3 転落
「教会に人が押しかけてクーデターを起こそうとしています」
その言葉を聞いても全く状況が飲み込めない僕とは対照的に、ヤカミちゃんは「やっぱりか」と言わんばかりの気難しい顔をしている。もともとクーデターが起きそうな予兆があったのだろうか。
「ヤカミちゃんはなにか知っていたの?」
「ええ、まあ。ムヂさんたちが魔王を倒してくれたわけでしょう? そうすると、これからは魔物が湧かなくなる。しかし、傭兵や国の兵士たちはお金を稼ぐために今まで通り魔物を倒し続ける。すると、魔物が、特に弱い魔物がいなくなるのは想像に難くない」
「ああ、それで食い扶持のなくなった兵士さんたちがご立腹だということか」
魔王を倒すということは何も良いことばかりではないらしい。今まで魔物と人々で均衡を保って生活をしていたのに、それをぶち壊してしまったら生活できなくなる人が出てくるのは必至だろう。
「もちろん、それもあるわね。しかし、うちは反魔教の宗教国でしょう? 信じることで魔物から逃れらるという教えなのに、魔物がいなくなっては元も子もない。すべての民の信仰心がダダ下がり状態というわけよ」
国王ではなくて教皇と呼ばれていたのはそういうことだったのか。
「それで、巷では宗教を抜けようとする者たちや、税を納めようとしない者たちが増えているの。まあ魔物に対する防衛費を集める名目で税を徴収していたのだから当然のことね」
「どうして今までそのことを教えてくれなかったの?」
「ムヂさんに言って何か問題が解決するかしら? 私はそうは思わない。別に能力がないと言っているわけではなくて、立場上何もできないと言っているの。あなたが傷ついて悶々とするだけならば、言う必要はないと思うわ」
付け入る隙もない考えだった。僕が魔王を倒したということは揺るぎない事実らしいし、聞いたところで何もできない。
「しかし、式はどうしようか?」
「もちろん、するわ」
「へ?」
どうやら僕のお嫁さんはクーデターごときには屈しないらしい。
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「魔王を倒し多くの民の命を守った勇者の血を引くムヂよ。貴殿にこの国最高の称号、神の子『トロ』を与える」
教会に集まっていたデモ隊は国の兵士たちで何とか押さえつけて、式は予定通り進んでいる。結婚式と同時に様々な式も行うらしい。なんだか生臭そうな称号をいただいた。
教会の前に作られた舞台の上で多くの国民に見守られながら式を行っているのだが、穏やかな雰囲気ではない。ヤカミに国民感情を聞いたせいか、皆、自分の陰口を叩いているのではないだろうか?と勘ぐってしまう。
「ドスッ」
足元に短刀が刺さった。どうやら観客の誰かに投げられたらしい。がやがやしていた舞台周りが一気に静まり返った。
「おまえのせいで…お前のせいで、俺みたいな雑魚兵士に倒せる魔物はもういなくなっちまった! 俺しか稼ぎ口のいない俺の家族の生活はどうしてくれんだよ!」
どうやら短刀を投げた犯人が自分から名乗り出たらしい。そいつはすぐに兵士に回収されていったものの、彼の起こしたアクションは民衆の態度に大きく影響を与えた。皆、周りの目も憚らず僕のこと、ひいては国に対しての愚痴を言い始めた。
一度ついた火種はあっという間に全体に広がり、その勢いはどんどん激しくなっていく。興奮して大声を出す者や、舞台に上がりだす者まで現れ始めた。
「やっぱ魔物がいた方がいいんじゃね? てか、反魔教って唯一神なのに神の子とかおかしくだろ。神の子は神じゃないのかよ!」
「「「わははははははははは」」」
舞台に上がった青年の突っ込みに民衆が爆笑の渦に巻き込まれる。確かに指摘したことは矛盾していた。しかし、このままでは民衆が暴徒化してしまう。
国の権威が危ぶまれるのはもちろんのこと、僕自身の命も危ない。鼓動がどんどん速くなり顔が熱くなってきた。
早く判断しなくてはならない。僕にとっての最適解は何か。僕の目的のためには何をすべきか。今になって気づく、僕の異世界生活の目標は何だろうと。どうして今までたくさん時間があったのに考えていなかったのだ。指針を持っていないからとっさの判断ができない。そういえば小説の異世界転生者はみな崇高な目標を持っていた。ここは一旦引き下がるべきなのか…
「黙りなさい」
フリルのたくさんついた純白のドレスに包まれたヤカミちゃんが良く響く声で怒鳴る。顔には化粧を施していつもよりも幾分大人びて見える。
「あなたたち、魔物に襲われた人たちに向かっても同じことが言えるの? ただ生きているだけで無条件に蹂躙される。子供や女性などの弱者なら尚更ね。この中に襲われたけれど、運よく逃げ切れた者もいるのじゃないかしら? そこの悲壮な顔をしている足のない老人や、片腕のないあそこの女性とかね。まあ、運よくというよりも不幸中の幸いと言うべきね。あなたたちは彼らに向かって魔物がいた方がいいと言えるの? たかが、あなたの豊かな生活のために彼らの肉体は犠牲になるべきだというの?」
彼女は胸をはって演説する。彼女の指差した先の手足が無い者たちは悲しいような怒りを堪えているような顔をしている。大多数に紛れて彼らの存在に気づかなかった。
「俺らだって生活があるんだよ! 何もしなくてもご馳走が出てくるお嬢様には分かんねえよ」
彼の反論に賛同する声が多数上がる。しかし、依然としてヤカミは堂々としている。
「あなたたちが仕事を探す努力を放棄しているだけでしょう? 今まで母親から与えられた健康体にあぐらをかいて、技術を身につけてこなかったのはあなたたちよ。別に悪いことじゃないけれど、魔物がいなくなったんだから、今からは相応の努力をしなさいよ。それに、私の仕事を代われるというならいつでも代わってやるわ。毎日、何百何千の書類に目を通し、判断に責任を持てるというのならね」
ぐうの音も出ないほどの正論に民衆は静まり返る。僕のお嫁さんイケメン過ぎ。確かに彼女の言うとおりだ。彼らの仕事のしやすさと、その他の命を天秤にかけたら、その結果は言うまでもない。
「あなたたちごときが思いつくことなんて、私が思いついていないはずがないのだから図に乗らないことね」
そう吐き捨てて。彼女は建物の中に入っていった。
そして、式は中止になった。
「ヤカミちゃん、舞台を納めてくれてありがとう。凄くカッコよかったよ」
もはや新郎が言うセリフではない。
「気にすることないわ。このような土壇場の時のための私たち統治者よ。それより、この先のことを考えるべきね。さっきは民衆をなんとか誤魔化したけれど、反魔教の権威はこれから弱くなるのは避けられない。そこで提案があるの」
あれだけの演説を行った後でも顔色一つ変わっていない。彼女が真剣な眼差しで訴えかけてくる。一体どんな提案だろうか。
「神蛇を倒しにいきなさい」