第46話 超音速の死神
1944(昭和19)年11月24日、帝都東京。
冬の匂いがもう空気に混ざる昼下がり、街は普段通りの喧騒に包まれていた。通勤客の足音、屋台の湯気、電車の警笛が混ざり合い、下町の商店街では店主たちの呼び声が響く。
しかし、遠く西の空から、異様な影が近づいていた。
空襲警報はおろか、警戒警報すら鳴らない。空を覆うのは、ただの灰色の雲と風の音だけ。人々は何も知らず、日常を送っていた。
東京湾から吹き抜ける潮風が、密集した大森区の住宅街に混ざり、後から思えば、どこか不穏な空気を運んでいた。木造二階建ての家々が軒を連ね、細い路地には人々の足音と子供の笑い声がまだ響いていた。
その静けさを、まず破ったのは犬だった。
魚屋の前に繋がれていた柴犬が、いきなり狂ったように吠え始めた。
「どうしたんだい、ポチ」
主人が首輪を掴もうとした時、空気の奥底で、何かが「唸った」。
最初、それは誰にもわからなかった。
風の音でも、飛行機の音でもない。
頭のてっぺんを撫でるような高音が、金属の擦れる響きに変わった。
ヒュウウウウウウウウ―――。
耳鳴りのような、それでいて体の内側を震わせる音。
数人が空を見上げた。
雲一つない青空に、白い線が一本、真っ直ぐに落ちてくる。
「流れ星か?」
と、それを見ていた一人の少年が言いかけた瞬間――。
光が、爆ぜた。
空気そのものが破裂したような閃光。
風も音も、すべてがその一瞬、凍りついた。
次に襲ったのは、見えない壁のような衝撃だった。
建物の窓が一斉に砕け、屋根が吹き上げられる。
人々は声を上げる暇もなく、地面に叩きつけられた。
ズドォォォォォォォォォォンッ!
遅れて音がやってきた。
山のような重低音が腹の底を突き上げ、肺の奥を潰した。
耳が、何も聞こえなくなる。
土煙の中で、火柱が立ち上がった。
それは爆風に煽られながら、黒い雲となって空を呑みこんでいく。
瓦礫と木片が舞い上がり、火柱が立つ。通りには煙が漂い、匂いが鼻を刺す。
「うわぁぁぁぁっ!」
「たっ、助けてくれぇぇぇぇっ!」
「ひぃぃぃぃっ!」
瓦礫の間で、倒れた自転車、破損した電柱、逃げ惑う人々。悲鳴と泣き声、助けを求める声が重なり、街全体が混乱の渦に包まれる。
「何が起きたんだ!」
逃げ惑う人々の頭上を、焼けた屋根瓦が飛び、電線が火を噴いて垂れ下がる。
爆撃機から投下された焼夷弾でもなければ、戦闘機の機銃掃射でもない。
爆発は地表で起こったらしく、爆心地から半径300メートル以内の建物が一瞬で吹き飛び、周囲はあっという間に火に包まれていた。
後に専門家が調べたところ、爆心地付近には「未知の化学物質の残渣」が検出された。
爆発音は、雷鳴のようでもあり、地鳴りのようでもあった。
空襲警報が遅れて鳴り響くが、誰も敵機の姿を見ていない。
まるで、天から突然、死が降ってきたようだった。
しばらくして、消防隊や救急隊が駆けつける。
ビルや家屋の倒壊現場で、負傷者を救出しようとする医師や看護婦たち。ところが、現場では呼吸困難や皮膚損傷で苦しむ市民が続出している。それどころか、駆けつけた医師や看護婦まで同じような症状で次々と倒れた。
周囲は悲鳴と血の匂いに満たされた。
その頃。
霞が関の厚生省庁舎は、昼休みの最中であった。
昼食後に、大臣室でお茶を飲んでいた絹のところへ、若い職員が蒼い顔で飛び込んできた。
「大臣、大変です、臨時ニュースですっ! テレビ局が速報を流してますっ!」
絹は急いでテレビのある食堂へ駆けつける。
「あっ、大臣」
テレビの前に座っていた職員が、真正面の席を絹に譲る。
「ありがとう」
画面に映し出されているのは、東京放送局の報道スタジオだった。
アナウンサーが原稿を握りしめ、緊張した表情でカメラを見つめている。
「臨時ニュースを申し上げます――本日、午後0時10分ごろ、東京市大森区に、正体不明の大型飛翔体が着弾し、爆発しました。現在、周辺には火災が発生し、死傷者多数との情報が入ってきております。繰り返します――」
絹は、息を呑んだ。
しばらくして、大森区の爆心地近くからの中継が入った。
画面に映る映像には、黒煙を上げる市街地、泣き叫ぶ人々、担架で運ばれる負傷者の姿があった。
誰かが小さく、
「まるで戦場だ……」
と、呟く。
「大型飛翔体とは何だ!?」
「爆弾ではないのか!?」
職員たちは少々いらついた様子で言葉を交わしている。
――ここで議論していても始まらない。
こういう時、絹の行動は記者時代と変わらなかった。
椅子を押しのけて立ち上がると、
「私は現地に行きます」
周囲が一斉に絹を見る。皆、絹を止めようとする。
「大臣、危険です。万が一、大臣にもしものことがあったら……」
「原因が特定されるまで待つべきです」
確かにそれも一理ある。しかし――。
絹は静かに周囲の言葉を遮った。
「だからこそ、行かなければならないのです。被害の実態をこの目で見なければ、救助も対策も指示出来ないでしょう」
声は落ち着いていたが、瞳の奥にはかすかな怒りの光が宿っている。
第一次欧州戦争の終結以来、20年以上にわたる平和を享受してきた日本。
ここまで直接的に「民間人の住む街」が攻撃されたのは初めてである。
人々は恐怖の中で、次にどこに落ちるかわからない不安と戦っている――それを想像しただけで、絹は胸が締めつけられた。
