第9話 全力出撃
*西暦1938年6月16日14:05 敷香基地大講堂*
訓練を終えた俺たちは、基地で最大の収容人数を誇る大講堂に入っていた。
ここは先々月の空襲後に基地を復旧するついでに、旧倉庫を拡張して作られた建物だ。完成してまだ2週間と経っておらず、いくつかの窓にガラスが填められていなかったり照明が不足していたりと、急増建築の感が否めなかった。
それでも人数の増えた敷香基地の人間が集団で飯を食ったり、課業後にくつろぐいで一服するため、日常的に使われていた。
そんなくつろぎの場所を、いつしか俺たちは「食堂」と呼ぶようになっていた。
その「食堂」には現在、100人を超える搭乗員と基地司令らが整列しており、これから発動される作戦の説明と、部隊長による訓示を受けようとしていた。
「聞け!本作戦を指揮する門倉少佐である。この度、最前線の敷香基地にかくも大兵力が集まったのは他でもない。憎きソ連空軍の根拠地、ゾナリノエ飛行場を叩くためである!」
そう言われて俺は窓の外を見る。
そこには駐機場に並ぶ九六陸攻の姿があった。
敷香基地は昨年に完成したばかりの急造飛行場で、これまで本格的な飛行場がある大泊基地を守るための前進拠点としての位置付けでしかなかった。
しかし滑走路の幅と駐機場を拡張したことで中程度の戦力も運用できるようになり、内地から続々と増援がやって来たわけである。
48機もの友軍機がズラリと並ぶ光景は中々に頼もしいものであったが、同時にそれを見て身震いしていた。
なぜなら俺たちはこの友軍と共にソ連領へ越境し、敵基地に対して総攻撃を仕掛けようとしていたのだから。
「はっ!何が大兵力だ。敵はこちらの3倍、150機以上いるんだぞ」
「やめとけ颯真……あの少佐に聴こえたらその場で斬り殺されるぞ」
隣でポツリと呟いた颯真を膝で小突いて静止した。
幸い少佐は熱い演説タイムに突入しており、講堂の最後尾にいる俺たちの声が聞こえることはなさそうだったが、万が一という事がある。
見るからに血の気が多そうな門倉少佐に颯真の発言が聞こえたら、腰の軍刀でバッサリ斬られかねない。
颯真もそんなくだらないことで死ぬつもりは無いらしく、口をすぼませて納得していないという顔をしながらもすぐに黙り込んだ。
「……であるからして、19日未明に我が攻撃部隊は全力出撃、陸攻隊は敵基地および駐機中の敵機を猛撃撃破する!艦戦隊は陸攻を援護し、敵戦闘機を悉く叩き落としてもらいたい。諸君らの奮戦に期待するところ大である!……それでは飛行隊長および各小隊長はこのまま飛行計画の擦り合わせを行うので残ってくれ。それ以外の面々は作戦に向けて英気を養うように!解散!」
長ったらしい演説が終わると、俺たち下っ端は食堂から追い出されるように出て行った。
てっきり俺たちもこの後の打ち合わせに参加するものだと思っていたが、さすがにこの人数が集まって話し合いをするのは難しいようだ。
「快斗、時間もあるし、医務室に行くか」
「そうだな。ついでに小腹も空いたし、もなかでも頂戴しようぜ」
急に暇になってしまったため、俺たちは医務室にいるはずの純一の所へと向かった。最近は敵襲がなく怪我人が出ないため奴も暇なはずだ。ついでに小腹も空いた所なので、奴が隠し持っているはずの甘味を頂戴しに行くことにした。
食堂から出て滑走路脇を歩いていると、基地のはずれの柵越しにふたつの人影が見えた。ひとつは大人のもので、もうひとつは子供のものだった。
「どうかしましたかー!?」
その存在に気づいた颯真が躊躇なく大声で叫んだ。
すると人影は柵伝いにゆっくりと近づいて来る。
その正体は、この近隣の町に住んでいる母子であった。
「お仕事中にすみません、海軍さん。私、菅原憲一中尉の妻の安枝と申します。主人がつい先日、こちらに着任したと伺いました。もし可能でしたら、柵越しでも構いません、主人に合わせて頂けないでしょうか……?」
