52話
王都を出て3日目。この日はあいにくの雨だ。
黒い雲が空を覆い、道はぬかるみ馬の脚は自然と遅くなる。
湿度が高いせいで、ジメジメと肌に張り付く服の感覚が不快感を煽り、鎧の中はじっとりと蒸れていた。
「この雨は厳しいな」
リリウムが馬車の隙間から黒い空を仰ぎ見てつぶやく。
俺もそれには全面的に同意だ。
なんせこの雨、視界が悪くなる上に時間の感覚を狂わせる。
頼りの綱は腹時計と言う、野営の時間を決めるのにも一苦労な状態になるのだ。
「マジで止んでくんないかね。俺の腹時計はそこまで正確じゃねえぞ……」
「いや、そういう問題ではないのだが……」
リリウムがあきれたように俺を見るが、それ以外に何の問題があると言うのか。
と、御者をしていたフィーナが馬車の中を振り返った。
「トーカ、リリウム。前からオオカミの群れです」
「オオカミ?」
おかしいな。魔力探査の魔法は常に発動させてるはずだから近づく奴らがいたら一発で分かるはずなんだけど。
もしかして魔力を持たない動物も存在したりするのか?
俺が驚いていると、リリウムはそうかと一言だけ言って馬車の正面に顔を向ける。
リリウムは驚いて無いみたいだな。ならリリウムはオオカミに気付いてた? いや、反応からすると気付いてはいなかったみたいだし、魔力探査を使ってなかったのか?
まあいいや。考えるのは後にしてとりあえず今はオオカミを掃除しちゃいますか。
今回はどんなふうに倒そうかね? 昨日襲ってきた野犬はランスの乱れ射ちで倒したし、今日は雨だから水属性の魔法でも使ってみるか。
使う魔法を頭の中でイメージしながら詠唱を考える。
そしてリリウムと同じように正面からオオカミたちを目視に捕らえる。
「うし、行くぜ。星誘いて水針を放つ。ウォーターニードル!」
右手を付きだし魔法を放つ!
しかし詠唱とは裏腹に、手からは何も出ない。辺りを雨の音だけが包み込み、気まずい空気が流れる。
「トーカ、何をしているのだ?」
リリウムは俺を横目で見ながらためらいがちに聞いて来た。
「え? いや、魔法で倒そうかと」
「何をバカなことを言っているのだ。この雨だぞ、星の加護が使える訳無いだろう。ボケたのか?」
リリウムの言葉が頭の中で反芻する。
雨の日。星の加護。遮られる光。届かない祈り。
……忘れてた!
「ハッハッハ、忘れている訳無いじゃないか! ちょっと月の力の限界を調べようと――」
必死になって言い訳を考える。しかし俺はこの時、フィーナの視線に気づくことは無かった。
オオカミが俺達を攻撃圏内に捕らえたところで馬車を止める。
そして3人ともが降りて前と後ろに分かれて馬車を守ることにした。
オオカミの目的は大抵が馬車に積まれている食糧だ。
オオカミ自体が人を食うことは滅多にない。むしろオオカミは人が逃げた後の馬車を目当てに襲ってくることが多い。
特にこの辺りのオオカミはそれを親から教えられているのか、積極的に馬車を襲ってきたりするらしい。
俺は1人で後ろ側の警護。リリウムはフィーナの戦闘訓練を兼ねて戦いながらフィーナの戦闘を指揮することになった。
貴重な雨の日の戦闘と言うことで、フィーナも張り切っている。
俺は後方で、サイディッシュを適当に振り回しながら一人ごちる。
「すっかり忘れてた……星の加護って雨の日は使えなかったんだよな。せっかく確認してたのに意味ねぇじゃねえか」
言い訳をするとすれば、その後のカルートとの壮絶な戦闘。そしてザイクス達との遭遇のインパクトがありすぎて記憶の奥底に追いやられてしまっていたのだ。
何とか誤魔化せたと思うが、それでも不安は残る。
というより俺はこの世界の常識を知らなさすぎるのだ。まだ来て3か月とはいえ、この世界で生きていく以上は、常識は知っておかなければならない。
むしろ今までしっかり調べようとしなかったことがおかしいんだよな。
