109話
翌日。フランが目を覚ましたのは、俺達が朝食を取っている時だった。
「ままぁ……ぱぱぁ……どこぉ?」
突然奥の部屋から聞こえてきた不安そうな声に、俺とフィーナはとっさに立ち上がった。そして同時に、一歩を踏み出すのを躊躇した。
その様子を見たおばさんが言う。
「なんで行ってやらないんだ? あんたらを探してるよ」
スープのカップを片手に、覗くように見る目は、どこか俺達を試しているようにも見えた。
だが、俺たちはそんなこと構わず、二人でうなずき合うと部屋に向かって駆け出す。
壊しそうなほどの勢いであけられた扉の先。そこにはボロボロと涙を流しながらぱぱままと呼ぶフランの姿があった。
「フランちゃん!」「フラン!」
「ままぁ! ぱぱぁ!」
俺達が部屋に駆け込むと、フランはベッドから飛び降り俺達に向かって駆け寄ってくる。
それをフィーナが最初に受け止め、俺がフランの後ろから包み込むように抱きしめる。
「ごめんねフランちゃん。ごめんね……」
フィーナはフランを抱きしめながら、ひたすら謝っていた。
俺はそれを見ながら、二人の頭を優しく撫でる。
「おはようフラン。気分はどうだ?」
「ぐすっ……へいき……」
涙が止まったフランは、鼻を啜りながら俺の問いに答えてくれた。
「そうか。どうだ、腹減ってないか?」
フランを眠らせたのは、昨日の昼食をとる前だった。少し遅い時間に朝食を取っているとはいえ、さすがに昼食と夕食を抜いていれば、腹は減っているはずだと尋ねた。
「うん」
「じゃあご飯にしましょう」
フランが頷くと、フィーナが嬉しそうにそう言った。
おばさんにフランの分の料理も用意してもらい、食卓を四人で囲む。
フィーナはもはやフランにつきっきりと言っていいレベルで面倒を見ている。どこかフランが鬱陶しそうな表情の気もするが、今は我慢してもらおう。フィーナも不安で仕方が無かったみたいだしな。
俺がフィーナとフランの様子を見ていると、おばさんが自信ありげな顔で話しかけてきた。
「ほらね、大丈夫だったろ」
「ああ、予想以上にな。なんで分かったんだ?」
考えてみれば、おばさんの態度はフランが俺達を必要としていることが分かり切っている様子だった。
しかし、フランとおばさんが出会った時、二人はまともに会話なんかしていない。むしろ俺達との仲は疑う要素しかなかったはずなのだ。
「長年の勘って言いたいところなんだけどね。まあ、しっかりした理由はあるよ」
おばさんは若干苦笑しながら話す。
「フランちゃん、あんたらの事パパママって呼んでるだろ?」
「ああ」
最初に俺達と出会ったフランに、パパママの代わりになれないかと聞いて以来、フランは俺達のことをそのままパパママと呼ぶようになっていた。
それが何の関係があるのだろうか?
「あの子の両親はね、教育に厳しい人たちだったんだよ。だから、言葉づかいにも厳しくてね、赤ちゃん言葉みたいなもんはフランちゃんには教えなかったんだ。もちろん自分たちの呼び方もパパママなんて呼ばせ方じゃなかった」
おばさんの答えに、俺は若干引き気味で驚く。まさか赤ちゃん言葉を一切使わないって普通の親にできるもんなのか?