和服が良く似合う女性が申し訳なさそうにここへ来た理由を話してくれた。
どうやらこの母親は、最近ここにやってきた増援部隊の搭乗員のうちの1人のご夫人らしい。
間も無く出撃だという噂でも聞きつけ、綺麗な格好で中尉に会おうと思ったのだろうか。彼女はえらく気合の入った装いだった。またその子供──7、8歳くらいだろうか、男児の身だしなみは軍人の子としてどこに出しても恥ずかしくないものだった。
出撃前の最後の面会くらい自由にさせてあげたいと思ったが、許可なく軍事施設の中をこの母子にうろつかせる訳にもいかない。規則として、この様な来客がある場合は本人に知らせ、基地守備隊に面会許可を取る事になっている。
しかし俺たちはその中尉と面識がなく、取り次ぐことが出来なかった。なにしろ増援部隊は航空隊だけで80人以上、基地要員の増員も含めれば200人を超える人員が短期間に増えているのだ。その内のひとりの名前と階級を言われても分かるはずもなかった。
俺は、まず彼女に中尉の所属を問うことにした。
「ええと……申し訳ありません、私は中尉との面識がございません。失礼ですが、中尉の所属をお伺いしてもよろしいでしょうか?なにぶん、ここ1、2週間でかなりの人数がこの基地に集まって来ているものですから……」
「ええと主人は陸上攻撃機の搭乗員でして、確か今は……」
所属を記載したメモでもあるのだろうか、彼女は袖の下から紙を取り出して何かを確認しだした。
その時、背後に気配を感じた。
「701空第1小隊3番機の機長だよ。君たち、妻が迷惑をかけたね」
「!?」
振り返ると、いつの間にか背の高い男が背後にいた。
俺たちと同様に彼は飛行服を着ていたが、その臂章は中尉を示していた。
それに気づくや否や、慌てて敬礼する。
「はは、驚かせてすまない。私が菅原憲一中尉だ」
彼は爽やかな笑顔のまま答礼すると俺たちにそう言った。
彼は俺たちよりはるかに階級が高い立場であるにも関わらず、まったく高圧的な態度を見せることはない。言葉の端々に知性と品の良さを感じた。
(チンピラ、ゴロツキまがいの面子が多い敷香基地の連中とはえらい違いだな)
きっとええトコの坊ちゃんなのだろう──そんなことを考えながら、役目を終えた俺と颯真は中尉達から少し離れて3人を見守った。
「……だめじゃないか、他所の部隊の方に迷惑をかけちゃ。けれど、会えて嬉しいよ」
「ごめんない憲一さん、敷香に着任されたと聞いていて居ても立っても居られなくなってしまいました……ねぇ、大きくなった瀧も見てやってください、もうすぐ8つですのよ」
「そうか、もう立派な小学生じゃないか!瀧、元気にしてたか?」
「はい!父様が僕たちを守ってくれているので安心です!父様が空に上がっている間、上敷香と菅原家の守りはお任せください」
「おお~、言うようになったなぁ!」
「もう瀧ったら……」
それは、絵に描いた家族団らんの光景だった。
そして、俺たちがほんの2か月前まで21世紀で当然のものとして捉えていた家族との会話そのものだった。
「……行こうぜ颯真、邪魔になる」
「そうだな」
俺たちはその場を後にした。
邪魔になるというよりは、ただその光景を見るのが辛かったから。
*同日 19:24 敷香基地大講堂*
軍隊には「酒保」という売店があり、軍からの支給品では不足するもの、支給されないものを買い求めることができる。
酒やタバコ、菓子といった嗜好品に始まり、手拭いや髭剃りなどの衛生用品、シャツ・下着等衣類、家族に手紙を書くための文具まで置かれているというのだから、まるでコンビニである。
ただし、当然コンビニのように24時間営業ではなく、敷香基地の酒保は夕食後の自由時間に1時間程度、解放されるに留まる。
今日は19:00から「食堂」に酒保が開かれ、早速各航空隊の人間が我を競うように酒とツマミ、タバコを買いに行列を作った。
俺たち下っ端の搭乗員は小隊長や先輩の「パシリ」として酒保に買い物を命ぜられ、今しがた調達を終えて解放されたところであった。
