第37話 所得倍増
時に民政党政権の蔵相となっていた高橋是清(彼は元・政友会総裁であったが、この時は無所属となっていた)が発表した「所得倍増政策」こそ、世論を驚倒せしめた政策スローガンは少なかっただろう。
——所得倍増計画。
その言葉に、新聞各紙は一斉に飛びついた。
「我々は、真に豊かな国を目指すのです」
記者会見での高橋の言葉は、重く、そして希望に満ちていた。
「経済の成長は、ただ数字を積み上げることではない。農村の子どもが腹を空かせずに学校に通い、工場労働者が病に倒れずに帰宅し、母たちが心配なく産める社会。それが『豊かさ』であります」
高橋の語るその未来図には、政治家というよりも、教育者や思想家の風があった。
「……この人が、いま蔵相で本当によかった」
絹は、民政党本部の会議室で、高橋の声をラジオ放送で聴きながら、思わずそう呟いた。
所得倍増計画の柱は、農地改革の促進と並行した、内需主導の経済構造の強化だった。農村の購買力を高めることで、都市工業製品の市場を拡大する。それは、絹が地元で見た無数の「生活の苦しみ」を、国家規模で克服するための道でもあった。
高橋は、国民総生産を10年以内に倍増させて、国民の生活水準を欧米列強並みに到達させるという経済成長目標を設定し、内政と外交を結びつけることで、完全雇用の達成と福祉国家の実現、国民各層間の所得分布の是正をはかることを目指した。さらに租税、社会保障、公共事業を三本柱として経済成長を推進させようとしたのである。
ちなみに、当時の日本は米、独、英、ソ、仏に次いで世界第6位の経済規模。だが、それは広げた布のように薄く、どの家庭も欧米の豊かさには手が届いていなかった。国民1人あたりGNP(1990国際ドル)は、他の先進国と比べるとかなり低く、生活水準は欧米の半分以下という状況だった。
それを、今後10年以内に欧米並みにまで引き上げようというのでる。
一方で、慎重な意見もあった。
「人心は、政治よりも経済に向かいがちになる。つまりは道義が後退し、拝金主義が蔓延する危険性がある」
「経済中心の社会は、逆に貧富の差を拡大する危険もある。配分のしくみが甘ければ、結局は資本の集中を助長するだけだ」
だが、そうした批判を踏まえた上でも、民政党政権は前に進んだ。
経済大国としての日本。高橋是清の所得倍増計画は、アジアへの侵略的進出ではなく、内需と技術革新を通じた「静かな豊かさの構築」というビジョンがあった。
高橋是清は、ラジオ演説でこう結んだ。
「刃ではなく鍬によって、我々の未来は耕されるのです」
その言葉に、絹は背筋が伸びる思いがした。
数日後、絹たち農村改良研究会の有志は会合を持った。
「この計画に、地方自治体をどう巻き込むかが次の鍵です」
と、志村が言う。
「特に、地方での医療・教育・交通インフラを均等化するためには、国からの直接補助が必要でしょう」
「わかりました。私は次の予算委でその件を主張します」
民政党の若手議員が応じる。
議論の後、絹と志村は資料を手にして並んで廊下を歩いた。
「所得倍増って、派手な言葉ですね」
「ああ。でも、派手な言葉の裏に、地道な仕組みづくりが必要だ」
「だから、あなたがいる」
そう言った絹に、志村は珍しく少しだけ照れたように目を逸らした。
春の陽が、永田町の庁舎に柔らかく降り注いでいた。
その光の中、絹は感じていた。
——これが、新しい時代の始まりだ。
神田の小さな洋館に、夜の灯りがともっていた。
そこは、女性議員たちが月に一度、こっそりと集まる会合の場だった。
出席者は絹を含めて6名。市川房枝を筆頭に、労働運動出身の女性、教育界からの転身者、東京市政からの初当選者……いずれも、歴史の上に立つ覚悟を持った者ばかりだった。