公用車が発進する。霞が関の街並みを抜ける頃には、すでにサイレンの音があちこちから響いていた。
信号の赤と青が煙る空に反射し、街の空気が異様にざわめいている。
車窓の外を見ながら、絹はそっと呟いた。
「民間人への無差別攻撃……こんなことを許してはならない」
絹の声はエンジン音にかき消されたが、その瞳は一点、南の空の黒煙を真っ直ぐに見つめていた。
午後1時すぎ。
絹の乗った車は蒲田を過ぎ、黒煙に包まれた大森区へと入った。
遠くからでも、瓦礫と化した街並みが見える。道路はひび割れ、電柱が折れ、瓦礫の上を消防隊が必死に放水していた。
鼻を刺すような焦げ臭さと、どこか金属が焼ける匂いが入り混じっている。
「なんということだ……」
同乗していた職員が思わず呟いた。
絹は車を降りると、炎上する町工場の跡を見渡した。
辺りには破裂した鉄片が無数に転がり、窓ガラスの破片がきらめいている。
明らかにただの爆弾ではない。爆心地に近づくにつれ、絹は呼吸に違和感を覚えた。
「咳が出る……ガスかもしれません!」
付き添っていた医官が声を上げ、皆は防毒マスクを着用する。
風下のあたりには、倒れたまま動かぬ人々。衣服は焦げ、皮膚がただれている者もいた。
その中で消防隊員、警察官、憲兵たちが動き回っている。少し遅れて陸軍の衛生隊も到着した。
隊長らしき男が指示を飛ばす。
「被害者を三段階に分けよ! 呼吸困難の者を最優先に。次に皮膚損傷、それから軽傷者だ。井戸水は使うな、汚染の恐れがある!」
衛生兵たちが次々と怪我人を運び出す。
小学校が臨時避難所に指定され、机をどかして布担架を並べた。
そこに次々と負傷者が運び込まれる。
泣き声、うめき声、誰かが呼ぶ家族の名。
絹は救護の邪魔にならないように気をつけて歩きながら、 関東大震災の時のことを思い出していた。
――あの時は地震だったけど、今度は……。
この日の午後4時、海軍の大和田通信隊が、ベルリンのドイツ帝国放送の英語版ニュースを傍受した。
――New German long-range rocket, A10 Götterhammer, has reached the enemy capital of Tokyo.
(新型長距離ロケットA10「神々の槌」が、敵国の首都・東京に到達した)
その報せは、一瞬で政府首脳を震撼させた。
――ドイツはすでに、新兵器の新型長距離ロケットで我が国を射程に収めている!
現代の言葉で言えば、大陸間弾道弾である。
その日の東京は灰色の煙に覆われた。
大森区の爆心地周辺の商店街や住宅街は瓦礫の山と化し、通行人は言葉もなく立ち尽くした。
夕方になると、街は不気味な静けさに包まれた。瓦礫の合間から立ち上る黒煙が、晩秋の空に暗い影を落とす。市民たちは家に籠り、息を潜めながら次の襲来に怯えるしかなかった。
「……人類は、どこまで進めば、ようやく止まるのかしら」
誰にともなくつぶやいた絹の言葉を、隣にいた若い医官が聞き取り、静かに答えた。
「止まらないでしょう……止めなければ……」
絹は頷き、立ち上がった。
「ええ。止めます。この手で」
後日まとめられた報告書には、死者300名、重軽傷者2,000名を超えると記されていた。
同時に、「化学兵器が搭載されている可能性、極めて高し」という一行も。
この攻撃に用いられた兵器――ドイツの長距離弾道弾「A10」は、既存の「V2ロケット」を改良した新兵器であった。
全長27メートル、重量およそ100トン。液体燃料式推進機関を二段構造とし、発射と同時に上昇段が切り離される。
弾頭部は化学弾または高性能焼夷弾を搭載し、時速7,000キロ(マッハ6)を超える速度で弾道飛行を行う。
ドイツ西部の発射基地からおよそ9,000キロ離れた日本列島まで、わずか二十数分で到達すると推定されていた。
この弾頭が宇宙空間を飛行した後、大気圏へ再突入する際には、激しい摩擦熱で周囲の空が一瞬白く閃き、次の瞬間には地表が爆風に呑まれる。
音もなく飛来し、警戒警報すら間に合わないその兵器は、人々に「死神ロケット」と呼ばれて恐れられた。
――この日の大森区への着弾を皮切りに、ドイツの長距離弾道弾「A10」による日本本土攻撃は翌年春まで続いた。
最初の攻撃から1945(昭和20)年4月に至るまで、東京をはじめ大阪、名古屋、横浜、神戸、北九州など主要都市が相次いで標的となり、死傷者は数万人にのぼった。
しかも、その命中精度は極めて低く、狙いを外れたロケットが郊外や農村、学校や病院に落ちることも少なくなかった。
爆風と破片、そして搭載された化学剤による被害は広範囲に及び、人々はどこにいても「突然、空から死神がやってくる」恐怖に怯え続けた。
陸海軍は中部山岳地帯に早期警戒用のレーダーサイト建設を急ぎ、北海道から九州にいたる山々にも観測所を設置したが、探知したところで迎撃手段はなく、せいぜい空襲警報を発することしかできなかった。
夜空を裂いて飛来する音なき閃光――それが地上に届く時には、すべてが終わっていた。
そして人々は、炎に包まれた街の中で、静かに祈るしかなかったのである。
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