科学技術にも禁忌があるようにもしかしたら魔法にも禁忌があるかもしれない。
俺が全ての属性の魔法を使えるのだから、うっかり禁忌の魔法を使ってしまわないことも無いのだ。そのあたりをしっかりと調べとかなれば後々問題に巻き込まれる可能性がある。てか俺が問題起こしかねない。
「問題はどうやって聞くかだよな……」
飛びかかってきたオオカミの首を斧側で叩き斬り、体を他のオオカミに向けて蹴り飛ばす。
その隙に飛びかかってきたもう1匹は鎌の最初の犠牲となった。
回転する刃をそのままオオカミの体に突き刺す。サイディッシュの動きを止めることなく振り回し続けることで、内側から回転する刃で切り裂かれ、はじけ飛ぶようにあふれ出す内臓が自分にかかるのを防ぎながら、他のオオカミたちにその光景を直視させることで恐怖を植え付けた。
オオカミたちを蹴散らしながらも考えるのはどうやってフィーナ達に聞くかだ。
今更常識が無いから教えてとは言いにくい。
初めてフィーナとあった時は辺境の貨幣制度の無い村から来たって言って強引に誤魔化したけど、さすがに限界がある。
いっそのこと異世界から来たことを話してしまおうかとも考える。
正直言ってしまえばフィーナやリリウムに異世界出身であることを隠す必要は無いのだ。
別に特別重要な情報を持ってるわけでもないし、国を滅ぼすような危険な技術も持ち合わせていない。
むしろ月の加護の方が危険と言えば危険なぐらいだ。
「そうだよな。よく考えれば隠す必要ねぇじゃん」
オオカミをさらに1匹サイディッシュの餌食にしたところで、オオカミたちが仲間を求めるように馬車の前方へ向かい始めた。
俺はそれをわざと見逃す。
前方にはリリウムがいるのだ。3匹程度増えたところでどうということは無い。
むしろフィーナの訓練用に的が増えるのはいいことだ。
俺は2人に自分の素性を話すことを決め、オオカミたちを追った。
フィーナが剣を振るう。しかしそれはすんでの所でオオカミに躱されてしまった。
「フィーナ。相手のいる場所を斬るんじゃなくて、相手の動く先を予想して斬るんだ。案山子とは違うのだから相手は動くぞ!」
「はい!」
オオカミの牙を短剣で受け止め距離を取る。
フィーナには旅の経験で恐怖心自体はあまり無かった。これまで父の戦う姿は何度となく見てきたし、動物の血も見慣れている。自分に向けられた敵意に対しても初心者にしては上手くいなせているだろう。
しかしリリウムから見ればいかんせん実戦経験が足りない。
初心者なのだから当然なのだが、それでも自分と比べてしまうと疎く感じてしまう。
リリウムはなるべくフィーナに経験を積ませるため、オオカミに止めを刺さずいなす程度にしている。
そのおかげでオオカミの標的がフィーナに集中しようとするが、その時はきっちりとオオカミに自分をないがしろにすれば後ろからやられることをきっちりと教え込む。
魔法を使えないフィーナが苦戦するのを見ながら、リリウムは自分が冒険者になったころの事を思い出した。
家族に許可を貰い、初めて町の外で動物と戦ったのは12歳の時だ。その時は私兵が一緒に付いて来てくれていた。
リリウムを街中で追い続けていた私兵だ。
その私兵に剣技を教えてもらい、戦い方のコツも教えてもらったリリウムは、初戦をあっけなく勝利で飾る。相手はフィーナと同じように群のオオカミだった。
正面から来るオオカミを軽くいなし、本命の攻撃を加えようとしてくる後方のオオカミから確実に仕留めていく。
本命の攻撃はどれも急所を狙ってくるため、その分攻撃位置が分かりやすくカウンターも決めやすいのだ。
自分の過去に浸っていると、ハッと威勢のいい声と甲高い鳴き声が聞こえた。
フィーナがオオカミの1匹を倒したのだ。
偶然にもリリウムと同じように後方から来た敵をカウンターによる首突きで倒していた。
その姿が自分の過去に重なる。
「良し!」
「まだ気を抜くな! 相手は後4匹いるのだぞ!」
