お通し!エルフ耳の素揚げ
「エルフの耳は180度で45秒だ。それ以上は縮む」
バルフェルト地方の朝は、トルバド・グリンマのこだわりから始まる。60歳のこのバルログ料理人は、五代続く「森の恵み亭」の伝統を守り抜いてきた。
「よーし、油の気泡が小さくなってきただろ、ここからは耳を澄ますんだ...」
トルバドは耳を澄ます。油の音がパチパチと軽快になった瞬間、エルフの耳を取り出し、バットに丁寧に並べた。半透明の薄い衣の下に、エルフ特有の尖った耳の形がくっきりと浮かび上がっている。薄く緑がかった軟骨が透けて見える様は、まさに「活きの良さ」を物語っていた。
バルフェルト地方では、エルフは「森の幸」として千年以上食されてきた。「ハイエルフはさっぱりとした和食に、ウッドエルフは香ばしく焼いて赤ワインと」といった食べ方が定着していた。
「親父!ニュース見たか?」鍛冶屋の息子ボルダが飛び込んできた。「エルフィン・シェパードがまた騒ぎを起こしてる!捕エルフ船に体当たりしたぞ!」
トルバドはテレビをつけた。「今朝、国際的環境保護団体『エルフィン・シェパード』のメンバーが、科学的調査を行っていた捕エルフ隊に接近し、抗議活動を行いました。『彼らは知性ある種を殺害している』とのコメントが...」
「やれやれ」トルバドはため息をついた。
「あいつらエルフの味も知らねえくせに!」ボルダは怒った。「親父さんのエルフ生姜焼き定食を食わせてやりたいぜ」
「それがね...」トルバドは首を振った。「先月、潜入取材と称して来た記者がいてね。翌日の見出しは『野蛮な伝統続く!知性の肉を平然と食らうバルフェルト人』さ」
ボルダは憮然とした表情で言った。「北方連邦か...あそこはエルフなんて一人も住んでない国だもんな。他国の文化を批判するばかりで、自分たちは何もリスクを負わない...他人事だからこそ高尚ぶれるってわけだ」
トルバドは黙って頷いた。これは単なる食文化の違いではなくなっていた。今や国際政治の問題だ。
「よし、愚痴ってても仕方がない。今日の仕込みを終わらせよう」
トルバドは店の奥へ向かった。冷蔵庫には昨日捕獲されたウッドエルフが保管されていた。「科学的調査」で合法的に捕獲されたものだ。もちろん、実際は食用だ。
冷蔵庫から取り出したエルフには独特の美しさがあった。緑がかった髪、細身の体躯、特徴的な尖った耳。トルバドは、いただきますと呟き、一礼をしてから解体を始めた。
「まずはベーコンの仕込みからだな」
トルバドは手慣れた動作でエルフの腹部から薄い脂身を切り出した。エルフの脂肪層は人間より薄く、淡いクリーム色をしている。これを適切に処理しないと、あの特徴的な甘い香りが失われてしまう。
「祖父の教えどおり、まずは塩とハーブで下処理」
彼は特製の塩と森で採取した希少なハーブをブレンドした調味料を、エルフの脂身の両面に丁寧に擦り込んだ。その手つきは正確で、エルフの筋繊維の方向に沿って優しく撫でるように塩を浸透させていく。
「次に一週間、古樽で熟成させて...最後に魔法の炎でじっくり燻製する。これでバルフェルト伝統のエルフベーコンの完成だ」
トルバドは先週仕込んでおいたベーコンを燻製室から取り出した。半透明のピンク色をした薄切りの肉は、かすかに森の香りを放っている。これを朝食に焼けば、その香りは街中に広がり、バルフェルトの朝の象徴となる。
「さて、次は生姜焼き用の肩ロースだ」
エルフの肩から首にかけての部分を慎重に切り出す。この部分はエルフが弓を引く筋肉があり、弾力と旨味が凝縮されている。それを薄く均一にスライスする包丁さばきは芸術的だった。
「エルフ肉は筋繊維が細かいから、一般的な肉よりも繊細な扱いが必要なんだ」彼は見習いの若いバルログに教えながら言った。「特に生姜焼きは、肉の厚さが命。薄すぎると香りが飛ぶし、厚すぎると歯ごたえが残りすぎる」
切り出した肉を特製の生姜醤油だれに漬け込む。その調味液は祖父の時代からの配合で、森のハーブと生姜のバランスが絶妙だ。
昼前になると、常連たちが集まってきた。「いつもの」と言う老バルログのグロムにはエルフの腕肉の煮込みを出す。
