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絹の国  作者: 喜多里夫
第五章 戦間期の活動

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第31話 大恐慌

 1929(昭和4)年――。


 東京の空は灰色だった。陽の光が差してもどこか鈍く、街の人々の顔色までもくすんで見える。政友会・高橋是清内閣は退陣し、代わって7月2日、濱口雄幸を首班とする民政党内閣が成立した。絹たちは地道に「農村改良勉強会」を続けていた。


「今後の焦点は、やはり農地所有の再編です」


 そう話したのは、農政学者である中村博士だった。


「このままでは地主の力が強まる一方です。耕作権を保障する法整備、租税体系の見直しも同時に考えねばなりません」


 志村清は、腕組みをしながら黙って頷いていた。

 彼の横顔を盗み見るたび、絹は胸の奥にわずかな温かさと、痛みを抱えていた。彼との距離は少しずつ近づいている。互いに信頼し、言葉を交わし、同じ書類に目を通し、夜遅くまで議論を重ねた。だが、そこに名をつけることはできないままだった。


 ──今はまだ。


 その時は、まだ希望があった。




 玉川学園の構内に初めて足を踏み入れたとき、川戸絹はふと、空気が違うと感じた。


 校舎の建物は、まだすべてが整っているわけではなかった。敷地のあちこちでは生徒たちが土を掘り返し、杭を打ち、木材を運んでいる。学園というよりも、開拓村か何かのようだった。だが、その手の動きは真剣で、表情は明るかった。


 出迎えてくれたのは、学園創立者の小原國芳。柔らかなスーツに蝶ネクタイ、帽子の下の顔はまだ若く、精悍さと柔和さをあわせ持っていた。年齢を尋ねれば32歳とのこと。京大出の俊才にして、早くも教育界の異端児と呼ばれていた。


「よくおいでくださいました、川戸記者、いや、先生。こんな未完成の場所へ。ですが、ここが日本の未来の姿です」


 小原はそう言って手を広げ、学園の敷地をぐるりと示した。


「すべては教育で決まるのです。国家も、家庭も、人間も。私はね、旧弊な詰め込み教育にうんざりしていました。だから、ここではまず『生きた人間』を育てることにしたのです」


 そう語る彼の口調は、どこか芝居がかっているほどに熱っぽかった。だが、言葉の裏には明確な理念が感じられた。


 校舎の縁側に腰を下ろすと、小原は懐から分厚い原稿の束を取り出した。


「これは、私の京大での卒業論文です。千枚以上書いたんですよ。教授たちには呆れられましたがね、私は信じている。思想というのは、言葉の量をくぐって、初めてかたちになるのだと」


 絹は思わず笑ってしまった。小原の語り口には、はったりのようなところもある。だがそれは、ただの虚勢ではない。彼の口から出る言葉は、教育という営みに命を吹き込む熱気を帯びていた。


「あなたは、家庭を国家の縮図と見る人たちをどう思われますか?」


 絹が問うと、小原はわずかに眉を上げた。


「うーん、悪くはない喩えですが、それだけじゃ不足ですな。国家とか家族とか、そんな『かたち』で人間を縛るのではなく、私は一人一人が『天命』を見出して生きることが大事だと思っています。教育は、その天命を掘り起こすための鍬なんです」


「天命、ですか?」


「そう。人は皆、ある使命を持って生まれてくる。その使命を知るには、まず自分の中にある『いのち』を育てねばならん。それを私は『生命の教育』と呼んでいます」


 風が吹いた。遠くで生徒の笑い声が聞こえた。泥だらけの手で土を運ぶ子どもたち。その姿に、絹はふと胸を打たれた。


「つまり、『自立した個人』を育てるのが教育の役目……」


「そう、いい言葉ですね。誰かの道具になるのではなく、自分の考えで歩けるようになる人間。私はそういう子を育てたい。そのためには、教師自身も日々育たねばならない」


 彼は一瞬、語りを止め、視線を遠くにやった。


「教えるというのは、一緒に生きるということですよ。教師と生徒の間に『命』の交感がなければ、教育は嘘です。だから私はこの学校を、理屈でつくったのではなく、祈りでつくったんです」


 それは、どこか宗教者のような言葉だったが、不思議と反発は覚えなかった。


 絹は、自分がこの学園の土と空気に触れながら、少しずつ心の深いところで何かがほぐれていくのを感じていた。




 帰り道、学園の門を出るとき、生徒の一人が「さようなら」と元気よく手を振った。


 絹は帽子を押さえながら微笑んだ。あの子たちには、型にはめられない自由がある。そしてその自由には、責任と誇りが伴っているように思えた。


 取材メモ帳を閉じながら、彼女はふと、未来のある日を思った。


 ――いつか私に子ができたら、この学校に通わせたい。


 そしてその「いつか」は、やがて現実になる。


 1930年代後半。日本は軍国主義に流れることなく、慎重な民主的改革を積み重ねて、国際協調の路線を歩んでいた。


 絹の一人息子は、玉川学園の門をくぐった。


 まだ泥の匂いが残る校庭に立つその子の背を、絹は静かに見守っていた。


 ——未来を恐れずに子供を育てられる。その場所を、私は見つけた。


 そして、彼女は再びペンを取る。


 ——教育とは、誰かの未来に届く祈りのようなもの。その祈りが、今日もまた土を耕している。




 同年秋、アメリカ発のニュースが飛び込んできた。


「ニューヨーク株式市場、大暴落――」


 1926(大正15)年、日本は金解禁を実施した。円は国際金本位制に復帰し、対外貿易の安定性を回復した。さらに、委任統治領南西アフリカからもたらされる金鉱収益が国庫を潤し、政府の財政運営に余裕を与えていた。


