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4:さよならの日

 次の日の夜。クロードは一人でイヴの元へとやってきた。

 どことなく暗い顔をしている彼に、イヴは気持ちを落ち着かせる効果のあるお茶を出す。


「イヴ……」

「なに?」

「アレン殿下も今年で18になられる」

「そうね」

「聡い君のことだ。もうわかっていると思うが……」


 クロードは顔を伏せ、手元をいじる。その先の言葉がどうしても出てこない。

 イヴはそんな彼の姿にフッと乾いた笑みをこぼした。


「出ていけと言うのね」

「すまない……」


 消え入りそうな声でクロードは謝罪した。

 アレンも今年で18。このままいけばそろそろ立太子される年齢だ。いつまでも素性の知れない踊り子をそばに置いておくわけにもいかない。


「アレンは知ってるの? 私が出ていかねばならないこと」

「アレン殿下は君をどうにかして留めて置けないかと考えていらっしゃる」

「なるほど、それで主人に黙って一人でここまで来たのね」


 クロードが一人でイヴの元に来ることはほとんどない。

 今夜、今すぐここから出て行けということだろう。

 傍から見ればひどい話だが当然のことだ。相手は一国の王子なのだから。

 アレンはこの国を受け継ぐ者として、いつまでも流浪の踊り子に縋っていてはいけない。


 もういい加減、終わりにしなければなならない。


「婚約者は決まってるの?」

「宰相の娘だ。次の殿下の誕生日に発表されるだろう」

「あの方なら安心だわ。しっかりしていらっしゃると噂だものね」


 かのご令嬢はアレンとは幼馴染でよく知った仲だ。少し気が強いらしいが、そういう部分もアレンの伴侶としては必要だろう。

 きっと甘えん坊なアレンのケツを引っ叩いてくれる人だとイヴは笑う。アレンを小馬鹿にしたような言い方だったが、その目はとても母のような、もしくは姉のような、とても優しいものだった。


「アレン殿下はあのご令嬢は小言が多いと嫌がっていたけどな」

「あら、それならきっとお似合いだわ。アレンは多少尻に敷かれているくらいが丁度良いはずだもの」

「確かに」


 男は女房の尻に敷かれているくらいがちょど良いと父も言っていた、とクロードは笑う。


「あ、忘れてた」


 クロードはふと、思い出したように胸の内ポケットから茶色の巾着を取り出した。

 そして、『陛下から』と言ってその巾着をイヴに手渡す。


「……手切金かしら」

「まあ……、そんなところだ……」


 イヴの手のひらに乗せられた巾着はチャリンと重い音がした。

 中に詰まっていた金貨は、多分、向こう4、5年は遊んで暮らせるくらいの額だった。


「……前はこんな事しなかったくせに」


 イヴは自嘲するような口調でポツリと呟く。その呟きが聞こえてしまったクロードは首を傾げた。


「前?」

「以前もどこかのお貴族様に囲われていたことがあるのだけど、その時はある日突然、体一つで追い出されたなぁって思い出しただけよ」

「そうか……」


 色がない美しい流浪の踊り子。珍しい容姿の彼女を愛人にと欲しがる男がいても不思議ではない。きっと自分には計り知れないほどの苦労があったのだろうと、クロードは同情した。

 少し悲しそうな表情をしている彼に向かって、イヴは気にするなと笑う。そして荷造りしてくると言って、部屋を出た。

 クロードは衣装部屋へと向かう彼女を追う。


「貰った服とかはどうすれば良い?」

「好きに持っていけだって」

「そう。じゃあ、ありがたく頂くわ」


 イヴは一着一着、吟味しながらトランクに服を詰め込む。それらはアレンが街に出た時、『イヴに似合うと思って』と買ってきたものだ。

 時折、そんなことを思い出しているかのように愛おしそうに微笑むイヴ。扉にもたれかかり、荷造りする彼女を眺めていたクロードは徐に口を開いた。


「君は、悲しくはないのか?」

「どうしてそう思うの?」

「君はアレン殿下のことを好いていたから、ずっと軟禁生活を受け入れてくれていたのではないのか?」


 アレン達は自由が似合う彼女から自由を奪い、この部屋の中だけの生活を2年も強要してきた。

 そして彼らは自分の都合だけで会いにくる。

 必要なものは買い与えたし、イヴは特に嫌がる素振りも見せていなかったが、第三者が見れば彼女のここでの生活はまるでペット扱いだ。事実、クロード自身もそう思う。

 王侯貴族では良くあることだが、イヴへの対応は善良なアレンには珍しく、非人道的なものだったとも言える。

 だが、そんな扱いを受けながらも彼女は逃げなかった。

 クロードは一度、逃げるのなら手助けをすると言ったが、その時のイヴはこう答えていた。

 