「マジか」
「マジよ。ちなみに両親の呼び方はお父様お母様だったの。だから分かったんだよ。フランが頼ってたのは、両親じゃなくてあんたらだってね」
「じゃあ俺たちは両親の代わりにはなれてなかったのか……」
懸命にやってただけに、少しショックを受ける。
まさか最初からフランが俺達を両親としっかり分けて考えてたとは……
「いや、そんなことは無いと思うよ。フランちゃんはしっかりあんたらを両親と認めてたんじゃないのかい? じゃなきゃ、起きて最初に呼ぶなんて事しないだろうしね」
「そうなのかな?」
いい加減構いすぎたフィーナから、フランが鬱陶しいと言わんばかりにスプーンを取りあげる。
その行動にショックを受けたフィーナが泣きそうな表情になっていた。
「フィーナ、構いすぎ。鬱陶しがられてるぞ」
「う……でもぉ……」
「でもぉ……じゃない。それにフィーナが全然食べれてないだろ」
「ママちゃんと食べないとダメなんだよ」
「フランちゃんに注意された……」
娘からのダメだしに、再びショックを受け崩れ落ちそうになるフィーナ。それを見ながら、俺とおばさんは笑う。
「だろ。あの子は意外と頭がいい。記憶で忘れてはいても、何となく分かってたのかもしれないね。で、どうするんだい? まだ連れて行くのを渋るかい?」
「まさか。死ぬまで面倒みるさ」
「先に死ぬのは、どう頑張っても間違いなくあんただけどね」
意外と俺の体だと、寿命まで延びてそうで怖いんだよな。娘の死に顔見るなんて嫌だぞ。
食事を終えた後、俺はフランを連れて行くということで、そのために必要になることをおばさんに聞いておく。
ちなみにフランはフィーナと隣の部屋で遊んでいる。
よほどフランのことが不安だったのだろう。フィーナはフランに受け入れられたと分かってからべったりだ。まあ、しばらくすれば落ち着くだろうが。
カランが、他の国に比べても教育が充実しているのは、以前にも話した通りだ。しかし、それをやるには子供の把握が必要になるはずである。
つまり、カランは現代と同じぐらい子供の把握がきちんとできているのだ。出生時は役所に資料の提出が義務付けられているし、もし死亡した場合も、報告しなければならない。
大人はその限りではないが、義務教育期間が終了するまでの間は絶対だ。この村では、盗賊に拉致されたと言うことで、今は生死不明の状態で登録されているらしい。
拉致などで生死が不明の場合、半年ほどで死亡と認定されてしまうようだ。
フラン以外の拉致された子供は、結局アジトでも見つからなかったな。悔しいがすでに売られてしまったか、殺されてしまったのだろう。フランですらデイゴまで移送されていたのだから、不思議ではないかもしれない。
「そうだね。とりあえず役所には行かないといけないよね。旅するってことは、学校には行けなくなっちまう訳だし。フランちゃんは生きてたんだから、その事を報告しないといけない」
「そうなんだよな。できればフランには学校に行かせてやりたいんだけど」
「おや、あんたカランの出身なのかい?」
俺の言葉に、おばさんが目を丸くしながら驚く。俺変な事いったか?
その疑問をぶつければ、おばさんはどこか感心したように言う。
「カランで育ってないと、大抵学校の制度のことは馬鹿にするからね。教育の重要性はこの国独特の価値観だ。他の国の人間で、学校に行かせてやりたいなんて言う人を私は今まで見たことが無かったよ」
「ああ、そういうことか」
教育ってのは、実際受けてみないとその重要性は分からないからな。
特に冒険者ならそうかもしれない。
「まあ、俺も子供のころは勉強教えられたからな。親の系列にカラン出身がいたのかは知らねぇけど、結構厳しく勉強させられたから」
「そうなのかい? カラン以外でももっと教育に力を入れてくれれば世の中もっと便利になると思うんだけどね」
勉強による基礎知識の増加は、そのまま人の発展に貢献するからな。それは俺の世界がよく物語ってる気がするし。
まあ、魔物みたいな敵がいる世界だと、どうしても教育させてるだけの余裕が無いのかもしれないけど、最近は国どうしの関係も良いみたいだし、上手く行けばカランのシステムが海外にも輸出出来るかもしれない。
そうなれば、確実にこの世界の技術力は進むだろうな。まあ、それが科学ベースか魔法ベースかは知らんが、どちらにしても便利になるはずだ。っと話しがずれ過ぎたか。
「まあ、その辺りは国のお偉いさんに考えてもらうとして、俺たちはフランのことだ」
「そうだったね。とりあえず役所に行ってその事を伝える。住民票を移すかどうかはその時に役所の人と相談しな」
「おう、たぶん移すことになると思うけどな。フィーナの実家がユズリハにあるし、最終的にはそっちに落ち着くだろうし」
「あんたの実家もユズリハなのかい?」
普通ならば男の親が実家に登録されるものなのだろう。その事に疑問を持ったおばさんが尋ねてきた。
「いや、ちょっと訳ありでさ、俺に実家は無い」
まさか異世界から来ましたとは言えない。
それを何か悪い事だととらえたのか、おばさんがバツの悪い表情になる。
「ああ、別にフランと同じような目にあったとかじゃねぇよ。まあ、両親がいねぇのは事実だけど、不幸なことがあった訳じゃない」
その事を聞いて、おばさんが少しホッとする。
「そうかい。まあ、必要なのはそれぐらいかね。この時期ならもしかしたら体験入学ぐらいは受けられるかもしれないけど」
