しているつもりなのだろう。しかし、トーカを良く見ているフィーナには、その変化が一目瞭然だった。
何気なく視線をそらす、となりに座る時の距離が少し遠い。話をしていると、リリウムによく話を振る。
その他小さなことだが、どうしてもフィーナには気になってしまって仕方が無かった。
「ふむ。そんなことがあったのか」
リリウムは、その話を聞いて顎に手を当て考える。そして何かを納得したように大きく1つ頷いた。
「それは上手くいっていると言うことだな」
フィーナはその言葉に焦った。
もしかしたらリリウムが、自分とトーカの仲を引き裂こうとしたと考えたのだ。
そしてかつて思っていたことが浮かび上がる。
リリウムもトーカのことが好きなのだと。
もしかしたら、その当時はトーカのことを好きだとは思っていなかったのかもしれない。しかしフィーナがその話をしたことで、自分の気持ちに気付いてしまったのかもしれないと。
リリウムは応援してくれると言ったが、恋をした女性がどう変化するかなど誰にも予想は出来ない。
騎士道精神にあふれていそうなリリウムでも、陰湿な裏工作をするかもしれないと。
「な……何がですか?」
恐る恐る尋ねる。リリウムが恋敵となるならそれは強敵になるだろう。
冒険者としてトーカのことを理解し、おなじ場所に立つことができる存在なのだ。それはフィーナには無いアドバンテージとなる。
「うむ。フィーナと露天風呂に入った時のことは覚えているか?」
「はい」
港町で風呂に入った時、フィーナはリリウムにトーカのことが好きだと改めて表明している。
その言葉がリリウムの闘志に火を付けてしまったのかと焦った。
「フィーナは気づいていなかったようだが、あの時隣にトーカがいたんだ。露天風呂は壁一枚で男湯と女湯が仕切られていたようでな」
リリウムはいたずらに成功した子供のようなニヤリ笑いをフィーナに見せた。
しかしフィーナにはその顔に言葉を返す余裕がない。
リリウムは、隣の風呂にトーカがいると言ったのだ。
そしてフィーナはその場でトーカを好きと結構大きな声で表明してしまっている。つまりしっかりトーカに聞かれてしまったと言うことだ。
「つまりトーカは照れているのだろう。自分のことを好きだと表明している女性が隣にいるのだからな。恋愛したことの無い者なら、照れから相手を遠ざけようとすることもあり得る話だ。ん? フィーナ聞いているのか?」
「と……隣に? トーカが?」
「ん? ああ、いたぞ。こっそりしていたようだがな」
フィーナの顔が真っ赤に染まっていく。
そして口をパクパクさせながら手を右往左往させる。
「フフフ、間接的にとはいえ、告白したのだ。そしてトーカが照れていることを考えれば脈なしということではないだろう。ここは押しの一手だぞ!」
フィーナの行動がただの照れだと思ったリリウムは、さらに畳み掛けるように話を続ける。
「いっそのこと今夜あたりトーカの部屋に忍び込んでみてはどうだ?」
リリウムはもはやノリノリである。他人の初心な恋愛ほど見ているのが楽しいものは無いのだ。
「ば……」
「ば?」
「バカァァァアアア!!!!」
フィーナは恥ずかしさのあまり、声の残滓を残して部屋を飛び出して行ってしまった。
「くそっ……俺何やってんだろうな」
部屋のベッドで天井を見ながら、俺はつぶやく。
体面上はフィーナと普通に接しているつもりだ。でも自分でも分かるほど今までと態度が違う。
こんなんじゃ近いうちにバレる。いや、もうバレてるかもしんないな。
ちょっと他人の本音を知ったぐらいで、おどおどしている自分が情けない。
いつもの俺ならそんなことお構いなしに、自分の好きなことを好きなように、相手を振り回しながらやるはずだ。
なのに今はそれができない。どうしても相手の様子を盗み見て、反応を確かめながら行動してしまっている。
そんなのは俺らしくないと何度も自分に言い聞かせても、心はそれを受け入れることは無かった。
目をつぶり、ベッドの枕に顔をうずめる。
もんもんとした感情にくすぶっていると、突然背筋を突き抜けるような悪寒がした。
「なんだこれ!?」
バッと枕から顔を上げる。知らないうちに額から汗が吹き出してきていた。
悪寒の正体はすぐに分かった。魔力だ。濃密すぎる魔力が、体を圧迫している。
それはそのまま恐怖へと変換されていった。
一般人ならこれだけで倒れてもおかしくない。普段から恐怖に慣らされた冒険者や騎士なら何とか立っていられるであろうと言うレベルだ。
「これはヤバいだろ」
俺はベッドから飛び上がると、サイディッシュを持って部屋を飛び出した。