37話
「へくしっ!」
女性陣が偶然の邂逅を果たしているとはつゆとも知らず、俺はニルスト山を登っていた。
「大分冷えてきたな。けど森林限界があるほど標高は高くねぇな」
山頂は思っていたほど高くない。雪が積もっている気配も無いことから、そこまで寒いこともなさそうだ。
しかし、ならば木々が1本も生えない理由が存在するはずだ。活火山としての活動を休止してからかなりの年月が経つニルスト山で、その理由を考えると思い当る節は1つしかない。
「魔物の影響かね? マグナワイバーンがなにか原因作ってんのか、それとも他の魔物もいるのか」
マグナワイバーンが原因ならばいいが、他の魔物もいるとなると少し面倒だ。
マグナワイバーンと戦っている間に襲いかかってくる可能性があるのは、戦いに集中できないため、つまらない。
今んところ魔力反応は無いし、魔物はいないっぽいけど、もうちょっとすりゃいるのかね?
登山は山道から徐々に岩場の目立つ砂利道になってきている。周りの木も減ってきていることから、目的地が近いことも示している。
俺は、さらに上を目指してどんどん進んで行った。
魔物の反応があったのは、それから10分ほど登ってからだった。
魔力が割と大きい程度だ。ジルコルと比べても、さほど大きいとは思えないし、これがマグナワイバーンとは思えなかった。
とりあえずこの反応に行ってみますかね。
しかし近づいていくと、急激に魔力の反応が膨れ上がった。その大きさはジルコルを超え、以前見たドラゴンに近づかんばかりだ。
「眠ってたってことか?……」
こっちのことに気付いて起きたのか。
魔力の肥大化が収まると、反応は動き出した。かなり速いスピードで一直線にこちらに向かって来る。
このスピードが出せるのは飛んできてるってことか? マグナワイバーンはたしか骨の魔物のはずだから、空は飛べないはずなんだけどな。
空を見上げながら、魔力反応が近づいてくるのを待つ。
「そろそろ来るな」
もう見えてきてもおかしくない。サイディッシュを構え、魔物の襲撃に備える。
しかし、魔物の影は見えてこない。
眉をしかめた瞬間、地面が小さく揺れた。この感覚は覚えている。巨大ミミズと同じ、地面から来るときの揺れだ。
「地面か!」
魔物の反応が足元まで来る。そして地面が盛り上がった。
俺はとっさにその場から飛び退き、サイディッシュを振るう。
飛び出してきた魔物は、骨だった。全長はかなり大きく、4メートルはありそうだ。
振るわれたサイディッシュは骨に直撃するも、カンッと高い音がして弾かれるだけだった。傷の1つも入らない。
飛び出した魔物は、そのかつて目のあった穴をまっすぐにこちらに向けてくる。
――見えてるってことか。
魔物を視界にとらえたまま、その魔物が出てきた穴を見る。それでなぜ、これほどの速さでここまで来れたかが分かった。
ここはかつて火山活動があった山だ。つまり、そこら中に溶岩が通った後の穴が開いている。
マグナワイバーンはその穴を使ってまっすぐ俺の足もとまで来た。地面の揺れが巨大ミミズと同じ程度だったのは、掘ってきた訳でなく、ただ走って来ただけだからだ。
これがもし、掘って来たのであったら、もっと大きな揺れが起きていただろう。
木が生えないのも、この穴のせいだ。まともに根を張れないほどの穴が地下にあったのか。たぶんマグナワイバーンが既存の穴からさらに掘りすすめたりしてるんだろうな。
「それにしても速いな」
穴を一直線に通ってきたとはいえ、そのスピードはジルコルの突進速度を優に超えている。空を飛んできてるのかと勘違いするほどなのだからよっぽどだ。
走るのが速いのか、それとも別の方法で移動してんのかは分かんねぇけど、あれがデフォルトだとすると厄介だな。
サイディッシュは、その威力と大きさの分、動きがどうしても遅くなる。正面から力押しで来る魔物にはめっぽう強いが、スピードで勝負してくる魔物には非常に弱い。
とにかく睨み合ってても始まらねぇ。先手は取られたけど、ここからはそうはいかねぇぜ!
