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絹の国  作者: 喜多里夫
第三章 関東大震災における体験

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第23話 言葉を届けるために

 1925(大正14)年4月上旬。


 銀座大通りの一角に、真新しい石造りの建物がそびえ立った。

 白壁に黒い窓枠をめぐらせ、最上階には「東京タイムス」と金文字の看板が掲げられている。

 大震災の廃墟から立ち上がった街は今や電燈の海に照らされ、復興の象徴として次々と近代的な建築が生まれていた。

 人々はまだ瓦礫の記憶を胸に抱きながらも、新しい時代の息吹に浮き立っている。カフェーに集う学生や、洋装をまとった女性たちが行き交い、銀幕のスターを写した広告塔が夜ごとに街を彩った。


 そのただなかに建てられた東京タイムス社屋は、単なる新聞社の器ではなかった。報道が世論を形づくり、政治を動かしうると信じる記者たちの拠点であり、後に「大正デモクラシー」と呼ばれる時代を作り出してきた世代の矜持の結晶でもあった。落成の日、玄関前には記者や政財界の人々が集い、街頭を通る市民までもが足を止めてその威容を仰ぎ見た。銀座のざわめきの中に、時代がひとつ大きく動き出す気配が漂っていた。


 そんなある日、昼下がりの編集局に、ざわめきが立っていた。いつもは無遠慮に響くタイプライターの音や校正係の罵声が、なぜか今日は控えめだ。


 理由は一つ――社内の応接室に、ラジオが設置されたのだ。


 銀色の筐体に大きなダイヤル、艶やかな木製の脚台に乗ったその受信機を囲んで、若い記者たちが顔を寄せ合っていた。大日本無線電信株式会社製、定価100円。庶民にはまだ夢のような高級品だが、東京タイムス社は必要経費で購入したのだ。


 応接室で、川戸絹は静かに腰掛けていた。耳にあてたヘッドホンから、囁くような男性アナウンサーの声が聴こえてくる。


「……本日の第一報、午前10時より文部省において行われました教育振興会議には、岡田文相をはじめ、各師範学校長……」


 絹は、ふっと目を細めた。


「まるで、活字が音になって流れてくるみたい」


 隣にいた政治部の伊藤が頷いた。


「活字にならなかった声も、これなら届くかもしれませんね」


 絹がヘッドホンを外すと、今度は社会部の村岡デスク社がヘッドホンをあててボソリと言った。


「これからは記事も喋る時代か。ますます、書き手の責任が問われるな」


「責任……ですか?」


「活字なら、読み手の時間と距離がある。ラジオは違う。『いま・ここ』に届く。だから、言葉がナマすぎると危ない」


「たしかに、誰でも聞けるってことは、誰でも煽られるってことでもあるんですね」


 村岡の次には、また別の者がヘッドホンを着ける。


「あっ、音楽が流れてきた。宮城道雄の箏と尺八の合奏だって」


「すごいな。新聞と蓄音機の機能もあるということか」


「次は東京放送局総裁・後藤新平の講演か……おっ、こりゃ、すげえ、まるで目の前で話してるように聞こえるぜ」


 数分後、放送が一時中断すると、室内にポツンと沈黙が戻った。


「絹さん、どうしました?」


 伊藤が訊くと、絹はゆっくり言った。


「……この『声』の向こうに、私たちがまだ知らない日本があるの。千島、樺太から台湾まで。南洋群島や南西アフリカだって、じきにラジオ放送が始まると思うわ」


 伊藤は、静かに頷いた。


「じゃあ、我々の原稿も、いつか、声になる?」


「なるわよ。紙を越えて、街に響く言葉になる」


 その時、荒井が手を叩いて声を上げた。


「おい、遊んでないで記事書け。今度は『ラジオ放送元年』特集でもしようか。『時代が耳を持った』って見出しはどうだ?」


「それ、いただきですね」


と、村岡が言う。


 絹は微笑みながら立ち上がった。




 別の日の午後。


 編集局を出た川戸絹は、神田から東へと足を運んでいた。向かう先は、玉ノ井(たまのい)。震災後に出来た「私娼窟(ししょうくつ)」の町である。以前、何度か取材した南西アフリカ出身の少女・へラリアがここに住んでいると聞いたからだ。


 玉ノ井は、以前よりも「静か」だった。正式な遊郭ではないため、玄関に提灯を掲げるわけでもない。だが、それとわかる家々の軒先には、男たちがフラフラと吸い込まれていく。


