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ほとけ草

作者: 景雪

この作品の元となったのは、1990年9月13日放映、世にも奇妙な物語『人面草』です。脚本は吉村和久氏、小夏役に濱田万葉、祖父役に下條正巳でした。私は個人的に、この作品が世にも奇妙な物語最高傑作だと思っているので、今回小説に仕立て上げてみました。続きは後書きで。

 声は分からない。

 何を言っているのか、しゃべっているのか、理解できない。ただ、彼らの声色は、敵を罵る類のものでも、兵隊をこき使う士官に対する愚痴でもないことは分かった。家族に想いを馳せる時、どの国の人間でも同じ表情をするのだろうか。妻と、生まれたばかりの娘のことを考えた。

 シダ科の植物に隠れて確認すると、敵兵は、一人は黒く、もう一人は白かった。黒い方は太く大きく、ツキノワグマと似ていた。すっかり日の落ちた闇に、眼球と前歯だけが淡い灯火のように、うっすらと浮かんでいた。白い方は細身だが、座っていても背がかなり大きいことが分かった。特に足の、膝から下が、自分の腰から下を全部足してもまだ足りないくらい、長くのびているように思えた。

 汗が一滴、首筋を伝った。額にもじんわりとにじみ出し、まぶたの上に、集まって膨らみを作った。瞬きが重い。ゆっくりと慎重に動かなければ、まぶたの上の滴が破裂して、その音が敵にばれてしまう気がした。小銃を握る手も汗が粒になってあふれ、滑って小銃を落としそうになる。もう随分水を飲んでいないのに、どこにこんな水分が残っていたのか。滞った湿る空気の間に、蚊が高く鳴く声が、行ったり来たりしていた。

 突然、二人の米兵が大笑いした。大げさな身振り手振りをもって、お互いの身体を叩きながら大声で語り合っている。これを好機と腰の手榴弾を手に取り、安全子を抜いた。米兵たちは物音に気付かない。まぶたの上の汗の玉が、弾けて落ちた。

 手榴弾を鉄兜に打ち付けた。肩を振る。放られた手榴弾がジャングルの土の上に落ちる鈍い音に、白い方が目をやった。

 爆発音が鼓膜をつかみ、引き裂くように揺さぶった。火薬の臭いが鼻の奥を突いた。硝煙が目にしみたが、汗をあれほどかいてしまったためか、水分のほとんど残っていない身体からは、涙が出なかった。

 身を隠していた植物から顔を上げて前方を見ると、黒い方は全く動かない。血にまみれた腕を力なく伸ばして、うつ伏せに突っ伏して倒れている。

 白い方はまだ動いている。仰向けでうめきながら、脇腹から流れ出ている血を押さえるように手を当てている。

 着剣した小銃を握り、苦しむ敵兵に歩み寄った。震える身体が、かちゃかちゃと乾いた音を鳴らせた。

 硝煙が薄まった中で、白い方が腹を大きく裂き、内臓の飛び出しているのが見えた。闇の中でもてらてらと薄く光沢を帯びる臓物が、月明かりを反射していた。

 「please……please……」

 白人兵と視線が合った。彼は口元を血に染めながら、懇願するように異国の言葉をしゃべっていた。英語は分からないはずだが、彼の言わんとすることが理解できる気がして、怖かった。

 銃剣の切っ先をまっすぐ、白人兵の心臓に向けた。左足を踏み込み、体重を預けてそのまま突き刺した。弾力と重さで腕がしびれたが、構わず突いた。白人兵の、腹を押さえていない方の手の中から、白人の夫人と少女が映る写真が、こぼれ落ちた。


   * * *


 はねのけるように夏蒲団を払った。首筋も背中も、汗でべっとりと湿っていた。蒸し暑い真夏の夜気が汗をなで、不快だった。

 台所に立ち、コップに水道水を注いで飲んだ。飲み込む際、乾き切った喉が少し痛んだ。

 夢であることを増渕清は知ったが、決して安堵はできなかった。

 「仏草ほとけぐさだ、仏草を探さな、いかんべ……」


 北関東の八月は暑かった。海も山もない、関東平野の端に位置する栃木県西南部は、太陽に熱せられた空気がいつまでも留まっているのか、暑さの塊をどこにも逃がしてはくれなかった。