サイディッシュを振りかぶって走り出す。
それに合わせるようにマグナワイバーンも動き出した。マグナワイバーンは、俺と直接ぶつかるのを避けるように横に走り出す。その速度は、さっきの移動より遅い。
さっきの移動は走ってきた訳じゃないのか? いや、まだそう判断するのは早い。
追いかけるように俺も横に動き出す。平行線に動きながらお互いに隙を伺う。
先に隙を作ってしまったのは俺の方だった。
「やべっ」
今までは土の上での勝負だった。けど今は山、しかも大きな石がごろごろと転がる場所だ。その事を考えていなかった。
俺は石の動きに足を取られ、躓く。何とか転ぶことは防ぐも、それは相手にとって絶好な隙となった。
瞬間、マグナワイバーンが吠える。そして先ほどとは比べ物にならないほどの速さでこちらに迫ってきた。
だが足は動かしていない。滑るように動いて来ているのだ。
「この動きか!」
サイディッシュを地面に突き刺し、棒高跳びの要領で上に逃げる。
サイディッシュから手を離すと同時に、マグナワイバーンは俺のいた場所を通り過ぎ、サイディッシュを吹き飛ばした。サイディッシュは地面を滑り、遠くの岩にぶつかって停止する。
けど俺も、ただ武器を失うだけなんて愚かなことはしない。
マグナワイバーンの背中が俺の下を通ると同時に、その背骨に手を掛ける。そして背中に飛び乗った。
「ここならそのスピードも意味ねぇだろ」
背骨を駆け上がり、首の骨を叩こうとした時、俺は強烈な空気の壁にぶつかり、背中から叩き落されそうになる。とっさに背骨をつかみ、落ちるのを防ぐが、強烈な風が俺の体に襲いかかった。
「クッ……」
マグナワイバーンが常軌を逸したスピードで動いている。
土煙を巻き上げながら、山肌を疾走するマグナワイバーンは、無軌道に方向を変え、俺を強引に振り落とそうとする。
さらにつかんでいた骨がどんどんその温度を上げていく。俺の手の平はすでに火傷ができていた。
これがこいつの骨の温度か……
ジュウジュウと手から煙が上がる。これ以上はマズい。サイディッシュを握れなくなる。
そう判断した俺は、背中に乗り続けることを諦め、手を離した。
「月示せ守りの風、ウィンドクッション!」
最大限の力で魔法を発動させる。
着地点に風でクッションを作り、体を丸くして衝撃に備える。
バスンッ!
空気のクッションと衝突し、クッションがはじけ飛ぶ。そのおかげで衝撃が分散され、俺へのダメージはほとんどなくなった。
地面を転がり、完全に止まったところですぐさま体を起こす。
あの速度で動いてんなら、真正面から轢かれただけでも体が吹き飛びかねん。トラックなんてレベルじゃねぇぞ。
両手に走る痛みを堪え、高速で動くマグナワイバーンを視界にとらえる。
幸い、マグナワイバーンの移動には大きな土煙が付きまとうため、場所の補足はしやすい。もしこれで土煙が巻き起こらなかったら、マグナワイバーンの場所を捉える事さえできなかったかもしれない。
「厄介だな。硬いうえに速い。今までほっとかれる筈だわ」
素材として非常に便利な魔物なのに、今までこんな近くの山に生息していられたのはこのせいだったのかと、今更ながらに痛感する――けど
「もう、お前だけの速さじゃねぇぞ!」
背中に乗っている時、そして飛び降りた時にマグナワイバーンの足を見て分かった。
こいつは魔法を使ってこの速度を出している。おそらく魔力を足に溜めて、進行方向とは逆方向に噴射することで、滑るように動いているんだ。
魔力を魔力のまま使える魔物ならではの技だが、仕組みさえわかれば、魔法として応用できる。
リリウムも風の魔法を使って高速で移動していたし、できない筈は無い。
「月示せ疾風の流れ、ゲイルムーブメント」