「あ、はい!」
横からフィーナに飛びかかろうとしていたオオカミにけん制の意味も込めてナイフを投げつけながら注意を飛ばす。
フィーナは1匹倒してコツをつかんだのか、続いて2匹目3匹目を次々と倒していった。
「あと……1匹……」
若干息が上がり始めたフィーナを見ながらそろそろ限界かとあたりを付けるリリウム。
まだ体力の下地が出来上がっていないフィーナには、オオカミの群れを全て相手にするのは骨が折れるようだと頭の片隅に置く。
しかし、フィーナをあざ笑うようにオオカミたちに増援が来た。
それは馬車の後方、トーカが戦っている場所から逃げてきたオオカミたちだった。
「フィーナ、3匹追加だ。行けるか?」
「3匹も!?」
フィーナが目の前のオオカミから視線をそらさずに抗議の声を上げる。
「トーカは何をしてるんですか!?」
「たぶん軽くあしらってこちらに追いやったのだろう。どうだ、やれそうか?」
「頑張ります!」
「それじゃだめなんだな」
軽い声は馬車の上から聞こえてきた。
「頑張ります!」
フィーナが威勢よく言い放つ。しかしその顔からは大量の汗が吹き出し、構える剣の剣先が少し下がってきてる。
要は体力の限界ってやつだな。
「それじゃだめなんだな」
俺は馬車の上に乗ってフィーナに言葉を投げる。
リリウムはそれに気づき視線を俺によこした。その眼は何を考えていると疑問を投げかける目だ。
「フィーナ。冒険者に頑張るはダメだ。冒険者の答えで必要なのは出来るかできないかの二択。それ以外の答えは必要ない」
俺の言った意味を理解したリリウムがそれに続いた。
「そうだな。冒険者の場合1つのミスはそのまま死を招くことになる。それはそのまま仲間やチームを巻き込む危険性もあるんだ。頑張りますでは曖昧すぎる」
「現状だとフィーナの体力はほとんど残ってないだろ?」
「……はい」
「なら今の答えは無理を選ぶべきだ。そして素直に仲間に助けを求めること。せっかくA-ランクの仲間がいるんだからな」
俺がわざとオオカミたちをこっちに逃がしたのはフィーナに自分の限界を知ってもらうため。そして限界が来たときに素直に助けを求めれるようにしてもらう為だ。
助けを求めるのは非常に恥ずかしいことかもしれない。こと相手は魔物ですらない野生のオオカミだ。
しかしその安易なプライドは冒険者に死を招く。
フィーナにはそんなくだらない事で危険になってほしくないからな。
「分かりました。リリウム助けてください! 私1人では厳しいです!」
「任せろ」
フィーナの声にリリウムが即座に動く。フィーナを囲もうとするオオカミたちの間に入り、その行動を妨害する。
それと同時にフィーナが動いた。
先ほどまではカウンターでの倒し方をしてきたようだが、今度は自分から動くようだ。
目の前のオオカミに迫り剣を振り上げる。
オオカミはその動きを見極めカウンターを入れようとその口を開いた。
フィーナはそこに攻撃のタイミングを見出した。
カウンターに対するカウンター。
口を開いた瞬間に、左手に持っていた短剣を突き出す。それはザックリとオオカミの口に突き刺さり内側から脳を斬りつける。
口から大量の血を流しながら絶命するオオカミ。フィーナはそれに見向きもせず、もう1匹に振り返る。
その時にはすでにリリウムが2匹を仕留め、残りはその1匹になっていた。
「これで最後です!」
「だがそいつは俺が貰う!」
フィーナが勢いよく飛びかかろうとしたタイミングにあわせて、俺は馬車から跳躍した。
そしてオオカミの上から斧を振り下ろす。
バスンッとオオカミの首が飛び、さらにその下の地面を抉る。
「ちょっ!?」
「ハハハ、早い者勝ちだ」
一対一ならフィーナがオオカミに負けることは無い。今日の戦闘で学ぶべきだったのは多対一の戦闘と自分の限界。
学ぶべきことは学んだのだから、最後の1匹ぐらい俺が貰っても良いだろ?
