第13話
僕はボランティア部の部室を後にし、一人で帰路についていた。
本当は旭に、生徒会長が持ち込んできた大量の書類整理を手伝えと言われていた。
だが、もちろん断固拒否してきた。
こっちのお願いを聞いてくれなかったんだ。
手伝ってやる義理なんてない。
あの書類の量からして、今日は徹夜コースだろう。
――いい気味だ。
そんな風に少しだけ機嫌よく歩いていた、その時だった。
「刃渡君、だよね?」
後ろから不意に声を掛けられる。
……なんだ。
せっかく人が気分良く歩いていたのに。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
黒いスーツに赤いネクタイ。
細身の体格だが、服の上からでも分かるほど身体が鍛え上げられている。
立ち姿だけで分かる。
――相当な手練れだ。
僕は自然と警戒を強めた。
「……貴方は?」
「申し遅れたね。私は日影|というんだ。よろしく」
男は柔らかく微笑みながら会釈する。
だが、その目はまるで笑っていなかった。
「日影さんね。それで、僕に何か用ですか?」
「話が早くて助かるよ」
日影は満足そうに頷く。
「じゃあ単刀直入に言おう。明日行われる新入生団体戦――辞退してくれないかな?」
「……はあ?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
「理由が必要かな? 出来れば聞かないでいてくれると助かるんだけど」
「いや、別にいいですよ。だいたい予想はつくので」
僕はため息混じりに肩をすくめた。
「神狩家関連でしょう? 僕を辞退させて、翼君を大会に参加出来なくするつもりだ」
「ご名答」
日影はニコリと笑いながら、懐から名刺を取り出した。
「ああ、これ名刺ね」
「……どうも」
反射的に受け取ってしまった。
律儀な誘拐犯だな、この人。
「それで、さっきの話だけど。どうかな?」
日影は指を三本立てる。
「もちろん、辞退してくれるなら報酬は払うよ」
「三万ですか? 悪くはないですけど――」
「いや、三十だ」
「……は?」
思わず聞き返した。
「三十万」
「なにそれ怖い」
辞退するだけで三十万。
破格にも程がある。
正直、かなり魅力的だった。
理由なんて後からどうとでも誤魔化せる。
怪我をしたとか、体調不良だとか。
適当に言えば済む話だ。
「いい反応だね」
日影は楽しそうに笑う。
「どうかな? 受けてくれる?」
「うーん……非常に魅力的です」
本音だった。
しかし僕は、小さく首を横に振る。
「でも、お断りします」
「……なるほど」
日影の笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
「では、五十ではどうかな?」
「五十……」
その瞬間、心が激しく揺らぐ。
いや、待って。
本当に受けちゃおうかなこれ。
五十万だぞ?
高校生が簡単に断っていい額じゃない。
けれど――。
「いや、やっぱり無理です。金額の問題じゃなくてですね……」
時雨やイリスに頼まれただけなら、まだ逃げ道はあった。
だが今回は、生徒会長にも直々に頼まれている。
ここで簡単に裏切れば、絶対に後が怖い。
拗ねた生徒会長ほど面倒な存在を、僕は他に知らない。
あれは災害だ。
出来れば二度と経験したくない。
「ほう?」
日影が少し興味深そうに目を細める。
「いやほら、僕も一応、人並みに罪悪感くらいあるので。友達を裏切るのは気が引けるというか……」
「入学して知り合ったばかりの相手だろう?」
「まあ、それはそうなんですけど」
僕は苦笑しながら頭を掻く。
「それでも、力になってあげたい気持ちはあるんですよ」
「なるほど。優しい人だ」
その声音は穏やかだった。
だが言葉とは裏腹に、どこか棘が混じっている。
その瞬間だった。
ふと気づく。
――囲まれている。
いつの間に現れたのか。
周囲には、同じような黒スーツの男たちが立っていた。
静かに、逃げ道を塞ぐように。
「……あの〜。この人たちは?」
「出来れば手荒な真似はしたくなかったんだがね。すまない」
「いや、だから何を――」
最後まで言い切る前に、黒服の一人が一気に間合いを詰めてきた。
「っ!」
背後から腕を取られ、そのまま羽交い締めにされる。
「大会が終わるまで、一緒に来てもらうよ」
「神狩家って、こんなことして許されると思ってるんですか?」
「大丈夫」
日影は笑った。
「全部終わる頃には、君はこの件を覚えていないはずだから」
「……記憶操作」
「うちには優秀な能力者が沢山いるからね」
どれだけ翼君を目の敵にしているんだ、この人たちは。
その執着が、ひしひしと伝わってくる。
――とはいえ。
このまま大人しく連れて行かれるのも癪だった。
僕は羽交い締めにしている男の足を思い切り踏みつけ、そのまま体勢を崩す。
「ぐぁっ!?」
怯んだ隙を逃さず、肩を掴んで一本背負いのように投げ飛ばした。
黒服の男が地面を転がる。
「へぇ〜。結構荒っぽいね」
日影は感心したように目を細めた。
「お兄さん、そういうの嫌いじゃないよ」
「僕は大嫌いなんで」
直後。
黒服たちが一斉に動いた。
「――っ!」
四方から迫る男たち。
僕は咄嗟に後ろへ飛び退く。
真正面からやり合うのはまずい。
相手はどう見ても訓練された能力者だ。
しかも人数が多すぎる。
「大人しくしてくれれば痛い目は見ずに済むよ」
「その台詞、悪役しか言いませんよ」
飛びかかってきた男の拳を紙一重で避ける。
ああ、これは長い夜になりそうだ。




