56話
「さあ、デイゴ国に入りましたよ」
「つっても風景は変わんないけどな」
デイゴに入ったことを示すのは小さな看板のみ。それ以外の風景は、ユズリハにいた頃とまったく変わらない。
俺がその事を指摘すれば、フィーナはくすくすと笑いながら答えた。
「当然ですけどね。でもデイゴは細い国ですからすぐに海が見えてきますよ」
「海か!」
そうだ。デイゴは海に面した国だ。ユズリハが内陸国だったからすっかり忘れていたが、魚が美味いってことはそう言うことなのだろう。
まだこの世界の海を見たことは無いが、話を聞く限りは地球とさほど変わらないらしい。せいぜいが塩分濃度が違うのかその程度だろう。
「トーカは海を見たことありますか?」
「もちろんあるぜ。つっても元の世界でだけどな」
修学旅行や臨海学校で何度か行ったことがあるし、泳いだこともある。
親が俺を遠ざけたい一心で、夏合宿とかも積極的に参加させてくれたからな。旅行に行く機会は意外と多かった。ばあちゃん家に泊まりに行ってたのも夏休みや冬休みの、長期休暇の殆どだったな。
中学生のころに海に行ったときは、素手で魚捕まえたりして遊んだっけ。確かウツボ捕まえてクラスの連中に見せた時は、その時だけはスターになったよな。その後によく考えれば異常じゃね?ってことで怖がられたけど……
「話聞く限りじゃ、そんなに違いは無いみたいだし楽しみだ。この時期なら泳ぐこととかもできんのかね?」
気温はこっちの世界に来てから3か月で徐々に上がってきている。要は夏に近づいて来てるってことだよな。
この世界の知識を教えてもらったが、今は地球で言う7月ってことになる。つまり海開きはされているはずだ。
「泳ぐって……そんなこと出来る訳ないじゃないですか」
俺が海で何するかと思いをはせながら楽しみにしていると、フィーナがあきれた目で見てくる。リリウムも同じような目で俺を見てきた。なんでだ?
「トーカ。海には魔物が山ほどいるのだぞ。川で泳ぐのならまだしも、海の中に入ろうなどすれば一瞬で餌になるのがオチだ」
「マジ?」
海ってそんな魔境と化してんのか!?
「陸にいる魔物は人間と生活区を別けられ、危険な物は冒険者によってある程度討伐されているが、海の中は無法地帯だからな。討伐する人間がいなければ、そこは魔物の楽園になる」
「じゃあ魚はどうやって生きてんだ? 魔物に全滅させられないのか?」
「別に魔物も魚だけを食べて生きている訳では無いし、魔物どうしで食いあったりもする。その辺りは以前トーカが教えてくれた食物連鎖と同じだ」
なるほど。海の中でも食物連鎖が魔物を交えてできてるわけね。しかし海に入ればすぐに餌になるってことは、魔物が一番数が少ないって訳じゃないんだろう。つまり、食物連鎖上の人間と同じ立ち位置。枠から外れた場所に位置してるってことかね?
