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第10話 敵地侵入

*1938年6月19日 7:10 樺太北東約120海里洋上*


「第一次攻撃隊、発艦完了しました」


「うん、この荒波の中、みな良くやってくれた」


男は背を向けたまま航空参謀の報告を聞き、深く頷いた。


彼の名は塚原二四三。


第二航空戦隊の司令長官だ。


彼は最新鋭空母「蒼龍」艦橋にて、艦載機の発艦を見届けていたのである。


空母の発艦は地上からの離陸よりはるかに難しい。


航空機を離発艦させる空母の飛行甲板は地上の滑走路の数分の一ほどの長さしかない。


単純に甲板上を滑走しても航空機は発艦することができず、海に墜落してしまう。


そのため空母はその艦載機を発艦させる際には風上に向けて全速航行し、離陸のために必要な揚力を少しでも稼ぐ必要がある。


そのため空母は海軍艦艇の中でも快速の場合が多く、この空母「蒼龍」は最大34ノット──時速にして約63キロもの早さで洋上を突進することができた。


そんな速度で波を越えていけば当然、艦は上下に大きく揺さぶられる。そんな中で、タイミングを誤って空母から発艦した機体は海面に突っ込むことにもなりかねない。


今日の様な荒れた海での発艦では、更に難易度が高くなる。


この状況下、事故を起こさず空母から発艦をこなした彼らは、紛うことなく一流の搭乗員であった。


「比較的大柄な本艦はともかく……小ぶりな「龍驤」「鳳翔」からの発艦も良くやってくれました」


「これもわが、二航戦の猛訓練の賜物だな」


2人の視線の先には今にも転覆しそうな勢いで大浪を跨ぐ空母「龍驤」と「鳳翔」の艦影があった。


この2艦は「蒼龍」よりずっと小ぶりで飛行甲板が短く、発艦の難易度は「蒼龍」以上に高かった。


そのうえ「龍驤」は小さい艦体に可能な限り多くの航空機を搭載するために重心が高い(トップヘビー)という特徴があり、波を越える度に艦体が大きく上下してヒヤヒヤさせることも多々あった。


ともあれ、3空母の優秀な搭乗員たちは発艦を見事成し遂げ、攻撃目標に向けて飛び立っていったのである。


なお、現在の第二航空戦隊は塚原の乗る旗艦「蒼龍」と「龍驤」「鳳翔」ほか、多数の護衛艦艇から構成されていた。


○第二航空戦隊 司令長官:塚原ニ四三少将

空母「蒼龍」「龍驤」「鳳翔」

軽巡洋艦「五十鈴」「由良」「阿武隈」

駆逐艦「睦月」「如月」「弥生」「卯月」

空母艦載機:常用108機


この第二航空戦隊は、空母中心で編成された世界初の機動部隊である第一航空艦隊の所属である。


第一航空艦隊にはほかにも空母「赤城」「加賀」基幹の第一航空戦隊がおり、現在、両空母は改装・整備中のため本作戦には参加していない。


付属艦である軽巡3隻と駆逐艦4隻は大正時代に建造された老朽艦だが、近年の改装で対空兵装や爆雷──海中の敵潜水艦を制圧・撃沈するための兵装──を増備しており、空と海中の脅威から空母を守る能力が大幅に向上していた。


特に軽巡洋艦3隻には「防空艦」とも言うべき改装が行われ、12.7センチ高角砲6門、25ミリ機銃38門、13ミリ機銃8門という強力な対空兵装を備えている。


この3隻は第一航空戦隊配備の同型艦3隻と共に同等の改装を施され、第一航空艦隊の防空能力を大幅に向上させていた。


駆逐艦についても同様であり、睦月型と分類される12隻は主砲を2門下ろし、敵艦との交戦能力を犠牲にした代わりに25ミリ機銃と爆雷を増備する改修が施されている。


いずれも、敵の航空機や潜水艦が将来的に艦隊の脅威となることを見越しての改修であった。


こうした改装工事は、史実では随分後になってから実施されるものであるが、この世界ではなぜかそれが1938年時点で実現していた──。


「改装後の護衛艦たちも頼もしい限りです。これまでは、申し訳程度に老朽艦を護衛として与えられていただけでしたが……改装して見違えました。これから更に新型の直衛艦が配備される計画と聞きますし、非常に楽しみです」


「まったくだ。②・③計画の空母建造も進んでいると聞くし、本当に軍縮条約に批准しているのか疑いたくなるような羽振りの良さだな」


既に日本海軍は第三次海軍軍備補充計画──通称③計画と呼ばれる軍備計画に着手していたが、その内容は海軍軍備を制限した第二次ロンドン海軍軍縮条約下のものとは思えないほど大規模な計画であった。


完了間近の②計画ではこの空母「蒼龍」に加え、発展型の空母「飛龍」が横須賀にて建造中である。更に、将来的に空母改修予定の大型艦が続々と建造されており、これらが完成すれば第一航空艦隊が世界最強の空母艦隊になることは間違いなかった。


