5:祝福の舞
「アレンに手紙を書いても良い?」
荷造りを終え、寝室に戻ったイヴは机の引き出しをから便箋を取り出し、クロードに見せた。
「わかった。渡しておくよ」
イヴはクロードからの了承を得て、筆を取る。
突然いなくなったことへの謝罪とか、飲み屋で口説かれても簡単に持ち帰ってはダメだとか、服のセンスはあまり良くないから婚約者にドレスを送るときは他の人に相談するようにとか、伝えたいことは山ほどあるのに手が震えて筆が進まない。
結局、『どうか幸せになってほしい』『ずっとあなたを見守っている』という旨だけを書いて、イヴは封を閉じ、手紙を机の上に置いた。
ブルースターの刺繍が入ったヴェールとともに。
「ヴェール、置いて行っていいのか?」
「……これは覚えていて欲しいという私のわがままよ」
「アレン殿下は絶対に忘れないよ」
「だと良いんだけど」
「どうしてそう簡単に忘れると思うんだよ」
「だって、多くの場合がそうだもの。みんなすぐに忘れるわ。流浪の踊り子なんて」
「殿下にとっても俺にとっても、イヴは特別だ。ただの踊り子じゃない」
「ふふっ、ありがとう」
「イヴ。俺は忘れない。イヴと過ごした時間は宝物だ。絶対に忘れないから」
『馬鹿にするな』とクロードは怒る。
ムキになってジッと自分を見つめるクロードに、イヴはかわいい、と小さく呟いた。
「じゃあ5年後、もう一度私はここに戻ってくるわ」
「ああ。わかった。待ってる」
「だから、もし私のことを覚えていたら、その時は私の名前を呼んでね?」
物悲しげな目をして、ほとんど諦めているような言い方でイヴは願った。
*
小さなトランクを抱えたイヴは人払いされた裏門で立ち止まった。
「あなたに祝福をあげる」
「祝福?」
「とても特別なものよ。王族以外では初めてかも」
「……なんの話?」
天使の存在など信じていないクロードは、怪訝の顔をした。だがイヴは何も言わず、彼を近くのベンチに座らせた。
「あなたの人生が笑顔で溢れていますように」
そう言ってクロードの額にキスを落とすと、イヴはスカートを翻すし、月を背に静かに舞った。
イヴが腕を上げるたびに、大きく広がった袖が風に靡く。その姿は彼女の背に天使の羽でも生えたかのようで、儚くも美しい。
それは今まで見てきたものとは少し違う、とても穏やかで優しさに溢れた舞だった。
クロードはその舞に、自分たちと出会えたことへの感謝と、自分たちのこれからの人生が幸せなものであるようにという願いが込められているような気がした。
「お粗末様でした」
お決まりの最後のターンを華麗に決め、イヴはそのままクロードに背を向けた。そしてゆっくりと深呼吸すると、くるりと振り返った。
「じゃあね、クロード」
「……」
「また、ね」
「……イヴ」
今にも泣き出しそうな顔で笑うイヴ。
クロードは堪らなくなり、彼女に駆け寄るとギュッと強く抱きしめた。
「約束だぞ。5年後」
「ええ、5年後」
「俺は絶対に忘れないから」
「……ありがとう」
忘れない。その言葉を信用していないのがバレたのか、クロードは何度も何度も『忘れないから、約束だ』と繰り返した。
イヴは彼の背中に手を回し、『信じている』と返した。
「クロード。もう行かなくちゃ」
「ああ、そうだな」
「ねえ、最後にひとつだけお願いがあるの」
「何でも叶えてやる」
「じゃあ、もう一度だけ、キスをして?」
イヴはクロードの腕の中で小さな声でそうお願いした。クロードから見える彼女の耳は真っ赤に染まっていた。
クロードは抱きしめていた腕を解くと、イヴの目線まで屈み、その白磁の頬に手を添えた。
そして親指の腹で彼女の血色の良い唇をなぞると、そっと優しく口付けた。
触れるだけのキスが余計に恥ずかしい。
「……これでいい?」
「……いい」
「続きは5年後な?」
「……期待しておくわ」
イヴはクロードの熱い眼差しに耐えられなくなり、地面に視線を落としたまま、彼に背を向けた。そして地面を軽く蹴り上げて走り出す。
「さようなら、クロード」
「ああ。またな」
イヴはそのまま振り返ることなく、軽やかに走り去った。
クロードは彼女が見えなくなるまで、その背中を眺め続けた。
翌朝、イヴが出て行ったことを聞かされたアレンは、彼女が過ごした部屋で彼女のヴェールを抱きしめて泣き崩れた。