まあ、それなら魚が全滅することは無いか。
けど漁の邪魔になるなら討伐依頼が出てもよさそうなもんだけどな。
「海の魔物に対して討伐依頼とかは出ないのか?」
「ごくまれに狂暴な奴が船を襲うことがある。そういう時は討伐依頼が出るが、それ以外ではほとんど出ないな。そもそも海の中では戦いようがない」
「水属性の魔法とかでも?」
「常に魔法を発動させられる訳でもないし、海の中ではそもそも祈れない。言葉を紡げないのだから当然だがな」
「なるほどね」
言葉を発せられないから魔法を発動できない。しかし海の中で魔物を倒すには魔法を使うしかない。
要は不可能ってことか。
「まあそれならしょうがねぇか。泳ぐのは我慢して釣りでもするかな」
「あれか。あれは面白いものだった。もう1度やりたいものだ」
「そう言えばあげた釣竿ってどうした?」
「もちろん持っているぞ。少しいじって解体できるようにしたがな」
「そりゃ便利になったな」
渡した釣竿はただの枝に糸を括り付けたものだが、リリウムはその枝をよく撓る棒と取り換えたようだ。ついでに半ばで2つに分解できる機能付き。
あとリールが付けばほとんど現代の釣り竿になりそうだな。
「なんですか釣竿って?」
「そうかフィーナは知らなかったな」
あの時はオルトロとリリウムと行動してたからフィーナは釣りに関して知らないのか。
リリウムが釣りのことを教えると、フィーナはすぐさま俺に向き直った。
「トーカ! 私も釣りやってみたいです!」
「もちろんいいぜ。つっても水場が無いから今は無理だけどな。海に出たら釣竿作ってやるよ」
あの針は土属性の魔法で俺が作らないといけないからな。針だけは今でも作れるがそれだけじゃ意味ないし、移動中に何か釣竿にいいアイテムがあったら手に入れとくか。
「てかここから1番近い町ってどこなんだ?」
「私たちが今向かってる町ですよね? タストリアですよ」
「どういう町?」
名前だけ聞いても想像なんか出来るはずないしな。
「ここからは後1日と言ったところですかね。タストリア自体は海に面してはいませんが、時期によっては潮風が流れてくるほど海には近いです。町としてはやはり貿易の町として栄えていますね。ユズリハと違って石造りの家が多いのがタストリアと言うかデイゴの特徴です」
木だと潮風にやられやすいからかね? しかし石造りがメインの町となると本当に中世ヨーロッパなイメージが先行するよな。
海外旅行は行ったことが無かったから楽しみだ!
翌日。噂のタストリアに着いたが、その町並みは聞いていたものとは全く違うものだった。
俺たちはタストリアが一望できると言う丘の上に来ていた。
そこには俺達以外にも大勢の人が集まっている。その誰もがその光景に涙し、嗚咽を漏らしている。
赤ん坊の泣き声と大人たちの怒鳴り声が混ざり合い、そこはさながら戦場のような喧騒が渦巻いていた。
「なあ、これがいい感じに栄えてる町タストリア?」
「いえいえ、きっとどこかで道を間違えたんですよ……」
「だよな! 瓦礫と黒煙が昇る町が、お世辞にも栄えてるとは言えないよな!」
「そうですよね!」
目の前に広がる風景は、廃墟と化した街並み。そしてところどころから上る黒煙が、事態がつい最近起きたことを証明している。
そして町から少し離れた場所にはここと同じように住民が集まってテントを張っていた。
俺とフィーナが半ば現実逃避気味に乾いた笑いを続けていると、リリウムが叫んだ。
「現実逃避している場合ではない! 私たちもタストリアに向かうぞ!」
「え? でもあそこはタストリアじゃ」
「いい加減目を覚ませバカ!」
バシンと激しい音がして俺の脳が揺さぶられる。その衝撃で俺は我に返った。
「いったい何があったんだ?」
「フィーナはこの場で町の人から情報収集。私たちは町に怪我人がいないか確かめに行くぞ。おそらくあの状況では相当な人数が取り残されているはずだ」
「わ……分かりました!」
俺の頭が叩かれる音で我に返ったフィーナも、リリウムの指示に従って動き出す。
俺とリリウムは馬車から飛び降りると、一目散にタストリアに駆けて行った。
リリウムと並走しながら、彼女の予想した事態を聞く。
「どういうことだ? こんな状況って普通にあるもんなの?」
あるんだとしたら物騒すぎるぞ異世界……
「そんな訳ないだろ。これは明らかに異常事態だ」
「他国に攻め込まれたとか?」
「おそらく違う。それならばユズリハにいた時点で何らかの情報が来ているはずだ。それが何もなかったとすると、タストリアがこんな状態になったのは3日前以内ということになる。そんなことができる存在を私は1つしか知らない」
なるほど
「魔物か!」
「そうだ。それも町1つ潰せるとなると相当だぞ。良くて2等星級、悪ければ――」