「産休制度は一歩前進ですけど、現場では全然運用されてない。内務省も腰が重いわ」
と、一人が苦笑する。
「農村では女が一番最後。娘は労働力、嫁は奉公人、婆は厄介者。どう変えていくか、本当に難しい」
絹は、ゆっくりと頷いた。
「でも、変えなければならない。今の制度のままでは、未来が育たない」
市川が微笑しながら言った。
「川戸さん、あなたの言葉は力がある。新聞記者だったからかしら」
「記者の頃は、自分の書いた記事が風のように通り過ぎていくのが怖かったんです。今は、少しは風の向きを変えられる位置に立てた気がしています」
その場には、女性たちの連帯と、焦燥と、未来への意思が静かに交錯していた。
さらに、議題は保育所設置義務化、地方自治体への財政支援、婦人警官の増員に及んだ。
「党派の壁はあっても、女性議員が共通して求める課題は多いわ。議会内での連携組織、そろそろ立ち上げたらどうかしら」
市川の提案に、全員が真剣な眼差しを向けた。
「女の政治は、男のそれと違うやり方でやるべきなのかも」
と、教育界出身の議員が言った。
「それとも、違うことを恐れず、違うことに意味を見出すべきなのかもしれない」
絹がそう言ったとき、誰かがグラスをそっと鳴らした。
夜の洋館に、女たちの政治の火が小さく灯った瞬間だった。
その帰り道、絹は志村と誠が待っている自宅へ一人歩きながら、ふと空を見上げた。
——かつて、記事を書くだけで精一杯だった自分が、今は国を動かそうとしている。
それが正しいのか、自信はまだ持てなかった。
けれど、そうでなければ、時代は「進歩」しないような気がした。
夜風が頬をなでた。彼女はコートの襟を立て、家路を急いだ。
1935(昭和10)年3月16日。ドイツはヴェルサイユ条約の破棄と再軍備を宣言した。
以後、ヒトラーは着々と周辺諸国への武力進駐を続ける。
同年8月12日。
昼下がりの衆議院議員食堂は、夏の湿った空気と蝉時雨に包まれていた。
絹が冷たい麦茶を口に含んだその時、廊下の向こうから駆け足の靴音とざわめきが押し寄せてきた。
「陸軍省内で殺人事件だ!」
最初に飛び込んできたのは、同僚議員の青ざめた顔だった。
「永田鉄山軍務局長が……刺殺されたようだ」
麦茶の冷たさが一瞬で消え、背筋に汗が流れる。初めて永田に会ったのは、宇垣の紹介によるものだった。その後、「農地改革研究会」の会合にも出席し、統制派と皇道派の派閥対立に揺れる陸軍の中で、理性的な統制派の中心人物として知られていた。
永田は徹底的な合理主義者であり、実質を伴わない精神主義には強い反発を示し、感情だけで動くような人物や情念先行の行動は全く評価しなかった。加えて、
「これからの戦争は嫌でも国家総力戦になるのだから、軍人だけが国防を担うのではなく、政治家、官僚、財界人、教育者、言論人など、ありとあらゆる階層の人々と連携していかなければならない」
と、説いていた。そのためには、陸軍の近代化、合理化を進め、極端な精神主義を極力排そうとしていた。
「皇道派との軋轢ですか?」
絹の、思わず口をついて出た言葉に、周囲は重く頷いた。
陸軍内の統制派と皇道派。統制派は宇垣派の流れを汲み、皇道派は反宇垣派であった。どちらも軍人でありながら、国家の未来像を巡って深く対立している。だが、白昼堂々、刃傷沙汰にまで至るとは、絹にとっても衝撃だった。
その夜、自宅に戻った絹は志村に言った。
「軍人同士の争いが、ついに血を見るようになったわ」
志村は煙草の煙を細く吐き、苦笑した。
「派閥争いなんてのは、どこの世界にもあるけどね……軍人のは、たちが悪い。武器を持ってる連中同士の権力争いだから」
