40話
扉がノックされたのは、昼になる少し前だった。
ミリーたちが来たのが9時頃だったし、もう2時間も読んでたのか。
「どちらさん?」
「フィーナです」
「了解。今開ける」
扉を開けると、やけに気合いを入れたフィーナが立っていた。
「お久しぶりですね」
「おう、久しぶりだな。どったの?」
「ごはんのお誘いです。もう食べちゃいました?」
やっぱりだったか。フィーナが来たって聞いたときから予想してたからそこまで驚かない。約束してたしな。
「いや、まだ」
「じゃあ食べに行きましょう。いいお店を見つけたんです!」
「了解。ちょっと準備するから待ってな」
「はい」
財布だけ取り、上着を羽織って部屋から出る。
鍵をかけ1階に降りると、また女将がにやにやした表情でこっちを見てきていた。
「鍵預けるぜ」
「あいよ。帰りは遅くなるかね」
「どうだろうな。飯食って来るだけだし、案外早いかも」
「あらら、こりゃフィーナちゃんも大変だね」
なぜかフィーナに気の毒そうな視線を向けて鍵を預かる女将。
帰ってきてから様子が変なんだけど何かあったのか?
「じゃあ行くか。どこの店?」
「住宅街にある隠れた名店です! リーズナブルですっごく美味しいって評判なんですよ。今から行けば、まだ並ばずに入れるはずです」
「おお、それは期待できそうだな」
前の氷精霊の恵みはトラウマもんだったからな。住宅街の隠れ家的名店とか、元の世界でも美味いことで有名じゃん。
フィーナに案内され向かった店は、本当に住宅街の中にある普通の一軒家だった。
最初見た時は、本当にここが店なのだろうかと疑いたくなる程だ。
そこが店だと主張しているのは、たった1枚の看板のみ。それも、今日のメニューを書いただけの、店の名前も書いていない看板だ。
偶然通りがかっただけじゃ、これが何か分からずに通り過ぎる人が多いだろうな。
「やっぱり何とか間に合いましたね」
「そうみたいだな。さっそく入るか」
「はい。入口はこっちみたいですね」
門を抜け、綺麗に花を活けられた花壇の間を通って扉の前に辿り着く。そこで初めて店の名前が書いてあった。
「えっと、ラ・ペリッシュ?」
「そうです。こんなところにお店の名前の看板があるんだから、普通の人はなかなか気づかないですよね」
「そうだな。人気にしたくてやってるとか、儲けたくてやってるって感じじゃないんだな」
「料理長の趣味らしいですよ。やっているのも料理長の奥さんと娘さんの3人で切り盛りしているみたいです。入りましょう!」
「おう、そうだな」
扉を開けると、喫茶店で鳴るようなカランコロンとした音が聞こえた。
それに反応して中から「いらっしゃいませ」と元気な声が聞こえてくる。声が若いし、たぶん娘さんなんだろうね。
中は民家を改装して作ってあるらしく、大部屋になっていた。そこに10個ほどテーブルが並び、それぞれの席で客が料理に舌鼓を打っている。
「お待たせしました。何名様でしょうか?」
出てきたのはやはり娘だった。黒いエプロンをした、頬のそばかすが特徴的なショートヘアの少女だ。
「2人です」
「どうぞこちらに」
少女に案内され2人用の席に着く。
「今日のランチは、旬の野菜を使ったサラダとララス豆を使ったスープ、メインがビーリズの煮込みになります。パンは食べ放題になってますので、店員にお申し付けください」
「はい」「了解」
店員の態度がやけに丁寧だな。どっかのレストランみたいだ。
いつも食べてる店が、ギルドの休憩所だったり、止まり木の食堂だったり、露店だったりするからこんな対応は新鮮だね。
「トーカは昨日までニストル山に行ってたんですよね? その怪我はその時に?」
「お、これか?」
俺の左肘はいまだに魔法で固定されている。肘が動かなくても、意外と日常生活に支障はないが、ナイフとフォーク両方使うには少し苦労するかも。
「おう、魔物と戦ってる時に少しな。骨に罅が入った程度だけど、完治するまでに3週間はかかるってさ。それまではしばらく休業だ」
「トーカが怪我しているところなんて初めて見ました」
「俺だって一応人間だぜ? 怪我もするし病気にもなるさ」
「それでも今までが今まででしたからね。あの話を聞いた後は、余計にそう思っちゃいます」
あの話ってのは月のことを言ってんだろうな。
話に出てくる極星と同程度の能力を持った加護星だからな。
「あれは確かに強力だけど、ただの加護だからな。魔法は強くなるかもしんないけど、体は丈夫にならんよ」
「え? じゃあトーカのあのふざけた力は?」
「あれは別物だ」
てかふざけたって……
確かに常識はずれな力だけど、言い方ひどくない?
