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絹の国  作者: 喜多里夫
第二章 新聞記者時代と社会認識の形成

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第12話 目覚めた女の現実

 1920(大正9)年6月。


 梅雨入りを目前にした曇り空の下、明正女子専門学校の講堂では学生向けに講演会が開かれようとしていた。


 講師の名は、新渡戸(にとべ)稲造(いなぞう)。国際的な学者であり、『武士道』の著者であり、そしてこの夏から国際連盟の事務次長として渡欧する人物だという。そのような「世界の舞台」に立つ人間の話を、間近で聴ける機会など、そうあるものではない。


 絹は、その日は取材ではなく学生の一人として講堂の椅子に腰掛けていた。だが胸の奥には、記者としての好奇心がくすぶっていた。


 講堂の正面扉が静かに開き、落ち着いた白髪の紳士が登壇する。深い灰色のスーツに、柔らかな口調。拍手の中に歩み出たその姿は、威圧的ではなく、静かな親しみを湛えていた。


「皆さん、こんばんは。今日は、ある旅に出る前に、ぜひともお話ししておきたいことがあり、この場に参りました」


 新渡戸の声は、穏やかだが、芯のある調子だった。


「この夏、私は日本を離れ、国際連盟という組織に身を置きます。戦争のない世界をどうつくるか、民族と国家がどう共に歩めるか。そのような問いに、私は教育者として、また日本人として、答えを探そうとしています」


 会場は水を打ったように静まり、絹は膝の上のメモ帳を開いた。


「けれど、私が本当に願っているのは、世界を知る『日本人』がもっと増えていくことです。男も、女も。老いも、若きも。学ぶことは、ただ己のためではなく、隣人と共に生きる力を得ること。そして、声を持つというのは、ただ叫ぶことではありません。世界の言葉と通じ合うための知恵と品位を身につけることです」


 その言葉に、絹の心は深く揺さぶられた。「声を持つ」という言葉——それは、まさに今、彼女が悩み模索し続けているものだった。


 講演後、絹は人波を抜け、わずかな時間、新渡戸に話しかけることができた。


「先生、私は記者です。女性の記者として、今この時代に何を書けるのか……迷うこともあります。でも、いまの先生のお話を聞いて、自分の声を信じてみたいと思いました」


 新渡戸は少し驚いたように目を細め、穏やかに頷く。


「あなたのような記者が、これからの日本には必要でしょう。声は、使い方によって刃にもなりますが、光にもなります。どうか光を届ける言葉を書いてください」


 絹は深く頭を下げた。


 友人たちと帰り道を歩きながら、絹は興奮を抑えきれずに語った。


「私たち、正しいことを行う勇気を持たなきゃね」


 友人の一人が笑った。


「うん、私たち、『目覚めた女』だものね!」


 教室でも、絹は仲間たちと知識を武器に議論を戦わせる。「女性にも思考する権利がある」と胸を張る姿は、まさに新しい時代の先駆けのようだった。




 しかし、現実はそう甘くはなかった。


 新聞社に顔を出すと、荒井主筆はいつも声を掛けてくれる。


「川戸君の文章には力がある。婦人記者としての目も十分に評価している」


 その言葉に絹は少し安心する。しかし、編集会議では、やはり壁があった。


「川戸君、この記事は……」


 才能も努力もまだ完全には認められない現実。


 ――君の文章は鋭いから、誤解されやすい。


 以前、志村に言われた言葉が胸をよぎる。


 「東京タイムス」に署名記事を掲載した時なども、称賛する投書ばかりが来るわけではない。いつも一定数は否定的な声が寄せられる。そんな投書も絹は丁寧に目を通す。




   川戸絹殿

   貴女の書かれたる前号の記事、女のくせに政治に口を出すとは何事かと、

  甚だ驚き候。女子は家庭にありて家事を守るべきものにて、世の中の難き

  事に首を突っ込むは宜しからず。貴女の如き生意気な態度、甚だ不愉快に

  存ず。

                           (浅草区 田中某)




   川戸絹様

   婦人参政権に於ける貴女の意見、余輩には到底理解し難く、甚だ無礼に感じ  

  候。女が政治を論じ、新聞に文章を寄せること、まことに無益の至りと存じ 

  候。世の習いを弁えよ。

                            (下谷区 鈴木某)




   川戸絹殿

   貴女が書かれたる記事に於て、女が表に立ち、世の仕組みを論じ候こと、余

  輩には甚だ生意気にて不快至極に存候。女子は陰にて支うべきもの、表に立ち  

  て声を挙ぐるべからず。

                            (深川区 匿名希望)   




 絹は投書に目を通しながら、思わず肩をすくめた。学校では「目覚めた女」と呼ばれ、講義や議論の場では尊重される。しかし、現実の社会は性別一つで扱いが変わるのだ。

 過去にも、何度も同じような思いを抱いたことがある。自分の文意はねじ曲げられ、女性であるという一点だけで切り捨てられる。社会の偏見が、自分の言葉を押し潰そうとしているように感じられた。


 だが、記事を書くときの胸の高鳴りも、記者としての責任感も、失いたくはない。否定的な声があるからこそ、自分の言葉の意味を問い直すことができるのだ。


 ——私は……どこに立てばいいのだろう?

