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第5話 緊急発進

「歴史を変えているって、どういうこと?」


僕が純一に尋ねると、代わりに快斗が答えた。


「なあ颯真……実は俺、颯真は日本史の成績が悪いことを知ってるんだ」


「余計なお世話だ。何が言いたい?」


「正確には日本史どころか古典や理数系科目が全滅なのも知……」


「だから何なんだよ!」


「……俺たちが巻き込まれているこの『日ソ事変』って、お前、日本史の授業で習ったか?」


「え……」


一言も二言も余計な言葉のやりとりの後、真顔になった快斗の言葉にドキリとした。この男、普段はチャラけているが基本的に顔が良いのだ。そのため余裕たっぷりの笑みから真顔になると男でも「揺さぶられる」ことがある。面食いの女性であればこんなの喰らったらイチコロではなかろうか。事実、コイツは大変に女性にモテる。全く腹立たしいことに。


まあそんなことはどうでも良い。


問題は彼の言い放った最後のひと言だ。


「日本史の授業で習ったか」だって?


僕は、彼の顔面偏差値だけでなく、模試の偏差値が高いことも知っていた。その彼が「追試王」と呼ばれる僕になぜ日本史のことを尋ねるのか?


悩んだ末に、僕は彼の質問の意図を汲み、自分の中でひとつの結論に達した。そして、質問に答える。


「……日清戦争や日露戦争は知っている。言葉としてならね。でも、確かに『日ソ事変』なんて習った記憶は無い。それって、もしかして……」


「そうだ、颯真の勉強不足とかは関係ない。僕らが学校で渡された日本史の教科書には書かれていないんだよ『日ソ事変』なんて言葉は。だから知らなくて当然なんだ。そしてさっき純一が話した満州の状況な、あれも俺の知っているものとはだいぶ異なる。つまりだ」


「「「誰かが歴史を変えている」」」


3人の声が重なった。


その声は僅かに震えていたが、ハリのある声であった。そして自分の出した結論がどうやら正しいということが分かり、冷や汗が出た。その結論が衝撃的なものだったからだ。


しかしながら、再び僕の脳裏に純一に尋ねた言葉が浮かぶ。


(歴史を変えているって、どういうこと?)


その答えは、今しがた出したばかりであった。しかし、それに理解が追いついてこなかった。それはそうだろう。歴史を変えるなどと言う概念は、これまでフィクションの中でしか見聞きしたことが無かったのだから。


(歴史を変えるって、誰が、何の目的で?歴史って変えちゃって良いものなの?変わったらどうなるの?)


ぐるぐると巡る思考。それは論理的に考えているというより、混乱に近いものだった。この「気持ち悪い」現実に向き合うのに、僕の精神はついて付いてこれなかった。


だがそんな僕の事情などお構いなしに、純一はさらっと、とんでもないことを言い放った。


「それでだ。僕はこの歴史の変化のどこかに、21世紀へ帰る手がかりがあると考えるんだ」


「なるほど21世紀へ帰……」


僕はそこまで言いかけて、やっと純一が言った言葉の意味を理解して声を出した。


「おいジュン今なんて!?」


帰れるっつったか?


21世紀に?


「考えてもみなよ。もし歴史を変えている人物が今もこの世界のどこかにいるとしたなら、そいつはタイムスリップする手段や条件を知っている可能性が高い。何ならタイムマシンを持っているかもね。と言うことはだ、そいつをとっ捕まえれば21世紀に戻る方法が見つかるんじゃないかな?そのためにも、今日までの歴史と明日からの歴史の変化をじっくり観察すれば、歴史を変えた張本人に合う手がかりが見つかるかもしれない」


僕が口をパクパクさせている間に一息でこう言い切った純一は「なんでそこに気づかないかな?」とでも言いたげな顔をしていた。その顔自体は殴りたいほど腹立たしいものであったが、それよりもその思考力に驚いて、空いた方が塞がらなかった。きっと僕は今、随分とバカな表情をしているに違いない。


「ジュン、天才かよ……」


「いや、天災だよ……一緒にタイムスリップしてきたのがまるで役に立たない君だってことがね」


「こいつ、文面でしか分からない煽り方しやがって……」


「ショートコントはもういいよ2人とも。それよかジュン、手がかりは掴めたか?」


男のプライドを踏み躙った不届き者との舌戦を「ショートコント」呼ばわりした快斗の発言は許し難いが、ひとまずこの場を納めてくれたのは助かった。確かに「それよか」手がかりを探す方が重要な事だからだ。無論、21世紀へ帰還するための。