--------アレンは大事な人だから、自分が必要なくなる日までそばにいて支えたい、と。



「あれって、つまりは殿下が好きってことだろ?」


 そうじゃなきゃ納得できないとでも言うような口調に、イヴはプッと吹き出した。


「やだ、違うわよ。アレンは弟……、いや、むしろ息子みたいなものね。大体いくつ歳が離れてると思ってるの?」

「いくつって、せいぜい3つか4つくらいだろう?」


 イヴの容姿からすれば、年上だとしてもせいぜい20かそこらだ。その程度の歳の差ならそこまで気にすることはない

 しかし、イヴは天井を指さして全然違うと笑う。


「もっとよ」

「え?」

「もっと上」

「……イヴは一体いくつなんだ?」


 何度聞いてもそれだけは教えてくれなかった。年齢不詳の謎の踊り子。

 怪訝な顔をするクロードに、イヴは彼の唇に人差し指を当てて妖艶に微笑んで見せる。


「ひみつ」


 その仕草に、クロードは体内に流れる血が沸騰するのを感じた。


「……ここを出た後、行くあてはあるのか?」

「んー、特にはないかな。また適当に踊って食い繋ぐわ」

「もしイヴさえよければ、俺のところに来ないか?」


 イヴはクロードからの意外な申し出に、その赤い瞳がこぼれ落ちそうなくらいに大きく目を見開いた。


「意外だわ、心配してくれているの?」

「……なんでそんなに驚くんだよ」

「だって、クロードには嫌われていると思っていたから」


 彼はイヴが舞を踊るたびに険しい顔で彼女を見ていた。きっと主人を誑かした悪女とでも思っているのだろうと、そう思っていたのに。


「そんな事ない!」


 クロードは強い口調でイヴの見解を否定した。


「君の舞は……その……、俺には刺激が強すぎただけなんだ」


 アレンのように、全てを曝け出して身を預けたくなる。  

 自分の情けない部分も弱い部分も、全部受け入れて欲しくなる。

 それがどうしようもなく怖かっただけ。


「でも、イヴが俺の前からいなくなるのは……、多分耐えられない」


 いずれこんな日が来るとわかっていたけれど、それでも心のどこかで、イヴはずっとここにいてくれるんじゃないかとも思っていた。出て行けと言われても拒否してくれると思っていた。

 

いや、そう思いたかったのかもしれない。

 今、彼はどうしようもなく胸が苦しい。


(ああ、そうか……)


アレンだけじゃない。いつの間にかクロードまでもが彼女に魅了されていたのだ。


「イヴ……」

「なぁに?」

「……俺、イヴのこと好きなのかもしれない」


 気恥ずかしそうに目を逸らせて、クロードはボソッと呟くように告白した。

 イヴはぶっきらぼうな彼からの告白にクスクスと笑い、肩を震わせる。


「それって愛の告白?」

「それ以外に何があるんだよ」


 自分の告白を笑われたクロードは不服そうに口を尖らせる。


「だって、『かもしれない』って」

「いや、それは……」


 まごまごする彼に、イヴはまた小さく笑った。


「悪いけど、聞かなかったことにするわ」


 イヴはクロードの方を見ずに、明確に拒絶の意を示す。そして何食わぬ顔で荷造りを進める。

 クロードはそんな彼女の態度に顔を顰めた。


「それはつまり、俺の告白を無かったことにする、ということか」

「そういうことよ」

「かもしれない、なんて言ったからか?」

「そういうわけじゃないわ。でも聞かなかったことにする」

「どうして? これでも結構本気なんだが」

「貴方のその感情は錯覚よ」

「そんなことはない」

「そんな事しかないわ」

「それは君が決めることじゃないだろう」


 自分の気持ちを否定されたクロードは静かに憤る。

 イヴはふぅ、と息を吐いた。


「貴方は私の魔法にかかっているだけよ」

「魔法?何を言って……」


そんな非現実的なものあるわけがない。

 荷造りの手を止めて自分の前に立つ彼女に、クロードは苛立ったたように言い放つ。


「そういう誤魔化し方はやめてくれないか?」

「冗談ではないわ。私の舞にはおまじないの効果があってね、見た人に幸運をあたえるものなんだけど、その副作用としてみんな私に親愛の情を持つの。だから、貴方の私に対する感情も所詮は作られたもの。つまりは偽物よ」


 貼り付けたような笑みを浮かべて、唐突に突拍子もないことを言い出すイヴ。

 クロードはそんなあり得ないバカみたい話で、自分の好意をなかったことにするイヴをキッと睨みつけた。


「……バカにしているのか」


 低く重い声が部屋に響く。


「バカにしていないわ。本当のことだもの」

「俺の気持ちに応えられないのなら素直にそう言えば良いだろう」

「貴方が本気で言ってくれていると思ったから正直に応えたのよ」


 イヴはそう言ってクロードの胸ぐらを掴み、強引に自分の方へと引っ張ると勢いに任せて口付けた。

 クロードは一瞬驚いたように目を見開き、そして次の瞬間には苦しそうに顔を歪める。


(意味がわからない……)


 元々つかみどころのない女性だったが、好意に応えるつもりなんてないくせに、自分から口付けてくるなんて意味がわからない。


「貴方が私を好きだと言うのなら、どうか私を忘れないでいてほしいと、そう強く願うわ」


 唇を離したイヴは今にも泣き出しそうな顔をした。

 クロードは反射的に彼女の後頭部を掴むと、深く口付けを返した。

 甘く、けれども苦い味がする。

 しばらくして唇を離したクロードは、「はぁー」と大きく息を吐くと力任せにイヴを抱きしめた。


「何?どういうこと?」

「私の気持ちは本物だけど、貴方の気持ちは偽物なの」

「ちょっと意味がわからないんだが。何? 俺のこと好きなのか?」

「私は好きだけど、貴方は私のこと好きじゃない」

「好きだって言ってるだろう。俺の気持ちだって本物だ」

「……じゃあ、5年後同じことが言えたら貴方を受け入れてあげる」


 イヴはクロードから少し体を離して、真剣な眼差しでジッと彼を見つめた。

 クロードは彼女のその言葉の意味がわからなかったが、「余裕だ」ともう一度口付けた。


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