 

 記者としての自負と、社会の壁の間で、絹の胸はもやもやと波立った。


 新聞社に届いた束の投書の中で、絹の目を射抜いたのは「女のくせに」「生意気だ」と繰り返す言葉だった。


「私、そんなこと、言ったつもりはないのになぁ……」


 そう呟いた夜、彼女は婦人問題研究会の例会に顔を出した。


 部屋の空気は真剣だった。テーブルを囲むのは平塚らいてう、市川房枝、若い女学生や婦人活動家たち。そこで絹は思い切って口を開いた。


「……どうして男の人は、女をこうも見下すのでしょうか? 私たちが何を言っても、『女だから』の一言で退けられてしまいます。そういう投書もたくさん来ます。これは私の書いた記事の内容にではなく、ただ女が筆を執ったという事実への怒りのようにも思えるんです」


 沈黙のあと、平塚らいてうが口を開いた。


「それは、女が声を上げること自体が、彼らにとって『秩序の破壊』だからです。長い間、女は家に縛られ、母であること以外を許されなかった。その秩序の中で、安心してきたのが男たち。だから、女が外に出て働き、学び、発言すること自体、彼らにとっては恐ろしく、許せないことなのでしょう」


 市川房枝も、すぐに続けて言う。


「それに、恐ろしいだけでなく『利害』でもあります。女が労働や政治の場に立てば、男の職や立場が脅かされる。だから『女は裏方にいろ』と繰り返すのです」


「……では、私たちが能力を示すほど、反発は強くなるということですか?」


 らいてうは、頷きながら言った。


「そう。でもだからこそ私は『母としての女を社会が守るべきだ』と主張してきました。母性は人類を生む力、誰も代わりにはなれない。だから女性が安心して子を産み育てられるよう、社会が保護することこそ進歩だと」


 市川は、少し身を乗り出し、言葉を強めて言う。


「けれど、それだけでは足りません。母性に頼るだけでは、『母でない女』はどこへ行くのです? 私たちは一人の国民として、男と同じように参政権を持ち、権利を行使する必要がある。保護だけでは真の平等にはなりません」


 二人の意見が交錯し、場の空気が熱を帯びる。


 絹は言った。


「……母として守られるべき女、権利を持つ国民としての女。どちらも確かに真理のように思えます。けれど、現実には職場でも取材先でも『女だから』の壁にぶつかります。左翼の労働組合ですら、『女は裏方』と言われる……」


 絹に対して市川は柔らかく、


「それは、変わる過程の痛みです。怖れられるのは、私たちが進んでいる証。だから立ち止まってはいけない」


と言い、らいてうは静かに、


「あなたのような若い世代が、筆を執り、声を出すこと。それが次の時代を拓くのです」


と、言った。

 絹は二人の言葉を噛みしめた。

 思い出すのは、先月のメーデーで出会ったかつての女工仲間の顔である。


「はるちゃんでねえが?」


と、笑いながら駆け寄ってきた三人の、明るくもどこかせつない声。


 ——労働組合作ったけど、会合に出ても、女工ってことで一段下に見られるんだよ……。


 あの言葉が、胸の奥にずんと刺さる。学校では声を持つことの喜びを知ったが、社会は声を封じようとする。


 絹は机に突っ伏し、深く息をついた。


 ——目覚めた女は、生きにくい。でも、生きなければ。


 彼女はペンを握り直す。矢内原先生の「視ること」、新渡戸先生の「声を持つこと」の言葉が、まるで背中を押すように重なる。苦い投書の文字も、無力感も、そのすべてが学びの材料だと、絹は思うことにした。


「私は……視たい。そして、どんな小さな声でも、世界の果てまで届けたい」


 絹の目は熱く輝き、再び現実の壁と向き合う覚悟を固めていた。




 この時期に川戸絹の残した日記や書簡、初期の連載記事には、彼女が通っていた明正女専関係の人士の名がしばしば登場する。


 当時の明正女専は、単なる「良妻賢母」教育に留まらず、時代の最先端に立つ学者・文化人を非常勤講師・外部講師に招くことで知られていた。法文科だけでも田中耕太郎、穂積重遠、矢内原忠雄、杉村楚人冠など、法学やジャーナリズムの分野で自由主義的な思想を掲げる人物たちが講義を行っていた。それは、創立当初から宗教(プロテスタント系)教育の要素と社会改良主義に理解のある教育方針があったからだろう。


 特にこの時、新渡戸稲造が渡欧直前に行った講演は、川戸絹にとって決定的な意味を持ったとされる。


「声を持つとは、世界と通じる知恵を得ること」——この言葉は、彼女の記者人生、そして後年の政治的信条にも繰り返し引用されている。


 絹が後に政界に進出し、特に福祉や教育関係の立法過程に深く関与したことのみならず、一貫してわが国の「自由と民主主義」を守ろうと尽力した背景には、この明正女専での学びと出会いがあったことは疑いない。


 後年、川戸絹が語った回顧録には、こんな一節がある。


「私は明正女専で、三人の教師に出会った。

 一人は、矢内原忠雄先生。支配の倫理を教えてくれた。

 一人は、新渡戸稲造先生。世界との対話の知恵をくれた。

 そしてもう一人が、杉村楚人冠先生。彼は、記者という存在が持つ責任と謙虚さを、深く教えてくれた」


 さらに、昨年度から明正女専では、ジャーナリストの育成を目的とした「新聞研究会」が設立されていた。杉村楚人冠が初代顧問となり、川戸絹はその初代部長となっていた。

 この小さな会の活動が、のちに「明正グループ」と呼ばれる知識人ネットワークへと繋がっていく。そして、そこから生まれた言葉たちは、時代の転換点ごとに、この国の耳を静かに打ち続けていくのであった。


 今日、明正女専は共学化と大学昇格を経て「明正大学」となり、東京の難関私立大学の一角を占めている。その建学の精神として掲げられるのは、川戸絹の以下の言葉である。


「学ぶとは、ただ知ることではない。変える力を持ち、問う力を失わないことである」


 その背景に、女専での良き師との出会いがあったことを、私たちは忘れてはならない。

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