既にどこの部隊もそのまま「食堂」にて酒盛りを始めており、アルコール臭と紫煙が充満していた。
お遣い任務から解放されたのもつかの間、俺たちは酒瓶やマッチを持って部隊ごとの「島」を行き来する。
今日は部隊間の交流のため、敷香基地の飛行隊は「島」を巡りながら内地からの部隊にお酌とタバコの火付けをするように言われていた。
「おっ、君たちは昼間の」
「あっ!先ほどは……」
流れるようにお酌を繰り返していたため気づかなかったが、声をかけられてハッとした。
酒を注いだ相手は昼間の菅原中尉だったのだ。
「お知り合いですか、中尉?」
横に座っていた男たちがこちらを見て言う。男たちは中尉より階級がずっと下でありながらも非常に近い距離感で話していた。どうやら彼らは同じ九六陸攻の搭乗員のようだ。
陸攻のように複数人が搭乗する機体で同じ機に乗る搭乗員は「ペア」と呼ばれる。墜落する時、すなわち死ぬときは同じであるとして、この「ペア」は非常に硬い絆で結ばれる。彼ら五人の「ペア」は、傍から見ても大変仲が良さそうだった。
「昼間に基地のはずれで家内と会ったんだがね、このふたりとはそこで居合せたんだ……ところで、君たちの所属と名前を聞いてなかったね。よかったら教えてくれないかい?」
またも爽やかな笑顔でそう言われたため、俺と颯真は立ち上がって敬礼し、所属と官姓名を名乗った。
「そうかぁ、君たち五十嵐サンの小隊か!実は私も五十嵐サンに飛行を教わったんだが……ここだけの話、あの人、かなり偏屈だし堅物で大変じゃない?君たち、ついていけてる?」
中尉がそう言うと、ペアの間でドっ、と笑いが起きた。
「ほら中尉、この子たち反応に困っちゃってますよ~」
「まあでも顔に書いてあるから言わんでも分かるがね!」
「あ、ほら五十嵐さんこっち見とるよ!早よ逃げぇ逃げぇ、だははは!」
うーむ酔っ払いオヤジ共のダル絡み、キツイ。こういう時に愛嬌振りまくのが上手な颯真はへらへらとお酌して気に入られているが、俺は早速相手にするのが面倒になっていた。
だがダル絡みタイムがこれ以上続かないようにしてくれたのか、急に中尉は真面目なトーンで話し出す。
「まあしかし……五十嵐サンは面倒見がいいのも事実だ。あの人、訓練では編隊飛行が苦手だった私につきっきりで指導してくれてね、短期間ですっかり上達したよ。第1小隊に配属されたのもそのおかげだと思っている。まぁ、まだ3番機ではあるがね……君たちも、五十嵐サンの言うことは聞いた方がいい。飛ぶことに関して、あの人は間違いがないからさ」
「はい」
「戦場では、きっと誰よりも頼りになる人だ。次の出撃で君たちと五十嵐サンが護衛してくれるなら、俺たちも安心という訳だ。戦闘になったら、俺たち陸攻乗りは重い爆弾ぶら下げて無防備なモンさ。I-16に狙われたらひとたまりも無い……桜木君、神楽君」
「はっ」
「俺たち5人の命は、君らに預ける。護衛を頼むよ」
そう言うと中尉は、その屈託のない笑顔でペアたちと楽しそうに話し始めた。
──そして迎えた3日後の早朝。
まだ太陽も登りきっていないうちに敷香基地の戦闘機と陸攻が次々と発進していく。
「帽ふれーーーっ!!」
基地に残る連中が総出で俺たちの出撃を帽ふれで見送っていた。
その上空には、既に多数の日本機が轟音を響かせながら旋回している。
その轟音の中心に、俺と颯真の九六艦戦があった。
この編隊が目指すは、ソ連のゾナリノエ空軍基地。
18機の陸攻がこれを爆撃するので、俺たちはその直掩──護衛の任に就く。
ふと、右下方で旋回中の陸攻編隊に目をやる。
それは701空第1小隊の編隊だった。
「命を預ける、か……」
小隊の3番機と思しき陸攻の操縦席を見つめながら、俺はそう呟いた。
暁に染まる朝雲を背に、48機の攻撃隊は北の空へと旅立ってゆく。
樺太方面の海軍航空隊が全力出撃した瞬間である。
今日も俺たちは、戦場にいた。