「最近の若いもんは軟弱だ」グロムは煮込みをすすりながら言った。「わしらの時代は、自分で森に入って狩ったもんだ。それに、陸(都心部)に打ちあがって(環境に順応できず)死んだエルフを食べるのも、また弔いだろうや。今じゃ『非倫理的』だの『残酷』だのと...」
「でも捕獲枠は年々減らされていて...」若いバルログが言った。
「『科学的調査』という名目で捕まえればいいんだ!」グロムは笑った。「どうせ調査後のエルフは廃棄しなきゃならんだろ?なら食べちまえ!」
店内に笑いが起きた。これはバルフェルト地方の「公然の秘密」だった。「科学的調査」の名目で捕獲したエルフの多くが食卓に上ることを、皆が知っていた。
その時、店のドアが開き、見慣れない女性が入ってきた。都会風の服装で、緊張した様子だ。
「いらっしゃい。何にしましょう?」トルバドは出迎えた。
「メニューを見てもいいですか?」
トルバドはメニュー表を渡した。「今日のおすすめはエルフの肩ロース生姜焼き定食です」
女性は顔を青ざめさせながらメニューを見た。『エルフ耳の天ぷら...880G』『ハイエルフのお刺身...1200G』『エルフベーコンのサンドイッチ...780G』『エルフの肩ロース生姜焼き定食...1100G』
小さな注釈があった。『※すべて科学的調査の副産物として適法に入手したエルフを使用』
「それを...」女性は生姜焼き定食を指さした。
トルバドは厨房で調理を始めた。漬け込んだエルフの肩ロースを取り出し、丁寧に繊維に沿って手で撫でる。「こうすると肉汁が閉じ込められる」
鉄板を170度に熱し、肉を並べると、芳ばしい香りと共にジュッという音が立った。彼は熟練の技で肉をひっくり返した。裏面には完璧な焼き目がついている。
「エルフの筋肉がタレを吸収する様子を見な」トルバドは見習いに指さした。「あの艶、あの色。これがバルフェルトの伝統料理の真髄だ」
完成した生姜焼きはつややかな照りで、添え物には山菜とエルフの指のピクルスが添えられていた。
トルバドは料理を女性の前に置いた。女性は一口も食べず、写真を撮り続けた。
「美味しくないですか?」トルバドが尋ねると、女性は顔を上げた。
「あなたたちは本当にエルフを殺して食べているのね」
「もちろんです。バルフェルトの伝統料理ですから」トルバドは答えた。
「それって殺人じゃないの?」女性は震える声で言った。「エルフは知性を持ち、言葉を話し、感情を持つ存在よ」
「エルフは確かに知性を持ちます。だからこそ彼らを敬い、感謝して調理します」
「でも彼らは話すのよ!歌うのよ!」女性の声が大きくなった。
「お嬢さん、どちらから?」
「ノーザンバーグから来ました。私はエルフィン・シェパードの調査員です」
店内にざわめきが走った。
「都会の人には理解できないかもしれませんが、これは私たちの文化です」トルバドは静かに言った。
「野蛮な伝統です!」女性は叫んだ。
「お前の国にゴブリン農場がいくつあるか知ってるか?」グロムが怒鳴った。「ゴブリンだって知性があるだろ!ダブルスタンダードめ!」
「それは...違います!」女性は動揺した。「ゴブリンは家畜として...」
その時、窓ガラスが割れた。石と赤い塗料の袋が投げ込まれ、床や壁、生姜焼き定食にまで飛び散った。
「エルフ殺し!殺人者!」外から叫び声がした。
窓の外には「エルフィン・シェパード」のTシャツを着た若者たちがいた。横断幕には「エルフは友達、食べ物じゃない!」と書かれていた。
トルバドは呆然と立ち尽くした。赤い塗料の中に、彼の朝からの労働の結晶、何より大切な食材が台無しになっていた。
「出て行けよそ者!」グロムは叫んだ。「俺たちの食い物に文句を言うな!」
混乱の中、トルバドは床に膝をつき、赤く染まったエルフの肉片を手に取った。「すまない」彼は小さく呟いた。「君の命を無駄にしてしまった」
調査員の女性は外の仲間たちの方へ駆け出した。トルバドはエルフ料理に込めた思いが伝わらなかったことに深い悲しみを感じた。
「親父さん、警備隊を呼ぶべきだ!」ボルダが言った。
しかしトルバドは首を振った。「今日は店を閉める。少し考える時間が必要だ」
彼の心に、初めて疑問が芽生えていた。食べるべきか食べざるべきか—それが問題だった。