「体験入学?」
「ああ、カラン以外の国の同年代や、学校に通い始める前の子供が、試しに授業を受けれるのさ」
「そんなのがあるのか!」
それは俺にとって非常に良い話だった。フランやフィーナも一度は学校に行ってみたかったみたいだし、俺も学生は懐かしい。
「なんだ、あんたも学校に行ってみたいのかい?」
「そりゃ、話しに聞いてた学校だからな」
「ならいいんじゃないかい? 体験入学は三日間だけだけどね」
「十分だ。とりあえず島はどこに行けばいい?」
「七島のレランだね。学院島って呼ばれてて、体験入学もその島の学校でやってる。役所もあるから、フランの事も相談できるよ」
「そうか、なら明日さっそく出発だ。フィーナとフランに説明してくる」
俺はすぐにでもフィーナ達に伝えたくて、席を立つ。そこで少し思い立って立ち止まる。
「ありがとうな。色々世話になった」
「いいよ、子供の幸せの為さ」
「さすがはおばさんだな」
「おばさんはよしな。私はまだ若いよ」
うっふんとしなを作ってポーズを取るどう見ても50超えたおばさんに、俺は苦笑しながらフィーナたちのいる部屋に向かった。
部屋に入ると、フィーナとフランはあやとりをしていた。
フィーナの手に複雑に張られた紐を、フランが崩さないように解いて行くゲームだ。
フランの表情は真剣そんもので、フィーナの手元を凝視している。
フィーナは、そのフランの表情を見て、楽しそうに笑っていた。そして俺が入ってくるのに気付くと、目で俺に訴える。
分かっている。フランの邪魔をしないようにってことだろ。
俺は一度頷いて、部屋の扉を静かに閉めると、テーブルに移動した。
その間にも、フランは順調に紐をほどいて行く。そして、残り後少しと言ったところで、紐が一気に崩れてしまった。
「あぅ……」
「ふふ、惜しかったですね。でもいい線行ってましたよ」
「むぅ、もう一回」
負けたのが悔しいのか、フランは再戦を求める。俺はそこで待ったを掛けた。
「ちょい待ち」
突然の声に、フランがビクッと驚いてこちらを振り返る。そして目を丸くした。
「パパがわいた」
「虫みたいに言わないでくれ……とりあえず、ちょっと話したいことがあるから待ってくれるか?」
「うん」「はい。どうかしましたか?」
「今後の予定。さっきおばさんと相談してたんだけどさ――」
と、言うことで、俺はさっきまで話していた内容をフィーナとフランに話す。
フランは難しいことが分からないだろうが、俺達と一緒に付いて行けることが分かるとホッとしたように胸を撫で下ろした。
フィーナは、役所のことは盲点だったと顎に手を当てて考える。
「おばさんの話じゃ、そこまで厳しい審査は無いらしい。こっちの話しが本当か、騎士が調べる程度だってさ。身元引受けも、こっちは身分保証書があるし大丈夫らしい」
「やっぱり国の保証書があると信頼度が全然違いますね。ギルドカードとは」
「そうだな。ここまで役立つとは思わなかった。ミルファとデイゴ王には感謝しないと」
「そうですね。それで体験入学と言うのは?」
「三日間、無料でカランの学校に入れるらしい。そこでどんな勉強をしてるとか、どんな活動をしているのかとかを、実際に体験できるんだよ。何個かコースがあるみたいだけどな」
学校と行っても、異世界の学校。普通の学校のように普通科と体育科程度に分かれるほど簡単ではない。
普通科ももちろんあるが、魔法選抜科、騎士育成科、商業科、農業科と大学顔負けの学科が存在するのだ。
短い期間で、有用な事を学ぶには、それぐらいしっかり分けて勉強する内容も取捨選択しないといけないみたいだな。
日本の学校みたいに、高校や大学まである訳じゃないから、内容の選択はどうしても必要なのだろう。
「面白そうですね。フランちゃんも出来るんですよね?」
「ああ、フランは来年から入学予定らしいから、特に何もなければ普通科だな。もしかしたらそこで魔力診断もやってくれるかもしれない」
「そう言えばフランちゃん6歳でしたね」
「うん、私6歳だよ?」
俺たちの話す内容がよく分かっていないフランだが、自分の事が出た時だけはしっかりと発言した。
「フランちゃんはどんな魔法が使えるんでしょうね?」
「属性ばかりは親関係ないしな。フランの運次第ってところだろう」
「楽しみですね」
「うん!」
フィーナがフランの頭を優しく撫でる。フランは嬉しそうにうなずいた。
翌朝。おばさんの船で副都市まで送ってもらった。
「お世話になりました」
「おばさん、ありがと」
フィーナとフランが一緒に頭を下げる。おばさんは、笑顔でその言葉を受け取ると、俺に向き直った。
「頑張んなよ」
「任せろ」
俺はサムズアップでそれに応える。
それを見て満足したのか、おばさんはゆっくりと船を陸から離し、自分の家のある島へと戻って行った。
近くにいた盗賊は潰したし、それに絡んでた帝国の動きは騎士団に伝えたから、もう、あの島が襲われることは無いだろう。
出来ることなら、平穏に暮らしてもらいたいもんだ。
「んじゃ俺達も行くか」
「はい」「うん!」
俺達は次の目的地であるレラン、学院島に向かうため、まずは副都市から七島のティントに向かう船に乗り込んだ。
フラン関連の暗い話はこれでお終い。フラン編はあと三話程度を予定。学園で軽く暴れてもらって息抜きした後、最終章に突入予定です。