 増渕小夏は狂ったように鳴くアブラゼミのジーっという声に、網の上でじりじりと焦がされるような倦怠感を抱きながら、祖父の家に向かっていた。電車を降りてバスに乗り継ぎ、バス停から更に三十分は歩かされる祖父の家までの道のりは、若い彼女の体力をも徐々に奪っていった。

 「おじいちゃんの家に行ってくる」

 今朝、そう告げた時、母親は特に驚きもせずに小夏の申し出を承諾した。小夏は中学生の頃から一人で祖父の家に行っていたから、彼女が高校生になって最初の夏休みを使って祖父に会いに行くと言ったところで、突拍子もないことでも、珍しいことでもなかったのだ。

 「帽子、かぶっていきなさい。暑いから」

 「うん」

 小夏は下駄箱の上に置いてあった麦わら帽子を頭に乗せ、まだ日差しが強まらないうちに家を出た。直線距離ではそう遠くはなかったが、小夏の住む横浜から祖父の家がある栃木県下都賀郡まで、公共交通機関を使うと四時間はかかった。

 ―小夏。小夏。

 祖父の家に行くことは、前々から夏休みの予定になっていたわけではない。一昨年死んだ祖母が、小夏を必死に呼んでいる夢を、昨夜見た。

 ―小夏。小夏。

 祖母が何を言おうとしているのかは分からなかった。しかし繰り返し自分の名前を呼ぶ祖母は、懇願するような表情をしていた。祖母が死んでから一人暮らしをしている祖父が気がかりで、小夏は祖父の家に行くことを決めたのだ。


 バスを降りて県道をそれると、舗装されていない土の道になる。片側には水田が、もう片側には雑木林が広がる。木陰を歩きながら、水気を含む風に涼しさを存分にもらい、田んぼの上を気楽に飛んでいるシオカラトンボの、薄い青みがかった灰色を目で追った。

 ふと視線を正面に向けると、小夏に向かってくる形で、十人ばかりの集団が目についた。皆一様に狐の面をかぶり、白い着物を着て、ゆっくりと歩を進めている。先頭の人物が持つ長い棒のような物を地面に打つたびに、棒の先についた鈴が鳴り、水田地帯に軽いこだまを作った。

 小夏はその集団とすれ違う際、あからさまに奇妙な物を見る目でもって横目で眼差しを投げたが、彼らは小夏の視線など意に介さぬとでも言いたげに、ただまっすぐと前方を向いたまま、歩くことを続けていた。

 「ちりん、ちりん」棒の先についた鈴が、水田の表面に刻まれた波紋のように、じんわりと音の輪を響かせた。やがてその音は蝉の鳴き声にまぎれ、いつの間にか消えていった。


 「おう、良く来たっぺ」

 祖父、増渕清は連絡もしないで訪れた小夏を笑顔で迎えた。祖父が笑うと、元々顔中にある皺の一本一本が、より深くより大げさになったように見える。小夏はそんな祖父の笑い顔を見るのが好きだった。小学生の頃、昼寝している祖父の皺の数を数えて、三十五本までは数えたが数が分からなくなった時もあった。

 居間に通され、氷を浮かべた麦茶を出してくれた祖父に、小夏は言葉をかけた。

 「おじいちゃんの家に来る前に、白い着物を着て狐のお面をかぶった人たちとすれ違ったんだけど」

 小夏がそう言うのを聞き、祖父は表情をこわばらせた。皺が接着剤で固められたように、じっと動かなくなった。

 「おじいちゃん?」

 祖父はしばらくうつむいて黙っていたが、おもむろに口を開いた。

 「沼送りだっぺ」

 「沼送り?」

 「んだ。この村の人間は、死ぬど沼に行く。それが沼送りだっぺ」

 「じゃあ、おばあちゃんも沼送りされたの?」

 「んだ」

 おじいちゃんも死んだら沼に行くの? そう聞こうとしたが、小夏は言葉が出なかった。

 「じいちゃんは、沼送りには、なんね」

 「どうして?」

 「悪いことをした人間は、沼送りには、なれねえんだ」

 「おじいちゃん、悪いことしてないじゃない?」

 祖父は顔中に広がる皺を固めたままで、つぶやくような小さな声で続けた。

 「戦争の時、じいちゃんは兵隊になって、宇都宮第五十九連隊さ、入ってた。パラオのアンガウルって島、守ってたっぺ」

 一旦ひいた汗が、また出てきた。小夏は手の甲であごの下をなでるように、たまった汗を拭った。

 「白人と黒人の兵隊が、二人で仲良さそうに、写真を見ながら家族の話をしてたんだ。じいちゃん、その二人を殺した。白人の方は、助けてくれって、言ってだ。それでも、殺したっぺよ」