 絹は、その中の一軒をそっと覗いた。

 畳に敷いた蒲団の上に、背を丸めてうずくまっている小さな影。

 目が慣れると、その少女は、あのへラリアだった。


「へラリア!」


 絹が名を呼ぶと、少女が顔を上げる。前より痩せていた。頬がこけ、肌の艶が失われていた。それでも彼女は、絹の顔を見て、はっと目を見開いた。


「キヌさん……!」


 カンガがいなくとも、名前だけで通じる。それは記者としての誇りと同時に、絹には悲しみでもあった。

 部屋の隅に座って、久しぶりに話を聞いた。


「カフェ、クビ。お客さん……ワルイ人、ケンカ、警察、店、終わった」


「それで……ここに?」


「食べる、ない。帰る、お金、ない。ここのオカミさん、やさしい。食べ物くれる。でも……夜、きもちワルイ男、くる」


 へラリアは、絹の膝に顔を伏せて言った。


「わたし、ニホン、こわい。空、きれい、でも、音、ない。母の声、ない。星も、黙ってる」


 絹は言った。


「最近ね、日本でもラジオ放送が始まったの。音で、人の声が届くのよ。遠くまで」


 へラリアは、不思議そうな顔をした。


「人の、声が届く?」


「うん」


 少女は少し口元が緩んだ。その歯は、前よりも黄ばんでいた。


 「じゃあ、わたしの声も、ラジオに、なる?」


 その問いに、絹は答えられなかった。


 へラリアの母語も、名前も、物語も、日本の放送電波には乗らない。ラジオは「遠く」まで届くが、それは「選ばれた言葉」だけだ。

 標準語で話す政治家、教師、アナウンサー、そして作曲家の声。

 でも、この少女の声は、届かない。

 へラリアがポツリと言った。


 「ラジオでね、母の歌、聞きたい。わたし、忘れたくない」


 絹はその言葉を、胸に刻んだ。

 誰かの言葉を伝えること。

 それは、文明の技術だけではできない。

 耳を澄ませる心がなければ、ラジオも新聞も、ただの「器」にすぎない。


 帰り道、絹は決意する。


 ――この国の「新しい声」に、へラリアのような子の声も届ける方法を探すのだ。それが、ラジオの時代における、自分の新聞記者としての使命なのだ。





 東京タイムスに、川戸絹の署名記事が載ったのは、それから3日後だった。見出しにはこう記されていた。




   浅草より向島へ――「黒き少女」何を語るか


   かつて浅草のカフェ「オシカイバ」に勤めし南西アフリカ出身の少女、

  マリア(仮名・十三歳)。今は向島の私娼窟に身を寄す。戦後、日本に渡

  りし「委任統治領」出身の人々の影にて、彼女のごとく声を失ひし少女少

  なからずと伝ふ。


  「おかね、おくる。ママ、まってる」


   片言の日本語を口にしつつ、少女は微笑みたり。然れども、その笑みの

  奥にひろがるは、尽きることなき異郷の夜なり。


   果して、この国の大人たち、彼女らの声に、痛みに、夢に、耳を傾けつつ

  あるや。




 この記事は、思わぬ反響を呼んだ。東京の婦人団体や教会系の慈善組織から問い合わせが相次ぎ、ある社会事業家――小山初子の名で知られる女性活動家――が連絡を寄せてきた。


「その少女、うちで保護しましょう。言葉の壁はあるけれど、通訳の青年がいれば、きっと心も開いてくれるはずです」


 小山は、日本国内の孤児や今でいうところのDV被害者女性を保護してきた経験を持ち、台湾や南洋群島からの出稼ぎ女性にも救済の手を差し伸べていた人物だった。


 絹は、もう一度玉ノ井の私娼窟を訪れ、へラリアに話した。


「行く? そこなら、夜に変な男が来たりしない。勉強もできる。お母さんに手紙も書ける」


 へラリアは、しばらく黙っていたが、小さく頷いた。


「キヌさん……いく。わたし、うた、おぼえたい。ママのうた、ニホンのひとも、きける?」


 絹は、思わず彼女を抱きしめた。


 数日後、へラリアは小山初子の運営する「黎明女子保護所」へ移り、少しずつ言葉と笑顔を取り戻していった。彼女の語彙の豊かさと記憶力には、保護所のスタッフも驚いた。

 母語だけでなく、カフェ時代に覚えた日本語の歌、片言の英語も口にした。保護所では、彼女の歌う母国の子守歌を、録音機で記録する取り組みまで始まった。

 絹は、それらを聞きながら思った。


「この声は、いつか本当にラジオに乗るかもしれない」


 半年後――。

 南西アフリカ出身の学生や労働者たちの協力を得て、へラリアは日本赤十字社経由での帰国プロセスに入った。紙面の報道と、各方面からの要請が効いたのだ。

 帰国の数日前、絹はへラリアを訪ねた。


「行きたい?」


と訊くと、へラリアは首を振った。


「……わたし、日本、すき。でも、ママに、わたしのこえ、きかせたい」


 翌日、絹はへラリアの唄う子守歌を録音するために、東京放送局へ彼女を連れて行った。

 へラリアは、母国の言葉で、静かに子守歌を口ずさんだ。遠い大地の、乾いた風と太陽の匂いがする旋律だった。

 針がレコード盤の溝をなぞり、かすかな音が流れる中、絹は呟いた。


「この声、いつか、また日本でも流すわ。忘れさせない。あなたのような子が、ここにいたことを」


 そして、1925(大正14)年、11月。

 へラリアは、横浜港から出航する船に乗り、日本を後にした。




 その夏、東京放送局が特集番組として「帝都と世界をつなぐ音の橋――放送特別録音集」を制作。絹の働きかけと、黎明女子保護所の協力により、へラリアの録音が放送されることとなった。


 昼下がり、東京タイムス本社の応接室。例のラジオ受信機を囲んで、社員たちが耳を傾けていた。


「次は、特別放送です。南西アフリカより来日し、本年帰国した少女が歌った、母国の子守歌。録音協力・黎明女子保護所、推薦・東京タイムス社・川戸絹……」


 ザザッとノイズが走り、そして、音楽が流れた。

 へラリアの高く澄んだ声が、空を渡る風のように響いた。

 言葉は誰にも分からなかったが、その響きは、確かに人の心に触れた。

 応接室では誰もが静かに耳を澄ませていた。

 やがて絹がそっと言った。


「届いたわ。いま、本当に……この国の空気が、彼女の声を受け取った」


 伊藤が頷いた。


「ラジオに耳があるなら、新聞には、目と手がある。俺たちの仕事も変わるな」


 村岡デスクがいつになく柔らかな声で言った。


「言葉が、道をつくる。そういう時代が、始まったんだろう」


 放送は終わった。だがその余韻は、しばらく消えることはなかった。


 そして今も、絹の机の隅には、へラリアの残した小さな布の帽子――現地語で「オシカイバ」――が、静かに置かれている。

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