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第8話 訓練飛行

俺たちがタイムスリップしてから2ヶ月あまりが過ぎた。


先月まで活発だった敵機の活動も、霧の日が続いているせいか最近は低調だ。時おり嫌がらせ程度に偵察はやってくるが、こちらが本格的に迎撃機を上げる前にサッサと引き返していく。


敵としても、四方を日本艦隊に囲まれた樺太で積極的な消耗戦をやるつもりはないらしい。


今日も敷香基地は平和そのものだ。


こんな日がこれからも、できれば終戦の日まで続いて欲しいものだが、そうもいくまい。


史実通りなら来年には第二次世界大戦が始まり、その2年後に日本も枢軸陣営として参戦することになる。仮に歴史を改変している連中の思惑通りに日米開戦を回避できたとしても、世界有数の軍事国家である日本が世界大戦に巻き込まれないとは思えない。


そのうち戦火は拡大する。


そんな、予感がする。


俺も颯真も戦闘機乗りだ。これからも戦争が続けば、敵と戦うことは避けられない。


俺は、敵と遭遇したら戦うつもりだ。


戦場では、殺すか、殺されるかだ。


でも颯真は、この現実を未だ受け入れていない。


戦場で戦うことを躊躇していては、いつかやられる。


そんな颯真を俺が守り切れればベストだが、戦場で仲間を完全に守り切る事など不可能だ。


早く、彼自身も現実を受け入れて戦えるようになって欲しい。いつまでも殺人を躊躇しているようでは、やられるに決まっている。


けれど、どうしようもなく優しい颯真が戦うことを選び、敵機を撃墜したとき、彼の精神は正気を保つことができるだろうか?


俺は、それだけが心配でならない。


願わくば、自分を責めないで欲しいものだが───。


ある日の神楽快斗の日記より




*西暦1938年6月16日 敷香基地上空3000m*


この時期の樺太には霧が出る。


今日は久しぶりに霧が無く遠方まで見渡すことができたが、昨日まではかなりの濃霧で数百メートル先を見通すこともできなかった。


この時代の飛行機にはレーダーが搭載されていない。霧や雨天、夜間に飛行すると山に激突したり、飛行場に帰って来れなくなるため、天候不良の日に飛行することは稀だった。


その影響で日ソ両軍とも直近では航空作戦が行われていない。俺たちは地上で訓練と整備に明け暮れ、あとは空襲で破壊された基地の復旧を手伝うくらいしかやることがなかった。


正直暇だったが、まあ戦わなくて済むのはいいことだ。


なおこの間、敷香基地には戦闘機隊1隊(18機)と陸上攻撃機1隊半(18機)が補充戦力として配備され、元々いた部隊と合わせて九六艦戦30機、九六陸攻18機の48機が駐機場にズラリと並んでいた。


前線基地の戦力としては充分に一線級と言えよう。


数の暴力で押し寄せて来るソ連軍相手には、これでもまだ不足気味の戦力だが。


なお九六陸攻というのは800キロまでの魚雷や爆弾を搭載して敵艦や敵基地を攻撃できる大型の攻撃機のことである。


ソ連軍のSB爆撃機と同様に双発機であり、単発の攻撃機や爆撃機よりも爆弾搭載量・航続力・速度性能で優位性を持つ高性能機だ。


とりわけ九六陸攻は長大な航続力が売りであり、日本製の大型機が列国のそれと肩を並べた初期の機体でもあった。


しかし本機には大きな弱点があった。機体に燃料を満載しているため、1発の被弾で炎上するというものである。


これは、敵弾を喰らっても燃料への引火を防いだり、エンジンや乗組員を守ってくれる防弾装備が搭載されていないためだった。


こうした弱点は本機だけのものではない。まだこの時期、防弾装備を搭載した飛行機は世界的にも珍しかった。しかしその中でも、特に九六陸攻は被弾時に炎上しやすいと言われる。そのため高い火力を誇るソ連戦闘機に狙われると非常にまずいことになる。