目を細めて目線だけを右下に落とした純一が黙り込む。これは純一が真剣に考え事をするときの仕草だ。


純一は「これはまだ推論でしかないし、手がかりの一つに過ぎないんだが」と自分自身に言い聞かせるように前置きしてから、ゆっくりと話し始めた。


「歴史を変えた張本人は、ある目的のために行動していると推測できる。その目的は……」


───純一の言葉はそこで止まった。


なぜなら、基地全体にけたたましいサイレン音が鳴り響いたからだ。


「空襲警報だ!」


「敵襲か!?」


「くそっ、タイミングの悪い……!」


「颯真がバカで茶番ばかりしていたせいだ」


「うるせぇ!」


3人とも毒吐き、悔しい顔をして各々の持ち場に向かって走り出した。僕らの中身は21世紀生まれの高校生なので、本来、こんな大昔の空襲とは無関係なはずだが……しかし、身体は戦時下の軍人なのだ。敵が来た時に持ち場に付かないなどと言うことは絶対に許されない。


本当に理不尽なことだが、今日も今日とて、僕は戦場に行かねばならなかった。


僕と快斗は戦闘機乗りなので、自分の乗機に向かって走り出した。


ここは滑走路北端から少し離れた草地だ。ここから駐機場までは滑走路の南端近くまで走らなければならない。その距離1500メートルってところか。元陸上部の僕にとっても全力疾走はキツイ距離だ。重い飛行服と走りにくい革靴を着用して、4分半以内に辿り着ければ良い方だろうか?なにせ21世紀での日本人の1500メートル走最高記録は3分半を割っていないのだ。


しかしグズグズしてもいられない。北東の空には小さな黒点があった。きっと、あれが敵機だろう。


数分もすれば基地までかなり接近するはずだ。急がないと離陸中の無防備なところを襲撃される!そうなったら一発で御陀仏だ!


そんな事を考えて「マジで1500メートル走かよ……これ、間に合うか?」と呟いたとき、「颯真!」と純一が叫んだ。


「なんだ!?」


「死ぬなよ」


「……!そーゆーの、フラグだかんな!!」


3人の中で最も足の速い僕は2人を置き去りにして走り抜けた。




*戦闘機駐機場*


「おせぇぞ馬鹿野郎!」


「申し訳ありません!」


駐機場に辿り着くと、機体上から別の隊の先輩に怒鳴られたので反射的に謝罪した。「新入りのくせに、後で覚えてろよ」と拳を振り回す先輩を尻目に自分の機体に向けて走った。


「ただいま!」


結局、コンディションの悪い状況下の1500メートル走で何分何秒のタイムを出したのかは知らない。確かなのはクソ暑い飛行服の中が、汗でぐっしょりになっていることだけだ。


「お帰り坊ちゃん、起動準備、すぐに始めましょうや」


機体に飛び乗るや否や、この敷香基地で多くの機体整備班を監督する班長が冷やかしてきた。一応階級は自分の方が上なのだが、まあ新人であり年下でもあり、尚且つ軍人としての自覚など全くない僕に対してはこんな調子で接してくる人だ。


だが、そんなことはどうでも良い。とにかくエンジン起動準備だ!


「前はなれ!スイッチオフ、エナーシャ回せ!!」


手早く機内の計器類を確認するとエンジン起動手順に従った号令をかける。正規の手順ならば機体の外から各部を点検するのだが、敵がすぐそこまで来ているので省略する。それに班長達がキッチリ整備点検して起動準備も少しだけ進めてくれていたのでさっさと起動することにした。


なお、エナーシャというのは慣性起動機と呼ばれ、エンジン起動のために必要な装置だ。これに機体の外から「エナーシャハンドル」と呼ばれる二重に折れ曲がった棒を突っ込んでぐるぐる回し、一定以上の回転数にすると、クラッチに接続し、エンジン起動を可能にする。この飛行機は乗用車などと違い、運転者がエンジンキーを回すだけではエンジンを起動することはできない。複数の整備員の力を借りる必要があった。


エンジンに取り付いた整備員が汗だくになりながらエナーシャハンドルを回す姿を見ているとなんだこちらまで汗が出てくる気持ちだ。訓練で何度もエナーシャハンドルを回したが、あれはとにかく初動が重くて、2人掛かりでないとエンジン始動まで回し続けるのは難しい。やがてエナーシャ特有の甲高い回転音がうるさくなってくる頃合いに、僕は「そろそろ起動できるな」と判断し、大声でエンジン起動のための号令をかけた。


「コンターック!」


そう叫んだ僕はメインスイッチを「入」に切り替え、それと殆ど同時に整備員がエンジンから離れる。


「キューン」という音を立てながら機首のプロペラが回転し始めた。


それを確認したのちエンジンの推力で機体が動かぬよう、足元のブレーキペダルを踏みこむ。


そして燃料タンクからエンジンに送り込むガソリン量を調整できる「スロットルレバー」を押し込み、燃料を送り込んだ。


するとゆっくり回転していたプロペラが「ボッ、ボボッ、ボバババ!」と燃焼音を立てて高速回転し始めた。エンジンが起動だ。


しかしまあ、はっきり言ってこのエンジン、うるさい!