文字通り疾風のごとく掛ける。しかし魔法で移動しているだけの為、自在に動くことができない。
今いる場所から直線に一瞬で移動する。それがこの魔法の能力みたいだな。
しかし一度発動すれば、何度かは連続で移動できるようだ。
俺はマグナワイバーンの背後に回るように移動する。その速度は、マグナワイバーンと同程度か少し早いぐらいだ。おかげで何度かの移動ののち、マグナワイバーンの尻尾を捉えることができた。
しかしここからが問題だ。
マグナワイバーンの骨は、今や煙が上がるほどに発熱している。捕まえようにも素手で持つことは出来ない。
首元まで行くには、手か足、尻尾の骨を登っていくしかない。
つまり手を使わずに、靴の裏を溶かしながら登るしか方法は無いのだ。しかも靴が溶けるまでの制限時間と挑戦回数制限まで付いてる。
「かなり厳しいな」
ゲイルムーブメントは、直線的に動けるだけだった。骨の上のような曲線の上を進むことは出来ない。
もし強引に使えば、たちまち空に投げ出されてしまうだろう。
ならばどうするか。
足止めるしかねぇよな!
首の関節が強打で外れるのなら、他の関節も同じはずだ。魔力を見たところ、各関節も魔力で補強してあるみたいだけど、それも首と同じぐらい。
なら俺が全力で叩けば外れるはず。
マグナワイバーンの横に並び、さらに前に出る。そこで一気に止まり、振り返る。すぐそばまでマグナワイバーンは迫ってきていた。
「ぶち抜け!」
すれ違いざま、マグナワイバーンの右前足の関節に左肘をぶつける。その一瞬だけで俺の服の袖が溶け、肘の皮をもしっかり焼かれた。ピキッと嫌な痛みが走ったから、骨に罅が入ったかもしれない。
しかし、マグナワイバーンの関節も外れた。外れた腕が遠くへ弾き飛ばされる。
バランスを崩したマグナワイバーンが、地面を削りながら停止した。
その隙を逃さず接近し、再びマグナワイバーンの背中に上る。じゅうじゅうと靴の裏が溶け、焦げくさい臭いを発生させた。
「これでお終いだ!」
無事な方の腕でマグナワイバーンの首に拳を叩きつけた。
「なかなか美味しいお店だったわね」
「そうですね。これなら家のシェフにも劣らないかと」
「ここのクッキーは、氷属性が使えるシェフが、冷やした生地を高温で一気に焼くことで、サクッとした歯ごたえと香ばしさを増しているそうですよ」
「魔法も色々便利よね。私も使えればよかったのに」
「ミリー殿は使えないのか?」
「無属性魔法しか使えなかったわ。調べた加護も五等星だったしね」
「その分無属性魔法を極めておられますが」
喫茶店で桃花に関する情報交換をした4人は、喫茶店を出て町を歩いていた。
「じゃあ私はそろそろ帰らせてもらうわね。今日は楽しかったわ、ありがとう」
「いえ、私も楽しい時間を過ごさせていただきましたから」
「そうだな。色々面白い話も聞けたし、有意義な時間だった」
ミリーとクーラが町の坂を上って行こうとする。フィーナの家は町の外周にあるため逆方向だ。
「私もミリー殿たちと同じ方向なようだな。失礼する」
「またいずれ会いましょう」
「はい。さようなら」
フィーナは1人、坂を下りて行った。それを見送ってリリウムが口を開く。
「ミルファ王女、なぜ町でふらふらしているのですか?」
「そりゃ、私が王女で、町を見るのは大事な仕事だからよ?」
「ふざけないでください。先日暗殺騒ぎがあったばかりだと言うのに」
「フフ、でもそのときはトーカが助けてくれたし、今はAランク冒険者のあなたがいるじゃない」
「それはたまたまです」
「まあ、いいじゃない。護衛もちゃんと強化しているし問題ないわ。それよりリリウム」
「なんでしょうか?」