翌1936(昭和11)年1月21日、立憲政友会は衆議院に町田内閣不信任案を提出した。衆議院の任期満了が近づいていたこともあり、町田忠治首相は衆議院を解散した。
総選挙の結果、与党であった立憲民政党が第一党となり、逆に政友会は鈴木喜三郎総裁が落選するなどの大打撃を受けた。このため、町田内閣の政権基盤はかえって安定化するように思われた。
しかし一方で、同年3月には、ドイツ軍がヴェルサイユ条約によって非武装地帯となっていたラインラントに進駐した(ラインラント進駐)。また、同年には国家の威信を賭けたベルリンオリンピックが行われることになる。
国際情勢は予断を許さなかった。
明けて、1937(昭和12)年。
東京の街並みは、日に日に目に見えて変わり始めている。
新橋から有楽町へかけての電灯広告はまばゆく輝き、銀座通りを自動車が埋め尽くす。
しかし、その陰で浅草の貸間には、地方からの若者があふれ、安宿はすし詰め状態になっていた。
夜の居間で、志村が新聞をたたみながら言った。
「絹、君たち民政党の政策で地方の農民は潤った。だが、その金を抱えたまま都会に出てきた連中は、工場でもっと稼ごうとする。今はいいが、十年後、街はどうなるだろう?」
「でも、それは経済の成長よ。国の底力になる」
「力は暴れもする。制御出来るといいがな……」
1938(昭和13)年。
日本の重化学工業は爆発的に成長し、製造業の総生産額は英・仏を抜き、米国・ドイツに次ぐ世界3位に躍り出た。
ところが、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海といった閉鎖性水域では工場排水の影響で魚が獲れなくなり、漁民の抗議デモが起きるようになった。
ある日、絹は地元、三重一区にある三重郡富洲原町からの請願文を受け取っていた。
三重県下富洲原村の近況に鑑み、左の件御高配相願い度、此段御請願申上げ
候。
一、近年、若年男子の多くが東京、名古屋方面へ出稼ぎに赴き、村内田畑の
作業手不足甚だしきこと。これにより耕作面積漸次減少し、食糧自給の上にも
支障を生じつつあること。
一、上流の製糸工場及化学工場よりの排水、河川を汚染し、魚介激減のみな
らず、灌漑用水にも障害を及ぼし、稲作の不作を招きつつあること。
右、農村の疲弊を防ぎ、耕地と水利を護るため、政府に於て適切なる対策を講
ぜられたく、謹んで請願仕る次第なり。
絹たちは議会で環境規制法案を提出するが、財界からは「経済成長の足を引っ張るな」と猛反発を受けた。
皆、目先の利益しか眼中にないような有様に思えた。
1939(昭和14)年。
日本の一人あたり国民所得は、わずか4年で世界5位にまで躍進した。
しかし、東京・大阪・名古屋の人口膨張は深刻で、下町では長屋が密集し、下水も追いつかない。コレラの流行まで懸念される中、保健衛生予算を巡って議会は紛糾した。
志村が夜遅く帰宅し、居間で絹に言った。
「なあ、絹。このままじゃ、経済は膨らんでも国民の心は貧しくなる一方かもな……」
「私だってわかってる。でも、始めた以上は、もう止められないのよ。それに来年は東京オリンピックでしょ。それに合わせるかたちで、鉄道省は東京-下関間に弾丸列車を走らせる計画よ」
「それ、本当にやる気かなぁ」
しかし、オリンピックどころではなくなってしまった。
その年の9月1日、ドイツはついに隣国ポーランドに侵攻。
遂に戦端火蓋を切り独波両軍国境で激戦
独の対英波提案事実上拒絶さる
仏国波蘭援助
秘書の桐山が持ってきた号外を手にして絹の手は震えた。
ついに二度目の欧州大戦が始まったのである。
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