「てっきりその力も加護の影響だと思ってました」
「違うぜ」
「でもどうしてそんなことが分かるんですか? もしかしたら加護の力かもしれないのに」
「え?」
「だって、生まれた時からある加護の力と、そうでない力の違いって分からないじゃないですか」
しまった。俺は加護の星がない世界からこっちに来たし、神さんに説明してもらったからこの力が別物だって分かってるけど、フィーナ達は生まれた時から加護星がついてるんだった。
ならこの力が加護の力だと思われてもおかしくない。むしろそう思う方が自然なのか。
さて、どうしたもんか。
俺が考えを巡らせていると、1品目のサラダが運ばれてきた。
持ってきたのはさっきの少女に似た顔つきの女性だ。そばかすのでき方までそっくりだし、さっきの少女の母親かな?
「お待たせいたしました。旬の野菜を使ったサラダになります。上には家で作った特製のペティールを載せてあります。こちらは焼き立てのパンになります。ごゆっくりどうぞ」
店員が去って行ったのを見て、俺はフィーナに問いかける。ついでに話を逸らせたらいいなー。
「ペティールって何?」
「ペティールは主にひき肉に香味野菜を練り込んだお肉料理の事です。お店それぞれに独自の味があって、それぞれに美味しいんですよ。家庭でも作っているところがあるので、ある意味お袋の味って言えるかもしれませんね」
つまり現代のパテか。
「へー、フィーナは作ったことあるのか?」
「私はありませんね。ペティールには熟成期間が必要なので、各地を行き来していたときには作れるものではありませんでしたから。でも、今なら時間はあるので作ってみても良いかもしれません」
「もし作ったら食わせてくれよ。フィーナの料理久しぶりに食いたいし」
「もちろん。色々お世話になってますからね。完成品を1番に食べてください」
「そりゃ嬉しいね。楽しみにしてるよ」
ここのペティールもかなり美味かった。風味のいい香味野菜が肉のうま味を上手く引き出している。
旬の野菜もそれぞれ瑞々しく、甘味が強い。それに合わせて掛けられたドレッシングが口の中で味を調えていた。
「やっぱり噂になるだけのことはありますね。サラダだけでこんなに美味しいとは」
「だな。そういえばその噂はどうやって調べたんだ?」
「お買いものに行ったときに、お店の人にそれとなく聞いてました。そのせいで随分時間がかかっちゃいましたけどね」
「それに見合った価値はあったってとこかな?」
「もちろんですよ!」
次の料理が出て来る。次はララス豆のスープだっけ?
「こちらララス豆のスープになります。お皿が熱くなっていますのでご注意ください」
「ありがとうございます」
ララス豆のスープは大き目の底が浅い皿に入れられていた。
見た目は色鮮やかな黄緑色。この色は枝豆か?
ララス豆だから豆類なんだろうけど、色からしても枝豆っぽいよな。それか空豆か。
「綺麗な色ですね」
「豆の色だよな?」
「そうですね。でもここまで綺麗に色が出てるもの珍しいです。普通はもっと白くなるはずですから」
「へー、料理ってあんまりよくわかんねぇけど、フィーナは詳しいのか?」
「色々な場所の色々な料理を食べましたからね。自然と詳しくなっちゃいました。それに料理は私の担当でしたから」
「そっか」
移動中の事か。確かこっちの世界に来て初めて食べた料理ってフィーナの料理だったんだよな。あの時の料理も美味かったな。
てか、ちょくちょく商人時代の話持ち出しちゃったけどよかったのかね? いくら時間が経ってるって言ってもフィーナの親父さんが殺された訳だし、なるべく思い出したくないんじゃ?
