2:イヴの舞
アレンとイヴとの出会いは今から2年前まで遡る。
蛮族とのいざこざが絶えない南東の王国領の領主補佐を任されたアレンが、その重圧に耐えかねて任命式前日に城下へ逃亡した夜のこと。逃げ込んだ酒場で出会ったのが、流浪の踊り子として舞を披露していたのがイヴだった。
当時から立派な王子になろうと常に周囲の目を気にして生きていた彼は、上辺だけの自分が褒めそやされて評価されることに苦痛を感じていたらしい。そんな時に、自分の情けないところも弱いところも全部を丸ごと包み込んでくれるようなイヴの優しい舞に出会い、強く心惹かれてしまったのだ。
その後、酒場でしばらく話した彼らは意気投合。
そして、『気に入ったのならそばに置いてみる?』と言うイヴの冗談を間に受けたアレンが、そのまま王宮にお持ち帰りしてしまったという流れである。
逃亡した主人が流浪の踊り子を抱えて帰ってきた姿を見た時、クロードはそろそろ職を辞そうかと本気で考えた。
アレンはその後すぐに、父王にイヴを王宮で囲いたいと相談した。
王はイヴの姿に少し驚いたような表情を見せたものの、今までわがまま一つ言わなかった可愛い息子が珍しく欲しがったものだからと、父王は『公にはしないこと』と『決して妃にはしないこと』を条件に王宮の一角を与えた。
幸いにも、イヴは身の回りのことは自分でできるため、必要なものは定期的にクロードに届けさせる事で事足りており、イヴの存在は国王とアレン、クロード以外には知られていない。
ちなみにこの時、立太子前の王子が得体の知れない流浪の踊り子を囲う事に反対しない国王を見て、クロードが退職願を書いたのは言うまでもない。
「イヴ。舞を見せて」
「やだ」
「見たら頑張れるから」
「い、や!」
「お願いだよおおおお!」
「アレン、煩いっ!」
ゴチンと鈍い音が部屋に響く。
自分の腕の中で叫ぶアレンにイヴは頭突きをして黙らせたのだ。アレンは先程壁にぶつけたところを的確に攻撃してくるイヴに抗議の視線を向ける。
「いたい。イヴが優しくない」
「私が貴方に優しくしたことなんてある?」
「……ない」
「でしょう? さ、早くお部屋に帰りなさいな。お坊ちゃん」
そう言って唇の端をあげたイヴの表情は、高級娼館の最高級娼婦より妖艶な大人の女性のものだった。
(年齢不詳……)
クロードはジッとイヴを見つめた。こいつはいくつなのだろうか、と。
イヴは見た目こそ16歳前後のあどけなさを残す少女だが、中身はアレンよりもずっと大人だ。
少なくとも彼女にしがみついて、やだやだと駄々をこねる王子様よりは数倍は大人である。
(そろそろここから出してやるべきだと思うんだがなぁ……)
イヴは永遠にここにいるわけじゃない。
でも、もし彼女の年齢が結婚適齢期ならば、今のこの時期に城に閉じ込めておくのは酷だ。
しかし何も考えていないのか、アレンはその辺のことをわかっていない。
「はぁー……」
「何よ、クロード。ため息ついたら幸せ逃げるのよ」
「イヴ。ここはスパッと踊ったほうが早く終わるぞ」
「それはクロードが早く休みたいだけでしょう?」
「そうとも言う」
「そうとしか言わないじゃない」
クロードの「早く帰りたい」という視線に負けたのか、イヴはまた「仕方がないなぁ」と小さく息を吐くと、椅子を引いてそこにアレンを座らせた。
そして純白のワンピースの上に金糸でブルースターの花の刺繍が施してある白いストールを羽織り、同じくブルースターの柄の入ったヴェールをかぶると、アレンの前に跪き頭を垂れた。
「アレン。明日の貴方が頑張れますように」
イヴはそう言うと顔を上げ、ヴェールを捲る。
彼女がクルクルと回るたびにスカートの裾は朝顔の花のように広がり、ストールは蝶が舞うようにひらひらと靡く。
アレンは感嘆の息を漏らした。
指先まで全神経を集中させたイヴの舞は繊細で美しく、けれど儚さとは程遠いほど暴力的で、力強く…、見るもの全てを惹きつける。
彼女の舞は見る者の心情によって、鼓舞しているようにも見えれば、叱責しているようにも見える不思議なもの。
アレンは良く、この舞を自分の心を映し出す鏡だと言う。
(まただ……)
アレンがうっとりとした表情で彼女の舞を眺めている横で、クロードは険しい顔をした。
アレンはこの不思議な舞に魅せられたらしいが、クロードは舞っている時のイヴがどうも苦手だ。
全てを見透かしているような深紅の瞳が自分を映す瞬間、心の中を覗かれたような感覚になる。
王子としては優秀だが人の良いアレンのため、黒いことも沢山やってきたクロード。それが側近として求められていることだと思うし、アレンのためならば汚れることも苦ではない。後悔もしていない。
だが、イヴの舞の前では、見られたくない内側の汚い部分まで全部曝け出して許しを乞いたくなる。
(見たくないのに……)
目が合えばもう最後。視線を逸らすことを許してはくれない。
最後にくるりと華麗にターンを決めたイヴは、スカートを摘み、頭を下げた。
「お粗末様でした」
彼女がそう言うと、アレンは立ち上がって拍手した。
「流石はイヴだ。すごいよ! やはりイヴの舞は他とは全然違う。がんばれって、お前ならできるって背中を押してくれる」
「そう? 元気が出たならよかったわ」
イヴはニコッと微笑むと、アレンの手を引いて扉前へと誘導する。そして、扉を開けて無言で退室を促した。
「僕はもう少し余韻に浸りたいんだけど……」
「私はもう眠いの。元気出たなら帰って」
本気でちょっと怒っているイヴの眼力に負けて、アレンは渋々部屋を出た。
*
帰り際、クロードはアレンに手を振るイヴに耳打ちする。
「イヴ。明日の夜、時間をくれないか?」
いつになく真剣な彼のその表情に、イヴは寂しげな目をして微笑んだ。
「わかった。待ってる」
「悪いな」
「いつもは悪いなんて言わないくせに、謝らないでよ。気持ち悪い」
舌を出しておどけて見せる彼女にクロードは悲痛な表情を浮かべた。
「おやすみ、クロード」
「おやすみ……、イヴ……」
イヴはクロードの背中を押し、外に追い出すとゆっくりと扉を閉める。
「案外、早かったな……」
ああ、もう終わりの時間がすぐそこまできているようだ。