特にI-16は九六陸攻より100キロほど高速で簡単に射撃位置に着くことができたため、ソ連戦闘機が飛んでいる空域を本機が飛ぶことは自殺行為だった。


事実、大陸の戦場ではI-16に付け狙われた九六陸攻は次々と火だるまになって落ちていったという。


そんな無防備な陸攻を守るのが、俺たち戦闘機隊の使命と言うわけだ。


そこで今日は早朝から、陸攻を護衛する想定での戦闘訓練が行われていた。


今回は不利位置からの迎撃訓練である。


陸攻を護衛中の五十嵐小隊3機の後ろ上空から、敵役の戦闘機3機が降って来たらどう対処するか?という想定での訓練だった。


俺たちは陸攻を護衛する想定でいるため、ダイブで逃げるという選択肢はまず取れない。そこで機を反転して上昇、敵を迎え撃つと言う方法を取った。


しかしこれは防御側の俺たちが非常に不利となる。


空中戦は「高度=位置エネルギー」と「速度=速度エネルギー」の総量を相手より多く保っているほうが有利となる。


今回の想定では、降下する敵機は高度を捨てて速度を上げ、上昇する五十嵐小隊は速度を捨てて高度を上げるという構図になる。


一見、敵味方共に一方のエネルギーをもう一方のエネルギーへ変換しているだけで、双方のエネルギー量に差があるようには見えないが、ことはそう単純ではない。


仮に低位の自機と高位の敵機が同方向に300キロで飛行している場合、敵機の方が有利になる。なぜか?


低位から上昇する自機は高位の敵機と同高度まで上昇する間、相当な速度エネルギーを消費している。


仮に1000メートル上空の敵機と同高度に到達しようものなら、300キロの速度は200キロ、100キロと大幅に減速する。


そして飛行機は一度大きく速度を失うと元の速度に戻るまでに時間を要する。


よって、敵機と同高度まで上昇した時、高度エネルギーは敵と同等だが自機は速度エネルギーで大きく劣った状況になるのである。


一方で高位の敵機は高度を捨てて降下することで、かなりの速度エネルギーを稼ぐことができる。


300キロの速度は400キロ、500キロと増大し、低位の自機と敵機が同高度に達した時、高度エネルギーはどちらも同等だが速度エネルギーで敵機は圧倒的に優位になる。


そのため、上昇してもそのまま高度を変えず飛行を続けても、自機は敵機よりエネルギー優位に立つことができないわけだ。


こうした理論を「エネルギー理論」と……史実では四半世紀後にアメリカ空軍の軍人によって体系化され、呼ばれることになる。とは言えこういった概念は現在でも各国空軍の共通認識となっている。我らが日本海軍でも空中戦というのは敵より高位から襲い掛かり、無防備な後方から攻撃を喰らわすことが理想的と教え込まれていた。


そして最近のソ連軍が多用してきている戦術が「一撃離脱戦法」である。


これは非常に厄介な戦術だ。


相手より高位にいる戦闘機が、ダイブで高度を速度に変換し、相手に「一撃」を食らわせたらそのまま上昇し、「離脱」するというものだ。


このさい、もし低位の防御側が高位の攻撃側の射撃を回避するために大きく旋回したとしても、攻撃側はこれに追従して旋回することは決してせずに上昇し、ダイブで稼いだ速度を高度に変換するのである。


飛行機は、旋回する時にエネルギーを消耗する特性がある。防御側の旋回にあわせて射撃位置につこうと旋回しようものなら、攻撃側は防御側より圧倒的なエネルギー優位を持っていたにも関わらず、エネルギーを消耗してしまうことになる。そうなれば彼我のエネルギー差は無くなり、自然と格闘戦に移行することになるのだ。


こうした事態を避けるため、一撃離脱戦法をする攻撃側はあくまでも高度優位からの「一撃」を繰り返すのみで、「高位からダイブして一撃、速度のあるうちに上昇して離脱」を何度も何度も繰り返すのだ。


これをやられると、防御側は常に攻撃側よりエネルギー不利な状態での戦闘を余儀なくされ、一方的な攻撃を受ける羽目になる。


今回の想定訓練は、まさにこうしたソ連機による一撃離脱戦法に対応するためのものであったのだが──結果は惨敗。


3対3の同数での訓練であったにも関わらず、交戦開始から2分と経たずにまず俺が撃墜判定を喰らい、五十嵐機はその10分後に撃墜判定を出され、訓練が終わった。敵役の3機に対しては俺が1回、五十嵐機が2回ほど射撃機会を得たものの、ついに1回も撃墜判定を出すことができなかった。


それほどまでに、高度不利から一撃離脱戦法をやられると防御側は反撃が難しいのである。


なお最後まで生き残った颯真機だが、奴は回避機動だけは天才的に上手なため、3対1の状況下で時間切れまで逃げ回った。


その代わりに射撃が死ぬほど下手なので、ただの一度も撃墜判定や射撃機会を得ることなく終わっていた。それでも3対1で生き残れたのは驚異的と言ってよい。


訓練後、颯真にどうやって回避しつづけたのか問うたところ「後ろにも目をつけるんだ」と某ニュ〇タイプのようなことを言いやがったので「今度、チリチリの天パにしてやる」とだけ言っておいた。


本人は何のことか分からずキョトンとしていたため、それが余計にムカついた。


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