俺は話の内容を変えるべく、ネタを何か探す。基本的にフィーナは商人時代のことが経験としてはほとんどだから、なるべく最近の話が良いな。
「そういえばフィーナは爺さんに逢えたんだよな? 今は何してんだ?」
「今ですか? 今は家でゆっくりしています。でもそろそろ仕事を見つけないといけないですね。いつまでも祖父の手を煩わせるわけにはいきませんし」
「爺さん1人暮らしだって言ってたよな? ならやっぱ仕事も王都で探すのか?」
「特に王都でとは決めていませんね。祖父はかなり自立した人ですし、近所付き合いも豊富ですから寂しいと言うことは無いそうです。むしろ私を王都に縛り付けるのに抵抗があるぐらいって言ってましたから」
今までがずっと一人暮らししているとそうなるのかね? まあフィーナがずっと各地を旅していたことも考えて自由にさせてるんだろうな。
「ですからいっそのこと、冒険者をやってみても良いかと思ってるんです。私も1等星の加護がありますから良いところまでは行けると思いますし、知識も商人としての期間のおかげで豊富ですから、それを生かせないのもどうかと思いますし」
「フィーナが冒険者か。あんま想像つかねぇな」
フィーナが剣とか振り回しながら魔物と戦う姿がなかなか想像できない。むしろ小さい犬型の魔物とかに追い回されているイメージが強いんだけどな。
「むっ、今失礼なこと考えませんでしたか?」
「ハハ、まさか。フィーナの属性魔法は氷だよな? 攻撃魔法とか知ってるのか?」
冒険者ともなれば必然的に戦闘が多くなる。それは相手が魔物だったり盗賊だったりするわけだが、どちらにしろ強力な攻撃魔法が無ければどうしようもない。
俺の場合はウィンドカッターが月のおかげでありえない威力になってるし、近いうちにサイディッシュの強化版も完成する。攻撃力としては十分すぎるぐらい持ってるが、フィーナは違う。
フィーナは今まで保存の魔法を重点に使ってきた魔法使いだ。なら敵を倒すために使う魔法と言うのをほとんど知らない気がするんだけどな。
「確かに私自身は攻撃系の魔法をほとんど使ったことはありませんね。けど魔法自体は知っていますよ」
「そうなの?」
「私と父が商人をしていたときはずっと2人でやってきたって言っていたじゃないですか?」
「そうだな」
フィーナが保存の魔法を担当して、父親が商売の交渉兼護衛をしてたって聞いている。
「私の父も属性魔法が使えたんです。2等星の炎属性でした。炎属性はかなり強力な攻撃魔法ばかりの属性で、そこら辺の10人程度の盗賊なら簡単に倒せるほどの力を持ってたんです。けど、父の方針で私も攻撃魔法を覚えておくように言われてたんです。常に自分がそばにいられる訳じゃないから、覚えておいて損は無いって」
なるほどね。だから使ったことは無くても攻撃魔法自体は覚えてるってことか。
「ならいいんじゃないか? 俺が止めることでもないしな。けど爺さんにはちゃんと言っとけよ?」
「もちろんですよ。でも、冒険者になったらトーカが先輩ですから色々教えてくださいね」
「俺も始めて1か月程度だけどな」
3品目。今日のメインディッシュが来た。ビーリズの煮込みと言っていたから、ビーフシチュー的なものを想像していたが、どうやら当たりだったみたいだな。
店員にパンのおかわりを頼み、シチューにスプーンを入れる。
ビーリズはスプーンで簡単にほぐれるほど柔らかく煮込まれていて、片手でも問題なく食べられる。
フィーナもビーリズの柔らかさに驚いたような顔をしている。しかし、それも口にいれればすぐに満面の笑顔に変わった。
俺もその様子を見てからシチューを口に運ぶ。
口元に来ただけで濃厚なシチューの香りが口の中に涎をあふれさせた。
一口入れれば、ビーリズは溶けるようになくなり、うま味が口の中に充満する。
「美味しいですね」
「ああ、スゲー美味い」
感想はそれしか出てこなかった。
それ以降、会話することも忘れ、俺とフィーナは黙々とシチューに手を伸ばす。時々焼き立てのパンを口にいれれば、その柔らかな風味と小麦粉の香りがくどくなり始めたシチューの味をリセットし、再びシチューを楽しめる。
パンで最後の一滴も残すまいと掬うようにシチューを取り、口の中に入れたところで、初めてホッと一息ついた。
「思わず黙々と食べてしまいましたね」
「想像以上の美味さだったな。こりゃ何度でも来たくなりそうだわ」
「そうですね。今度はみなさん誘って来ても良いかもしれません」
「みなさん?」
フィーナにそんな誘うような知り合いっていたっけ? いつも商人だったから友達はいないって豪語してた気がするんだけど。
「先日トーカ関連で知り合ったリリウムさんとミリーさんとクーラさんです」
「あの3人にあったの?」
俺のいないところで思わぬ出会いが起きていたのか。
「トーカに昼食を誘いに来たときに会ったんです。ミリーさんはお礼を言いに来たとか。後リリウムさんは何か悩み事の相談みたいでしたけど、もう相談に来ました?」
「リリウムが相談? うんや、まだ来てない」
「なら一度聞きに行ってあげても良いんじゃないですか? 色々お世話になったんですよね?」
「そうだな。そういうことなら明日あたり行ってみるかな……あー、でもリリウム貴族だし、簡単に会えるかね?」
オルトロの時にリリウムが言っていたように、一応の貴族ですら冒険者じゃ簡単には会わせてもらえない。たぶん取次すらしてくれないだろうし、リリウムの家に行ってもそもそも会わせてもらえない可能性が高い。
てか見合いに戻ってきてる貴族の娘に、どこの馬の骨とも知らない冒険者の男を会わせるはずないよな?
「そういえばそうでしたね。じゃあ待つしか無いですか」
「まあしばらくは依頼には出れないし宿でのんびりしてるから、すれ違いになることはねぇだろ」
「それもそうですね。私も町であったら話しておきます」
「頼むわ」
最後にデザートの果物が出てきて、フィーナとの昼食は終わりを迎えた。
料金はもちろん俺持ちだ。今回はフィーナが言っていた通り、2人で3000チップと非常に安く済んだ。
これだけの料理を3000で出して問題ないのかいささか不安になる値段設定だったが、まあ趣味だから出来るんだろうなってことにしておく。