「邪神級!」
リリウムがその言葉を紡ごうとしたところで、俺がその名前を口にする。
話だけは聞いていた。けど一度もその姿を見たことは無い存在。
ギルドからは天災だから近づくなと言われ、見たらすぐさま逃げろと言われた。
そんな危険な存在が町を襲ったのかもしれない。
確かに今の廃墟と化した街の状況を見れば、天災としか言いようがない存在だ。それほどの強さを持った魔物が、まだここから3日以内の場所に潜んでいるかもしれないのだ。
「邪神級の魔物に襲われた場合、1番最初に冒険者がやらなければならないのは住民の避難と救助だ。だから町が襲われたのにもかかわらず色々な場所に人が逃げられているのだろう。そうでなければ逃げ惑ううちに殺されていてもおかしくはない」
「俺達も今からそれをするってことだな!」
「そうだ。あの瓦礫の量だ。生き埋めになっている人がいる可能性が高い」
「了解。そういうことならまかせんしゃい!」
踏み込みの速度を上げ、一気に加速する。リリウムは自分の足だけでは俺のスピードについてこれず、風を纏って速度を上げた。
そして俺たちは町の中に飛び込んで行った。
町の中は外から見る以上に悲惨な光景が広がっていた。
瓦礫から覗く腕。しかしその下は明らかに存在していない。
辺りには血がこびりつき、肉の焼けた臭いもどこからともなく漂ってくる。
その中で冒険者たちは必死に救助活動をしていた。
「まずどこに行くんだ?」
「この町には冒険者ギルドがある。そこ自体が壊されていても近くに仮の施設を設置しているはずだ。そこで情報を貰い、必要な場所に手助けに行くぞ」
「了解」
災害時には冒険者ギルドは国と連携を取りながら、情報を集め適材適所に冒険者を救助隊として派遣する義務があるらしい。
町の騎士団は町の周りの魔物を警戒し、冒険者たちが人の救出を行う。
騎士団は他にも逃げた住民の安全確認や生存確認など、主に生存者のことに集中するらしい。統率がとれ、あらかじめ町に常駐しているからこそできることを優先していると言うことだ。
特に町の外の魔物の警備なんて、連携が取れてないとグダグダになるのは目に見えてるからな。
リリウムの後に続いて街中を疾走する。
その中で見る光景はどれも凄惨だ。冒険者たちが懸命に瓦礫を撤去し、その中から体を引っ張り出す。
その隣では、迫る火の手を消さんと水属性の魔法使いを中心に、決死の消火活動が続いていた。
「こりゃ酷いな……」
思わず1人ごちる。
天災だなんて言われているが、それ以上じゃねぇか。現代の感覚で天災を考えてたけど、それじゃだめだったか。
この世界で天災っつったらもっと被害は悲惨なものなんだな。それこそ死人がいくらでも出て、路頭に迷う人も数えきれないほどいる程度には。
しばらく走ると、冒険者ギルドの旗が立っているのが見えた。その場は広場になっており、そこにテントが何個か張られているだけだ。
リリウムは迷わずそこに走り寄って行った。
「冒険者だ。今この町に着いた。情報が欲しい」
テントにいた1人の女性にリリウムが話しかける。
女性はすぐにそれに対応した。おそらくもう何度も同じことが繰り返されているのだろう。
「タストリアは今から2日前に、推定邪神級とされる氷海龍に襲撃されました。被害は見ての通り酷いもので、特に海側から町の中心にかけてが壊滅的です。しかし人的被害は割と少なく、逃げ出した人は、家のある区画ごとに分けられて町周辺の開けた場所で野宿をしています。首都へはすでに騎士を派遣し、救援を要請していますが、さすがに距離があるのですぐには来れない状態です」
やっぱり邪神級の魔物に襲われたのか。それにしてもまだ2日前となると本当にそれほど離れていないかもしれない。こんな状態の町がもう1度襲われたらそれこそただじゃすまないぞ。
しかし人的被害が比較的少ないのは良かったな。見たところ町にある家はことごとく屋根が吹き飛ばされている感じだったけど、邪神級の威力が強すぎて瓦礫が家の中に落ちなかったのか?
今生き埋めになっている人たちは、どうやら屋根が吹き飛ばされた衝撃で壁が倒れてしまった家にいた人たちらしい。
「了解した。それで私たちは何をすればいい?」
「お二方には生き埋めになった人たちの捜索をお願いします。現在町から南よりの場所の建物の倒壊が酷く、救助が進んでいません。お二人にはその場所のサポートをお願いします」
「了解した。トーカ行くぞ!」
「おう、任せとけ」
「よろしくお願いします!」
女性は今にも泣き出しそうな表情で頭を下げる。おそらくこの町出身なんだろうな。
泣きたいのを必死に堪えてギルドで仕事してんだ。そんな頑張ってる連中がいるなら、俺も頑張らねぇと。
広場を飛び出し、俺たちは南に向かった。