「むぅ……ズルいです」
「トーカ……お前と言うやつは」
2人の視線を感じながら俺は馬車の中に戻っていった。
オオカミが襲ってきた以降、それ以外の襲撃は無かった。雨が激しくなって動物たちも木の下や巣でじっとしているのだろう。
俺たちは腹時計を頼りに日が沈む時間を割り当て、キャンプを張ることにした。
と言っても、今日はしっかりとしたキャンプは出来ない。
長い雨のせいで地面がぐしょぐしょになってしまっているのだ。この状態ではテントを張ることも難しい。
そこでリリウムが言いだしたのは、少し危険が伴うが木の下にキャンプ地を作ることだ。
それならばこの長い雨でも地面は他ほどひどくは無く、シートを引けば何とかなる程度に収まっている。
しかし木の近くは同時に森の近くでもある。そこからいつ魔物や野生の動物が襲いかかって来るのか分からないため、危険度はぐっと上がるのだ。
そのことを説明したうえでリリウムは俺達にどうするかと聞いてきた。
俺達の答えはもちろんイエスだ。
このままでは埒が明かないし、俺達3人なら魔物に対する対処もある程度出来る。
「じゃあ木の下に馬車を止めますね」
すっかりくたくたになっている愛馬を木の下へと誘導するフィーナ。
俺は途中で馬車から飛び降り、地面の具合を確かめていた。
確かに長い雨が降っているのにもかかわらず、木の下の地面はそれほどひどくない。これならテントの杭がしっかりと刺さるだろう。
「これならいけるな」
「そうだろう。私も先輩冒険者から聞くまでは大変だった。冒険者の常識として森の近くでのキャンプはあり得ないと思っていたからな。その発想自体が無かった」
俺の後を追って飛び降りたリリウムが頷きながら近寄ってくる。
「それまではどうしてたんだ?」
「テントを張るのはあきらめて、テントは杭を使わずにそのまま潰した状態で雨宿りした。眠ってしまえば関係ないが、すぐに出れないのが少し問題だったな」
「なるほどね」
潰した状態のテントでも少しは嵩ができる。地面とその間に入り込んで寝てしまうってことか。
「トーカ! シートを」
「おう!」
馬車を止めたフィーナが中からシートを取り出して放り投げてきた。それをキャッチして地面に敷く。
「晩飯はどうする? この状態だと火は起こせそうにないけど」
「大丈夫です! こんな時の為に火打石は持ってきていますし、予備の薪も料理を作る分ぐらいなら馬車に積んであります」
「準備が良いな」
リリウムが感心したようにつぶやいた。
ってことはこれは冒険者の常識って訳じゃないのか。
「料理担当としてはなるべく毎日美味しい料理を食べてもらいたいですからね。自然と不測の事態に備えるようになっちゃいました」
「それは助かる。私も手伝おう、何をすればいい?」
リリウムがフィーナのもとに歩いて行く。俺はその背中を見送ってシートがずれないように杭を打ち込み始めた。
桃花がシートに杭を打ち、テントの準備をしている間にフィーナとリリウムで料理の準備をする。
薪が雨で濡れないように、今日は馬車の屋根の一部を伸ばしてそこの下で料理の準備をしていた。
そこでリリウムはフィーナの様子がいつもと少し違うことに気付く。
普段なら気付かなかったろうが、初の戦闘と言うことで何かと注意していたのが功を奏した。
「フィーナ、どうした? やはり初の戦闘でいろいろ堪えたか?」
リリウムが心配しているのは、初めて人が動物を殺めた時に感じる心の痛み。誰でもそれは感じるもので、リリウムがオオカミを殺したときも、夜になって自分の手が震え怖くなるのを感じた。
倒した直後は昂揚感で気付かないものだが、こういうのは後になってゆっくりと心にしみて来るものなのだ。
ゆえに初心者の冒険者は初めての殺し以降半日程度は仲間のベテラン冒険者か、それがいない場合は酒場など人が大勢いる場所にいるようにしている。
しかしフィーナは首を横に振るった。
「いいえ、商人をしていたときも、魔法で動物を殺したことは何度かありますし、捌くのも何度かやって慣れてますからそれほど堪えたと言うことはありません」
「では重い日なのか?」
フィーナが違うと言ったため、リリウムが次に思い浮かんだのが生理だ。
女性ならではの悩みだが、毎月必ず訪れるものでもある。
「そうじゃありません」
しかしフィーナはくすりと笑ってそれも否定した。
リリウムの自分を心配してくれる様子に吹っ切れたフィーナは、リリウムに視線を合わせる。
「私が気にしているのはトーカの事です」
「トーカの?」
「トーカは……常識が無さすぎると思いませんか?」
「常識が?」
リリウムは首を傾げる。フィーナは自分の意見を補足するために、桃花と会った時の様子を話していった。
話を聞き終えたリリウムが顎に手を当て考え込む。
「なるほど。貨幣価値を知らず、町の位置も知らず、馬の扱いも分からなかったか」
「それに加えて今日の魔法の事です」
「トーカが雨なのに魔法を使って倒そうとしたことか?」