これは、既に極東方面の艦隊が全滅しているソ連海軍相手には過剰な戦力であった。


しかしこの世界で大日本帝国を運営している人間達は、これらが絶対に必要な軍備だと考えていた───。


「さあて、新編第二航空戦隊の初陣だ。頼むぞ攻撃隊」


攻撃隊は、攻撃目標である樺太北部のオハ空軍基地を目指し、西の空へと消えていった。




*同刻 北樺太 ソ連領上空*


敷香基地から発進した俺たち48機の攻撃隊は20分かけて編隊を組み上げ、敵基地に向けて進撃していた。


目指すは敵の中核基地、ゾナリノエ飛行場である。


直前の航空偵察により、同飛行場には無数の爆撃機がいることが判明している。俺たち攻撃隊の任務は、駐機中の敵爆撃機に加え、滑走路や燃料タンク等の重要設備を破壊することである。


ゾナリノエ飛行場だけでも戦爆合わせて100機ほどの敵機がおり、更に樺太全体では150機を超える敵機がいると考えられていた。


そんな所に敵の3分の1の戦力で攻め込みに行くのにはふたつの理由があった。


ひとつは、樺太国境陣地を守る地上軍を援護するためだ。


つい先日の戦闘で陸軍の山砲──山岳部で使用されるやや軽量な火砲──の小部隊が詰める八方山陣地がソ連軍の攻囲を受けて孤立しており、この救援のため、陸軍が前線戦力の過半を古屯要塞陣地より前進させるのだそうだ。


この際、長い一本道を進軍する地上部隊がソ連軍機の襲撃を受ける可能性が高く、事前に俺たちが敵基地を爆撃で叩いておこうというのである。


もうひとつは、霧の少ない今のうちに航空撃滅戦を行い、近い将来に実施予定の北樺太侵攻作戦の準備を行おうというのである。


そのため海軍は、基地航空隊おれたちの攻撃と同時に、空母による洋上からの攻撃も実施するのだという。


時間的には、既に樺太北方の沖合から日本の空母機動部隊が攻撃隊を発艦させている頃だろう。これらは、俺たちがゾナリノエ基地を空襲するのと同じタイミングで、樺太北部のオハ基地を空襲するのだそうだ。


敵の航空戦力はこのオハとゾナリノエに集中しており、本作戦で一気に叩いてしまおうというのである。


基地航空隊おれたちだけで敵を潰してこいと言われた時は、ただ死にに行くだけだと思ったが……機動部隊の援護があれば話は変わってくるな。この作戦、友軍との連携がうまくハマれば敵に痛い一撃を食らわせられるかもな」


それに加えて、この時代のソ連軍は対空警戒のためのレーダーを開発・実戦投入していないため、敵の警戒が緩ければ奇襲成功の可能性も充分にある。


今日みたいに雲量が多い日だと、肉眼で空を見張っている監視員も上空の飛行機の存在を見逃してしまう場合があるのだ。


既にソ連国境を突破して幾分と経つが、敵機の姿は一向に見えない。


ひょっとして、敵はこちらの攻撃に気づいておらず、この攻撃は一方的な奇襲で終えられるのではないだろうか?


俺はそんな期待を抱いた。


──答えは否である。


「うおおおおヤバいヤバいヤバい!!」


突如として雲の切れ間から降ってきたI-16の大群に、俺たち攻撃隊はほとんど奇襲を受ける形となっていた。


既に何機かの友軍機が、エンジンから火を吹いて地面に向けて墜落していった。


「島北先輩っ!」


たった今も、大ベテランの先輩の乗機が主翼をへし折られてクルクルと墜落していった。


「……ッ!」


脱出のパラシュートが開いたかどうか──確認できない内に、機体は地面に激突してしまった。


「また来た!」


仲間の死に感情的になる余裕もなく、上から降ってくる敵機を捉えて回避運動を繰り返す。


右フットバーを蹴り込み、上方からの銃撃を躱す。


「……こいつら、しつこい!」


続けて右に、左に操縦桿を振り続けるが、2機のI-16が交互に攻撃を繰り出してくるため回避するのが困難だった。


そのためコイツらの後ろに回り込んで射撃しようなどということは思いもよらず、俺はI-16の殺気を背後から感じ取る度に腕が千切れそうな勢いで操縦桿を振り続けた。


それでも自機を攻撃してきた敵機が自機の前方に躍り出ると「しめた」と思い、機銃の発射レバーに手をかけるが、度重なる回避機動でエネルギーを喪失してしまい、敵機を攻撃する機会を得ることなく、上昇離脱していくI-16に苦々しく睨んでいた。


敵機の動きはまさに、3日前の訓練でやった「一撃離脱戦法」そのものであった。


「颯真は、五十嵐さんはどこだ!?」


突然の奇襲で友軍機は散り散りとなっており、気づけば俺は孤立していた。


ちらほらと友軍機の姿は見かけるものの、尾翼に描かれた部隊番号を見る余裕もなく、また互いに援護をする余裕もなく、俺は敵の攻撃機動から逃れるので精一杯だった。


「颯真!どこだ!?こんな戦いで死ぬんじゃねぇぞ!俺たちは絶対に生きて帰るんだ!颯真!?」


敵機の奇襲から僅か数分。


既に攻撃隊の3割が撃墜されていた。

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