 「戦争だから、仕方なかったんでしょう?」

 「んや。じいちゃんは、銃も握っていない奴らを、襲って、殺したんだっぺよ。それなのに、食う物がなくて気絶しているところを、米軍に助けてもらったっぺよ。」

 言葉を言い切る勢いが、祖父の小さな口元から見える気がした。祖父は右手を固く握り、皮が異様に目立つ腕に、血管が浮き出ていた。まるで何かの生き物が皮の下を通った後のように、血管は盛り上がっていた。

 「一つだけ、沼送りになる方法があんだ」

 「何? それは」

 「仏草だ。仏草を探せばいんだ」

 「ほとけぐさ?」

 「自分にそっくりな花を咲かせる草が、一つだけあんだ。それを探せば、沼送りになれる」

 「探そうよ。ほとけ草」

 小夏と祖父は、昼間でも暗い八畳の和室で、はっきりとうなずき合った。


 祖父の家を出ると、小夏が歩いてきた土の道の脇には、小さな草がたくさん生えている。二人はかがみながら、花を咲かせている草を一つ一つ見ていったが、祖父にそっくりな草は中々見つからなかった。

 「あ、これ!」

 小夏が手にする草を祖父は見たが、首を横に振りながら、はにかむように笑って言った。

 「じいちゃん、そんなに皺くちゃじゃねえべよ」

 「ええー。似てると思うんだけどなあ」

 小夏は自分の手の中にある、干からびかかってしなしなになった花を見つめた。

 どれだけ探しても、仏草は見つからなかった。曲げ続けている腰の奥に、痛みの塊が埋まっているような感覚を覚えた。でも小夏は諦めなかった。おじいちゃんがおばあちゃんとまた会うには、私が仏草を探して、沼送りにしてあげなきゃいけない。

 「キャ!」

 小夏は悲鳴をあげてのけ反り、尻もちをついた。大きな銀色の蛇が一匹、彼女の足元を縫うように通っていった。鱗が太陽の光を受けて、やけにまぶしく見えた。

 「あんま、奥には行くなよ」

 祖父の忠告に「はーい」と返事をし、小夏は仏草探しを再開した。


 気付けばヒグラシが鳴いていた。都会暮らしでは久しく聞いていない澄んだ鳴き声だった。勇ましいアブラゼミの声とは違い、ヒグラシの声を聞くと、胸の底を押さえつけられるような苦しさを感じた。西日が細長く差し込み、足元はもう暗くなり始めており、仏草を判別するのも難しくなっていた。

 「小夏、もう諦めっぺ」

 祖父がそう言いながら小夏の肩に手を置くと、彼女は返事をせずに中腰の姿勢から顔を上げ、立ち上がった。指の先は泥にまみれ、爪の間にびっしりと土が入っていた。目の前には木々に囲まれる形で、沼が見えた。

 「沼送りにされっと、沼のあっち側に行けんだ」

 祖父の指さす先は、木で覆われているため暗くて良くは見えなかった。うっそうとした樹木と濃い色の水を張った沼が恐ろしく感じ、小夏は祖父の腕にすがりついた。

 「じいちゃんは、毎日、祈ってた。殺したアメリカの兵隊に、毎日謝ってた。それでも、許しちゃあくれねえべよ。だってよ、あいつらにだって女房も、子供もいたんだっぺよ」

 宵が訪れようとする沼に、祖父の低い声が染みわたった。小夏は祖父の腕をつかむ手に力を入れた。祖父がどこか遠くに行ってしまう気がしたからだ。目をギュッとつむって、小夏は祖父をつなぎとめるように、自分の身体を祖父の身体に密着させた。ごめんなさい。おじいちゃんを許してあげて。小夏は死んだアメリカ兵に、心の中で必死に謝罪した。ごめんなさい。ごめんなさい。何度も何度も謝った。

