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第二話 「過ぎ去りし日の幻影」

 意識を失う直前までは、確かに自分の部屋にいた。 それなのに、目が覚めれば赤ん坊。


(……いや、意味がわからんぞ)


 予想をはるかに超える事態に、俺は一旦思考を放棄した。 現実逃避を兼ねて周囲を見回すと、そこは乳児用のベッドの上だった。 石とレンガを組み合わせた重厚な造りの壁。木枠の窓からは柔らかな光が差し込み、簡素ながらも手入れの行き届いた清潔な部屋だ。


(まあ、赤ん坊の部屋に余計な物があっても危ないしな……)


 まだ首も座っていない。寝返りすら打てない。 今の自分にできるのは、ただ天井を見つめることだけだ。 だが、その視界に映る天井の梁や、独特な壁の模様に、言いようのない既視感が込み上げてくる。 どこかで見たことがある。それも、嫌になるほど何度も。

 それが何なのかを思い出しそうになった時、部屋の扉が勢いよく開いた。


「おっ、起きてるぞ!」

「あなた、声が大きいわ。びっくりしちゃうでしょ?」


 部屋に飛び込んできたのは、二人の男女だった。 一人は、俺をベッドに寝かせた母親であろう女性。夜の海のような、深い藍色の髪と瞳を持つタリア。 もう一人は、彼女とは対照的な、燃えるような真紅の髪と瞳を持つ屈強な男――アイクだ。


「もう……。パパが大きな声を出したから驚いちゃったわね?」 「お、おおっと。そうだな、すまないタリア」


 苦笑いしながら俺を抱きかかえるタリア。 アイクと呼ばれた男は、うずうずした様子で彼女の腕の中にいる俺を覗き込んでいる。


「ほ、ほら。君も疲れただろ? 少し交代するよ」

「えー、でもアイクは抱っこが少し雑だし……。クロノ、どうする?」


 いたずらっぽく笑うタリアに、アイクは捨てられた子犬のような情けない顔で俺を見つめてくる。


(やれやれ、助け舟を出してやるか)


 これ以上親父の情けない顔を見るのも忍びない。 俺は不安定な頭を揺らし、まだうまく動かない手をアイクの方へ伸ばしてみせた。


「お、おおっ! 俺の方に来たいのか!?」

「あらあら。情けないお父さんに気を使ってくれたのかしら?」


 アイクは壊れ物を扱うような手つきで、緊張した面持ちで俺を受け取った。


「おおおお、軽いな……なんて可愛いんだ……!」

「もう、静かにしてあげて」


 タリアに嗜められ、縮こまる大男。 抱きかかえられた腕からは、服越しでもわかるほど引き締まった筋肉の感触が伝わってきた。よく見れば、その腕には数々の修羅場を潜り抜けてきたであろう古傷が刻まれている。


「タリア、この子は君に似て優しそうな顔をしてる。髪の色もそっくりだ」

「ふふ、そうね。でも瞳の色はあなたにそっくりな赤色よ」


 二人は幸せそうに笑い合い、俺を再びベッドへと戻した。 仕事へ向かうアイクと、それを見送るタリア。目の前で堂々とキスを交わす二人を見て、俺は思わず目を逸らしたくなった。


(……仲がいいのは結構だが、当てられてしまうな)


 アイクとタリア。 二人の名前、特徴的な髪と瞳の色。そして、この独特な家の造り。 集まった断片的な情報から、一つの推測が脳内に形作られていく。 まだ確信には至らない。だが、もし……。


(……ダメだ、眠気が……)


 赤ん坊の体力は、思考を維持するだけでも限界だった。 俺は抗うことなく、深い眠りへと落ちていった。

 ◇

 それから数日。 泣いて、飲んで、排泄して、眠る。 そんな単調な赤ん坊生活を繰り返す中で、俺は決定的な情報を耳にした。

「近衛騎士団」や「加護の儀」、そして「王都への道」……。 断片的に聞こえてくる単語は、俺の記憶にあるものと完全に一致していた。

(間違いない。ここは……俺が何百回もプレイしたゲーム、『英雄の軌跡』の世界だ)

 そして、俺の名前はクロノ。 この両親の間に生まれたということは、俺は物語の開始時点ですでに――。


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