「トーカはこの国の物に出来ると思う?」
ミリーはミルファの顔つきになり、リリウムに聞いた。クーラは後ろに控え何もしゃべらない。
「おそらく無理かと。トーカはひたすら自由です。彼を縛ることは出来ないと思われます。もし何かしら魂胆があるのであれば、懇意にしている程度に抑えるべきかと」
「ふーん。リリウムは大分仲が良いのよね?」
「それもかなり微妙なところですが……」
なにせ最初はリリウムが勝手に追っかけてきたのだ。商隊の移動もたまたま行く場所が一緒だっただけの話。
色々魔法を教え合ったりもしたが、ただの冒険者仲間と言う印象が強い。
トーカがどうリリウムを意識しているか、聞いたことが無かった。
「まあ、今度王宮に呼ぶことは決定しているし、その時にアプローチしてみましょう。断られたら……その時はすっぱりあきらめた方が良さそうね」
リリウムの顔を見て、ミルファは考えた後そう言った。
「そういえばリリウムは何かトーカに相談があったのよね?」
「ごくつまらない私事ですが」
「それでもいいわ。何だったの?」
王女の命令に個人で逆らえる貴族はいない。リリウムは仕方なく実家の現状を話す。
「なるほどね。強引な婚約か。国としては貴族どうしがくっついてくれた方が良いんだけど、リリウムは嫌なのよね?」
「私はまだ結婚する気にはなれませんし、冒険者として過ごしていきたいと考えています。兄がしっかりと家は継いでくれたので、問題ないと思っていたのですが」
「うーん。女としては自由にしてもらいたいのよね」
ミルファも王族である前に1人の女だ。好きな相手と結婚したいと言う願望はもちろんある。
「そのお言葉だけで十分です。ミルファ様にご理解いただけているだけで救いになりますので」
「そうは言ってもねー」
「では私の家はこちらになりますので、これで失礼します」
「あら、もうそんな場所なのね。ええ、また会いましょう」
リリウムが去っていくのを見ながら、再び坂を上り始める。
「ねえクーラ。どうにかなると思う?」
「不可能かと思われますね。聞いた限りは、根回しが周到ですので王族として国に害のある婚約でもない限り、貴族どうしの婚約に口をはさむことは出来ないかと」
「リリウムの相手の貴族ってどんなの?」
「ランディバル家は1等伯に位置する貴族で、悪い噂は聞こえません。むしろ孤児院の設置などで、町の者にはずいぶんと慕われているようです」
「そんな良いところが良くリリウムを選んだわね。確かに顔は良いけど、あそこって1等爵よね?」
ユズリハの貴族の位は1等から3等の公>伯>爵で分けられ、その上に王族がいる。
通常、1等伯ならば3等公か2等伯の家と婚約を結ぶものだが、リリウムのフォートランド家は1等爵。位は3つも離れているのだ。そこに何の思惑も無く婚約を結ぶとは思えない。
「フォートランド家自体は1等爵ですが、リリウム様の冒険者としての功績のみを考えれば1等伯になってもおかしくないことをなさっています。おそらく位より名声を大事にするランディバル家はそこに目を付けたのではないかと」
「なるほどね」
リリウムはA-ランクの冒険者なだけあって、多くの魔物退治に貢献し、国民にもその名が知られ始めている。冒険者の中では知っていて当たり前という存在だ。それほどのネームバリューを持った存在ならば、名声を大事にするランディバル家としては喉から手が出るほど欲しい存在なのだ。
「問題ない家、むしろ人気の高い家だと本当に王族じゃ手が出せないわね」
「ここは堪えてもらうしかないかと」
「あんまりいい気分じゃないわね。帰ったらミントティーをちょうだい」
「承知いたしました」
ミルファはムスッとした表情で坂を上って行った。