 1929(昭和4)年、世界恐慌が欧米を襲った際、日本国内の経済情勢は史実よりも穏やかであった。輸出産業や都市の労働者層には確かに影響が及んだが、通貨の安定と外貨収入の確保により、景気後退は局所的にとどまり、政策決定の自由度は大きく損なわれなかったのである。


 この状況を背景に、絹は代議士として農村改革や社会政策に取り組むことができた。議会や官庁の間でも、恐慌の影響を過度に恐れる必要はなく、むしろ安定した国庫と通貨の下で構造的改革に挑む余地があると認識されていた。彼女は、都市と農村の格差を縮め、国民生活の基盤を整えるための政策を、比較的落ち着いた環境の中で着実に推進することができたのである。


 ただ、それでも、冷害による凶作と重なった東北地方の状況は深刻であった。

 当時、日本最大の輸出品である生糸は、アメリカ市場での消費激減と在庫過剰により、値が暴落した。相場は半分以下に下がり、農村は恐慌の影響を受けた。


 絹は衝撃を受けた。毎日のように各紙が伝える「破産」「自殺」「身売り」──そこには、かつて彼女が取材で歩いた村々の地名もあった。


 ある日、内務省を訪れた絹に、志村が低い声で言った。


「君に見てほしい資料がある」


 案内されたのは内務省の資料室の一角だった。帳簿、電報、現地報告、そして写真。絹がページをめくるたび、胸を締めつけるような現実があった。


 ──農家の娘、12歳、東京の貸座敷に売られる。


 ──欠食児童、東北の尋常小学校で三割に達す。


 ──高等女学校卒業者、就職口なく、遊郭に身を沈める者あり。


「これが……この国の現実?」


 声が震えた。

 志村は黙っていた。ただ、そっと写真の束を絹の前に差し出した。


 ──若い女性。襟元がわずかに開き、目元には疲れがにじんでいる。


「山形の女教師だった。22歳。母親と弟の生活費のために、売られた」


「教師が……?」


「子どもを教えていた者が、客に抱かれている。これが日本の『教育』の現状だ」


 絹は、言葉を失った。体の芯が凍るようだった。


 ──私たちは、何をしてきたのだろう?


 議会で法律を論じ、農村の未来を語っていた。それが、ここまで届いていなかった現実。

 部屋を出た後も、志村は言葉少なだった。


「絹さん」


 小声で呼び止められ、絹は振り向く。


「今夜は、帰れそうか?」


 一瞬、意味がわからなかった。けれど、その声の奥にある何かが、胸に届いた。


 ──一緒にいたい。


 志村もまた、何かを抱えている。官僚としての自負と、届かぬ無力感のはざまで揺れている。


 「……もう少し、話がしたい」


 気づけばそう答えていた。

 二人は、暗くなってから落ち合って、そのまま築地の小さな喫茶店に入った。人気の少ない夜の店内で、珈琲の香りが静かに漂っていた。


「私、怒っているの。すごく」


 カップを見つめながら、絹はぽつりと言った。


「何に?」


「国に。制度に。自分自身に……全部」


 志村は黙って頷いた。


「私、子供を売る母親を責めたくない。でも、それを『仕方がない』で済ませる大人にはなりたくないの」


「君は、そういう人間だ」


 彼の言葉に、涙がにじんだ。


「志村さん……あなたは、まだ希望を持ってる?」


 しばらく沈黙が流れた。


 「持っている。いや、君といる限りは持てる」


 その言葉に、絹の中で何かが、そっとほどけた。




 1930(昭和5)年から1931(昭和6)年にかけて、日本経済は不景気に陥っていた。


 宮崎では小作争議が勃発し、警官との衝突で死者が出た。東北では雪の中、幼児が凍死したという報が入った。女学校を卒業したばかりの少女が、人買いに引かれて海外へ渡ったという噂が、新聞の片隅にひっそりと載った。


 絹は国会で、声を震わせて演説した。


「国民が飢えている。教師が妓楼に沈み、子どもが売られ、母が自ら命を絶つ。これをして、何が『国体』でしょうか? 何が『美しい国』でしょうか?」


 議場に野次が飛んだ。だが、静まりかえった一角には、黙って彼女の声に耳を傾ける者たちもいた。

 与党・民政党や無産政党の議員だけではなく、野党・政友会などの保守系議員も、すでに絹を「女のクセに」「危険な奴」とは言わなくなっていた。むしろ、避けがたい現実を突きつける声として、聴かざるをえなかった。


 夜、絹の机の上には、志村から回ってきた農林省の覚書が置かれていた。


 ──生糸輸出は前年度比3割減。農村戸数のうち7割が赤字経営。


 ──児童の栄養失調による学力低下、社会問題化の恐れあり。


 ──女子の都市流出と「性の商品化」進行中。


 それらを読みながら、絹は静かに立ち上がった。

 カーテンの隙間から、夜の東京の灯が見える。

 明日はまた、国会がある。

 また、志村と会える。

 また、希望を語ることが出来るだろうか?


 ──たとえ、この国が暗闇に覆われようとも……私は歩く。あなたと、この国の未来のために。


 目を閉じて、絹は小さく祈った。


 その先に待つ光を、まだ見ぬ光を、信じるために。

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