6:5年後
あれから、アレンは昔よりも凛々しくなった。泣き言を言わないしっかりした男になった。
そして心身ともに大人になった彼は、いつの頃からか昔、城にいた踊り子の存在を口に出さなくなった。
それは本当に自然に。重力に逆らえず林檎が落ちるようにごく当たり前に、彼と側近のクロードとの間で彼女のことは話題に登らなくなった。
そして、5年後。
無事に王太子となったアレンは幼い頃からずっと彼を支えてきたという公爵令嬢と結婚した。
結婚式当日、花嫁はブルースターの花の刺繍が施されたヴェールを被り、ヴァージンロードを歩いたそうだ。
何でもそのヴェールは、アレンが『覚えていないけれど、とても大事なものだった気がする』と言ってずっと大切に保管していたものだったらしい。
クロードはあの日、昔の恋人のものかもしれないそれを嫌がることなくかぶる公爵令嬢に感心した事を、ふと思い出した。
「どうしました?」
「いや、明日晴れるかなと」
「確かに、何だか雲行きが怪しいですね」
どんよりとした空を眺めて、クロードは大きなため息をついた。
明日はアレンの大事な成婚パレードの日。できることなら、せめてこのまま雨が降らなければ良いのにと思う。
「……君はいつ結婚したっけ?」
「2年前ですけど……、それが何か?」
「俺もそろそろ身を固めるべきだろうか、と思ってな」
「また何か言われたんですか?」
「殿下もご結婚されたのだから、お前もそろそろ身を固めた方がいいと、とうとう陛下にまで言われてしまった」
クロードももういい歳だ。加えて見目がよく、そして王太子の側近という立場。昔から多くの縁談が来ているのに、なぜ見合いもしないのかと先日国王に不思議な顔をされたらしい。
国王のその発言には、部下も激しく同意した。
「もしや、どなたか想いを寄せる方がいらっしゃるのですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
そういうわけじゃないのに、ずっと何かが心に引っかかっている。何が大事なことを忘れている気がする。それがわからない限り、どうしても身を固める気にはなれない。
そう話された部下は怪訝な顔をした。
「なんか、よくわかんないです」
「俺も自分で言っててよくわからん」
クロードは前髪をかきあげると、椅子の背もたれに体を預け、天を仰いだ。天井に描かれた天使の絵と目が合う。
「天使なんざ、いるわけねーだろ」
「それ、王太子殿下の側近としては失言ですよ」
「そうだな……。はあ……」
「もしや、お疲れですか?」
「そうだな。少し疲れているのかも」
「ここ数日、明日のご成婚パレードのことであまり寝れてませんもんね」
部下は気分転換に外出してきたらどうかとクロードに提案した。
確かにここ数日まともに休んでいなかった彼はその言葉に甘えて、明日のパレードの下見も兼ねて城下へと出ることにした。
明日のパレードに向けて、城下の商店街は準備で賑わっていた。
警備の近衛隊も、街の人々も皆、王太子アレンの結婚を心の底から喜んでいるように見える。明日はきっと彼にとっても、国民にとっても大事な日となるだろう。
雲行きだけが心配だが、もし本当にこの国が天使の加護を持つのなら、きっと晴れるはずだ。
「さて、どうするかな」
クロードは石畳の道を周りを見渡しながら歩いた。
昔よく、アレンとこの道を歩いた気がする。
「製菓店にアクセサリーショップに仕立て屋……、今思うと女物の買い物が多かったな」
婚約者へのプレゼントを買いに行くのに付き合わされていたのだろうか。記憶が曖昧だが、何となくそんな気がする。
結局色々と歩き回ったクロードは、ここ数日執務室に缶詰状態の部下への差し入れに、菓子でも買うことに決めた。
「確かさっき良さげな店があったな……」
よく覚えていないが、とても美味しいケーキが置いてある店だった。
そのケーキを誰かと食べた気がする。そして、一緒に食べた相手が目を見開いて大絶賛していた気がする。
くるくると表情を変えて、どこがどう美味なのかを熱く語っていた。
「あれは誰だったっけ?」
アレンだろうか。
いや、でも女だった気がする。
ならば彼の婚約者だろうか。
でも彼女は甘いものが好きではない。
-----じゃあ一体、誰と?