リリウムは桃花の言い訳を案外すんなりと受け入れてしまっていた。桃花ならばあり得そうということで特に疑問を持たなかったのだ。
しかしフィーナは違った。桃花の良い訳が嘘であることを見抜いていた。
「あの時の桃花の言い訳は、多分後付です。実際は知らなかったか忘れていたかのどっちかだと思います」
「馬鹿な。雨の日に魔法が使えないのは5歳児でも常識として知っているのだぞ?」
「でもトーカは常識をほとんど知りませんでした。本当にこの大地のどこかで育ったとは思えないほどに」
「確かにそうだが……」
フィーナの意見にリリウムは否定できる要素を持たない。しかし、と悩む。
「リリウムさんの言いたいことも分かります。トーカがあえて秘密にしていることなのだから、強引に聞き出すのも調べるのも疑うのも良くないと思う気持ちも分かります。私もそう思います」
「ならなぜ?」
リリウムは自分で聞いて愚問だと思った。フィーナの思いは嫌と言うほど分かっているではないかと、自分の心に答えを出す。
「トーカのことが好きだからです。好きな人のことを知りたいと思う気持ちは当然でしょ?」
「そうだな」
まっすぐなフィーナの視線を受け、リリウムは肯定する。
するとフィーナは表情を曇らせた。
「やっぱりリリウムもトーカのことが好きなんですか?」
「へ?」
フィーナの口から発せられた言葉に、リリウムは思わず気の抜けた声を出す。
「共感できると言うことは、リリウムもトーカのことが好きってことですよね」
フィーナの視線はつらそうだ。短い期間とはいえ、友人となった人物と好きな人を取り合うのはつらい事だからだ。
しかしその考えは、リリウムには届かない。
「ま、待ってくれ! いつ私がトーカを好きと言った!?」
「言わなくたって分かります。聞けば魔の領域からトーカを追って来たり、一緒に依頼を受けようと誘ったり、婚約の相談を最初にしようとしたらしいじゃないですか。そんなこと出来るのはトーカが好きだからに――」
フィーナは話すごとに表情を暗くしていく。今にも野菜の皮をむいているナイフを振りかざさんばかりに。
その状態に慌てたリリウムがフィーナの言葉を強引に止める。
「待てフィーナ! それは誤解だ!」
「え?」
ストンとまな板にナイフが振り下ろされ、野菜を真っ二つにする。
「私はトーカを好きだと思ったことは無い! 彼に向ける感情があるのは確かだが、それは同じ冒険者の仲間としてや、私より強いものに対する興味だ!」
「そ……そうなんですか?」
フィーナの表情がパッと明るくなる。それに伴うようにナイフもキラッと光った。
その光景に表情を引きつらせながらリリウムが頷く。
「そうだ。私はトーカに恋愛感情は持っていない。それにフィーナがトーカを好きだと言うことも分かっているつもりだ。ちゃんと応援するぞ?」
「それは嬉しいんですが……本当に良いんですか?」
フィーナはまだ僅かに疑っていた。
「もちろんだ! あいつは見たところ恋愛感情には疎いようだからな。誰かの協力が必要になるのは目に見えている」
「やっぱりトーカって疎いんでしょうか?」
フィーナはこれまで恋愛をしたことが無い。だから一般的な男子の恋愛感情を知らないため、桃花が普通かどうかが分からないのだ。
ただ桃花が色々と普通じゃないため、恋愛に関しても普通じゃないとは薄々思っていたが、リリウムによってそれは確信に変わる。
「どうもトーカは女性に対して恋愛感情を持ったことが無いように思える。もしかしたら過去に恋愛していた可能性はあるが、どうも人と距離を置こうとする性質があるだろ?」
「ええ、自分の力が人と違うことを気にしてましたから」
「そのせいで恋愛にも発展させられないのではないかと思う。だからトーカに恋愛感情を持たせるには、こっちからひたすら攻めるしかないだろう」
「うぅぅ……私も人を好きになったのは初めてなので、どうしていいか分からないです」
次にトンットンットンッとナイフが根菜を一口大に切り分けられていく。そして切った野菜を籠に避けて、荷物の中から保存の魔法を解いた生肉を取り出した。
「私も恋愛経験は無いからな……冒険者のことに関してなら色々とアドバイスできるのだが」
リリウムがこれまで告白された回数は数知れず。
しかし自分から恋をした経験は無かった。誰もかれも自分より弱く、リリウムの体目当てで告白してくるような連中ばかりだったのだ。当然と言えば当然だろう。
強引に迫ってきて返り討ちにした人数は両手両足の指を使っても数えきれないほどだ。
「いえ、頼りきってたらダメだと思いますから。自分で色々考えてみようと思います」
「そうか。考えに詰まったら私も一緒に考えるから頑張ってくれ」
「ありがとうございます!」
そう言ってフィーナは両手をグッと体の前で握りしめる。
その姿だけ見たのなら健気なのだが、いかんせん手には肉を切った後の血の付いたナイフが握られていて物騒だった。