何しろこの九六艦戦が装備する「寿ことぶき」エンジンは最大600馬力を発揮できる。21世紀の軽自動車が約64馬力であることを考えると桁違いの馬力だから、そりゃあうるさくて当然なのかもしれないが。


最大出力を発揮した時なんか、すぐ目の前の人の声が聞き取れなくなるほどの爆音を発する。機体から少し離れた所で整備員同士が大きく口を開けて何かを話し合っているが、その会話の内容は全く聞こえなかった。


僕は彼らを横目にエンジン系統のチェックに移る。


「ピッチ調整……よし、油圧……よし、回転数……よし。燃料……よし。あとは暖機運転だが……」


暖機運転とは、自動車で言うところの「アイドリング」に相当するものである。ガソリンを燃料とするピストンエンジンは航空機用のものも自動車用のものも、基本的にエンジンを低回転状態で稼働させ、潤滑油じゅんかつゆというオイルを温めてエンジン各部の動きを安定的かつ確実なものにする必要がある。この前純一に聞いた話だと、21世紀の家庭用自動車は技術の発達でアイドリングをしなくともエンジン始動直後に発進できるようになったが、この時代のエンジンはそうではないらしい。この機体のマニュアルによれば、寿エンジンが動作確実になるまで必要な暖機運転時間は樺太で20分程度だという。


しかし今は緊急時である。暖機運転に時間をかけるかどうか悩んでいると、僕とほんの数分の差でエンジンを始動した機体が滑走路に向けて移動し、離陸しようとしている。本当はもっと時間をかけて暖機運転しないと最悪、離陸直後にエンジンが故障・停止して墜落なんてことになりかねないのだが──。


空を仰ぎ見れば、敵機は機体のシルエットがはっきりと見えるところまで接近していた。もはや悩んでいる暇はない。


「チョークはずせ!」


チョークとは、車輪止めのことだ。機体両脇で待機していた2人の整備員が「待ってました!」とばかりに機体を固定する左右車輪のチョークを外して機体から離れる。一度翼の下に潜り込んで見えなくなった2人が元気な顔で敬礼して機体から離れるのを確認すると、機体が動かないように踏んでいたブレーキ・ペダルを踏む力をゆるめた。


そのまま機体を滑走路まで移動させ、即座に離陸準備に入る。それと殆ど同時に僚機───自分の機体と編隊を組む仲間の機体───である快斗の戦闘機が勢いよく離陸していった。本当にもう時間がない。まずい!敵機がすぐそこまで来ている。あれは爆撃機といって爆弾を投下するための軍用機だ!このままでは離陸中の無防備なところに爆弾が───!


「うおおお間に合え!!」


そう叫んでブレーキペダルから脚を離し、エンジンスロットルを奥まで押し込んだ!するとエンジンが唸りを上げてプロペラを回し、機体が滑走路を滑り始める。


その直後だった。まっすぐこちらに向かっていた敵爆撃機が頭上を通り過ぎ、一瞬陽光が遮られ、視界が暗くなった。


そして、それは同時に起きた。


ズドンドンドンズドォォン!!


連続した爆発音と閃光。


間違いない、敵爆撃機が投下した複数の爆弾が基地内にて炸裂したのだ。


僕は自機を離陸させるために滑走している最中だったのでどこに落ちたのかまでは分からなかったが、かなり近くに落下したのは確かだった。轟音に続いて爆風が機体を襲い、滑走中の機体の針路が僅かにブレる。


「あっぶねーな!!殺す気か!?」


思わず、頭上の敵機にこう叫んでしまっていた。敵からしたら「その通りだよ」言われそうなものだが、その声はむなしくエンジンの轟音によってかき消されていった。


「おおっと!今度はこっちが危ねっ」


頭上に気を取られているうちに機体は滑走路の端近くにまで来ていた。このまま滑走路を飛び出したら転覆してしまう。急いで操縦桿を引き、機体を離陸させた。


(浮いたよ……ほんと、何で僕はコイツを操縦できるんだ?戦闘機に乗ったことなんかないのに……)


そんな疑問をよそに機体を緩やかに上昇させ、友軍機の機影に近づく。そこには編隊を組んで基地付近の上空を旋回する2機編隊があった。僕もそれに続く。


(快斗と、五十嵐一空曹の機か)


僕は目を細めて左前方を凝視する。そこには五十嵐熊雄一空曹の機体が飛んでいた。一空曹は快斗と僕が所属する隊の小隊長を務めている。つまりこの人は直属の上司であった。


一空曹は僕の方を向くと手信号で「アツマレ」の指示を出す。これに従い、僕は五十嵐小隊2番機の位置に遷移する。快斗は3番機の位置だ。これで、小隊3機からなる「編隊」の完成である。


五十嵐小隊は敷香基地を爆撃した敵機を追い、北西に向けて飛んだ。


その時、僕は快斗と目が合い、同時に後ろを振り返った。


爆撃を受けて随所から火災の発生する基地を見て、「死ぬなよ」と心の中で呟いた。


今日も僕たちは、戦場にいた。

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