クロードは悶々としながら踵を返した。
すると、来た道を戻って細い路地を二つ過ぎたころ。ぼーっとしていたせいか、目ぶかに外套のフードを被った少女とぶつかってしまった。
小柄な少女はその反動で尻餅をつく。
「す、すみません! 大丈夫ですか?」
クロードは転んでしまった少女に慌てて手を差し伸べた。そして、少女が自分の手を取ったことを確認すると、グッと力任せに彼女を立ち上がらせた。
「……ありがとうございます」
少女はフードを取り、深々と頭を下げた。
フードの中から姿を表したのは混じり気のない真っ白な髪だった。
この国では珍しい、白く長い髪がそよ風に揺れる。彼女はそれを少し煩わしそうに耳にかけた。
その仕草は見た目の年齢に似合わずどこか大人の色気があった。
「……あれ?」
どこかで見たことがある気がする。クロードは首を傾げた。
その空間だけ時が止まったように、ジッと互いを見つめ合うクロードと白髪の少女。
-------耳鳴りがする。頭が割れそうに痛い。
苦しそうに頭を押さえて顔を歪める彼に、少女はフッと切なげな笑みをこぼした。
「さようなら」
彼女は小さく消え入りそうな声で別れを告げると、クロードの横を通り過ぎた。
ふわりと風に靡く、長い艶のある白髪が何故だか懐かしい。
「待って!」
クロードは痛む頭を押さえながら、通り過ぎようとする彼女の手を掴んだ。
「名前、聞いてもいいか?」
「ナンパならお断りです」
「違う。どちらかと言えば求婚したい気分だ」
「初対面なのに?」
「初対面? それも多分違う」
「ではやはり、新手のナンパね。もしかして前世の恋人かしら」
「前世? それも違うな。5年前だ」
ずっと何かが心に引っかかっている。
何かとても大事なことを忘れている気がする。
その感覚は正しかった。
クロードはこちらに背を向けたままの彼女の名を紡ぐ。
「イヴ」
イヴと呼ばれた少女は振り向く事なく、俯いて肩を震わせた。
振り出しそうでなかなか降らない雲のはずなのに、その場所の石畳だけ、何故か水玉模様に濡れていた。
「どうして姿形が変わらないのかとか、色々と聞きたい事は山ほどあるんだけどさ、とりあえず俺は約束を果たしたと思うんだ」
「……」
「イヴは約束を覚えているか? もし覚えていないのなら、もう一度言おうか?」
「……」
「ねえ、イヴ。好きだよ」
5年後も同じことが言えたら自分を受け入れてくれる約束だっただろ、とクロードはイヴの顔を覗き込んだ。
そして、目から大粒の涙を流す彼女に少しギョッとする。
「何で? どうして覚えているの?」
どれだけ尽くそうと、仲良くなろうと、皆んな自分のことを忘れる。
世界はそういう風にできているのだと、イヴは涙を拭った。
「ごめん。本当は今のいままで忘れてた」
「何それ、覚えてだとは言わないじゃん」
「でも思い出したからセーフだ」
「ふふっ。ギリギリね」
顔を上げ、花のように微笑んだイヴはとても嬉しそうだった。
クロードはそんな彼女を抱き寄せて、腕の中に閉じ込めた。
「約束は?」
「何の?」
「とぼけるな。俺はちゃんとあの時と同じで、本気で好きだと言ってる」
受け入れてくれるかと、クロードはイヴの耳元で囁いた。
イヴは顔を上げると、少しだけ背伸びをして彼の唇にかぶりつく。
照れ隠しのような口付けに、クロードは目を細めた。
「キス、下手になった?」
「そうかも」
「ではお兄さんが教えてあげよう」
「言い回しに老いを感じるわ」
「それはやめてくれ」
クロードはイヴの手を引くと、そのまま自宅へと連れて帰った。
その後、気分転換に出たはずの彼が、なかなか返って来ないことで一波乱あったのは言うまでもない。