 ―小夏。小夏。

 突然、祖母の声がした。

 ―小夏。小夏。

 声はしかし、夢で見た懇願するようなものではなく、優しかった祖母の、穏やかな心地良さで満たされていた。

 「小夏。小夏」

 祖父の声が祖母の声に重なった気がした。小夏は目を開けた。

 沼の向こう側に、ぼんやりとした輝きに照らされて、和服の老人達が立っていた。大勢の蛍に囲まれているかのように、暗闇に弱い光沢を浮かび上がらせ、沼の一角に光の流れを作っていた。光の中で老人達は、微笑むような柔らかい表情をしていた。

 「あれが、沼送りになった人たち?」

 腕にしがみつきながら小夏が聞いても、祖父は口を開けたまま沼の反対側を見つめるだけで、答えてはくれなかった。

 「おじいさん」

 光の集団の先頭から声がかかった。一昨年亡くなった祖母に間違いなかった。

 「駄目だ。俺は、沼送りにはなれね」

 祖父の声は弱弱しく聞こえた。祖父の目の端に水がたまって、かすかに光った。

 「俺は、人を殺した。罪人だ。仏草も見つからなかった。沼送りにはなれね」

 滴が一滴、祖父の目尻から流れた。

 「何、言っているんですか。小夏がいるじゃないですか」

 「え?」

 自分の名前を祖母に呼ばれ、小夏は戸惑いをつい言葉に出した。

 「おじいさんにそっくり。小夏が、おじいさんの仏草なんですよ」

 祖母がそう言い終わると、祖父の身体がゆっくりと浮きあがった。小夏が抱きしめていたはずの祖父の腕は、何の抵抗もなくするりと抜けた。やがて祖父は、沼の向こう側の人達と同じように光に包まれ、余りのまぶしさに小夏は目を細めた。

 「小夏、ありがとう」

 祖父は顔を皺で一杯にして笑った。祖父の笑い顔を忘れないように、小夏は瞬きもしないで見つめた。皺の一本一本を急いで数えた。祖父の顔が小さくなっていっても、数え続けた。

 「ちりん」

 鈴の音が小さく鳴った。

 「ちりん」

 湿った空気を揺らすように鈴が、もう一つ鳴った。

放映された時にテレビで観て、その後再放送で一回観た記憶があります。なんせ当時私は10歳でしたし、ビデオなどにも撮っていないし、版権が絡んでいてDVDなどにはできないようで(つまり、かなりの確率でもう二度とこの作品を観ることはできない)、20年以上前に2回観た記憶だけを頼りに書きました。原作を忠実に再現するわけではなく、以下の何点かで、私なりにアレンジしています。


・題名は『ほとけ草』としました。何故なら、作中では「仏草」という表現しか出てこないのに、題名だけが「人面草」というのが小学生の私にも違和感があったからです。「仏草」という言葉の方が作品の雰囲気に合っていると思いました。ひらがなにしたのは、「ぶっそう」と誤読されることを防ぐためです。

・原作では、祖父の住む村が何地方であるとか、祖父はどこの戦場に行ったか等の情報はありませんでしたが、私が栃木県出身なので舞台を栃木とし、祖父がかつて所属していたのを陸軍第59連隊としました。

・増渕という名字は、栃木に多い名字なので採用しました。原作では特に名字は付けられていなかったと記憶しています。

・祖父の名前も、特に出てこなかったと記憶していますが、大正四年生まれの下條正巳と同世代で一番多い「清」としました。

・冒頭の戦闘シーンは、インパクトを与えるためと、祖父が自分の罪を本当に悔いていることを表現するために加えました。

・この作品の時代設定は平成2年(1990年)です。ただし、現代とも20年前とも分からない書き方になってしまってはいますが……

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[一言] 「人面草」をオリジナル脚本として執筆した本人です。楽しく読ませてもらいました。 『景雪』さんの心にこの人面草が響いたのは、どうやら理由があるようです。実は、撮影したのは栃木県の黒磯あたりで、…
[良い点]  拝見させていただきました。  緻密な情景の描写が素晴らしいですね。特に夢の中のシーンでは、米兵を前にした際の緊迫感や恐怖がひしひしと伝わってきて、気が付けばその場に居合わせているかのよう…
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