2 結婚
つま先から伝わる足の冷えで目が覚める。空がぼんやり白く見えるほど明るくなってきてはいるが、太陽はまだ見えない。
昨日の夜、青髪ちゃんから聞いて、置かれている状況をある程度理解した。どうやらこの世界は人を襲う魔物というものが存在する典型的なファンタジー世界。そして、その魔物を生み出していた元凶が魔王という存在らしく、そいつを僕たちのパーティーが倒した。
つまり、僕たちのおかげでこの国に魔物のいない平和が訪れたというわけだ。しかし、勇者と呼ばれる僕は使命を失い、手持ち無沙汰状態。衣食住は準備され、良く知らない人たちにチヤホヤされて居心地は良いものの、刺激が足りない。
さて、それにしても寒さが身に応える。夜がこんなに冷えるのならば、勧められた厚手の服を着ておけばよかった。体を丸くして頭まで布団を被ろうとするが、布団の足元あたりが引っかかったているようで、上手く潜り込めない。
引っかかった部分の様子を覗きこもうと、布団から顔を出し横を見ると、くりくりの目に長いまつ毛を生やした女の子と目が合った。彼女はいたずらっ子のように「ヒヒヒ」と笑っている。
「ようやく目を覚ましたようね」
…記憶にない顔である。いったい誰だろう、誰の可能性があるのだろう? 青髪ちゃんでもパーティーメンバーでもなければ、部屋に案内してくれたメイドさんでもない。ならば盗賊か? こちらの世界のセキュリティ面はよく知らないため、あながちハズレではないかもしれない。
「だれ?」
「むう。昨日、夕食の時に会ったはずよ。わたくしは教皇の隣の席に」
フグのように頬を膨らませてご立腹な様子。一方的に名前を忘れているのは地味に失礼だし、早く思い出さなければならない。昨日の晩ご飯の時の景色は…。
「ああ、王女様的ポジションの人」
「ヤカミよ。挨拶したのだから名前ぐらい覚えておきなさい」
そういってグイグイ顔を近づけてくる。その際の勢いで発生した気流に乗って女の子特有の柔らかい甘い匂い鼻腔に入る。彼女は、まだあどけない顔立ちで女性的に美しいというより、小中学生のような可愛らしさがある。
「で、なぜ僕の布団に入っているの?」
「夫婦が寝具を共にするのがそんなにおかしいことかしら? わたくしは結婚相手にあなたを選ぶの。顔も血筋も私以上の女性はこの国に居ないし、あなたも私を選ぶほかない。それゆえ、愛を深めようと布団に入っていたの。わかるかしら?」
なんたる自己完結か。自分以外の事情を一切考慮していない。フィクションの世界でしか見たことのないリアルわがままお嬢様を目の当たりにできたことに、ほんのちょっと感動する。
「ヤカミちゃん、結婚するんだったら相手の気持ちも組むべきじゃないかな? 僕だって他に好きな子がいたりするかもしれないし」
ヤカミちゃんは元の世界で出会ったら土下座してでも結婚したいぐらい可愛いけれど、今の自分は魔王を倒した勇者である。ハーレムルートを確保しておかなくてはならない!なんつって。
「私の申し出を断っても構わないけれど、そんなことをした暁にあなたとその子の命があるとは思わないことね」
辛辣!そういえばこいつ、この国の王女様だった。
「てか、君みたいなか弱い女の子が男のベットに潜り込むもんじゃない。襲われるかもしれないよ」
「襲われるって何のことかしら?」
意味が伝わっていないようだ。箱入り娘だから隠語はあまり知らないのかもしれない。誤魔化すよりも、彼女がこれから恥ずかしい思いをしないように意味を教えておくべきかもしれない。
「おっぱいを触られたり…そのエッチなことを無理やりされるかも知れないってことだ」
「なるほど。無理やり孕まされるという意味のようね。ということは、あなたも…えいっ」
「うひゃん」
「カチカチ!カチカチだわ。 本で読んだり、話には聞いておりましたけれど、ホンモノは初めてよ。石のように固くって、これが人体の一部だとは思えないわ。 しかし、偉そうに諭しておきながら、ちゃっかり興奮はしていたのね」
目をキラキラさせてこの王女様とやらはエライところを触りやがる。
「さ、触んな! 別に興奮していなくても寝てるときは起き上がるんだよ! これは生理現象だから、勘違いすんな!」
「よし、ムヂさんが準備万端なら、わたくしも準備を」
そう言って彼女は服を脱ぎ始める。怪我をさせるわけにはいかないので、ほどほどに抵抗はするものの、手加減なしのヤカミちゃんには敵わない。というかまあまあ力が強い。
「コンコン」
「起きてるよね?ムヂくん入るよー」
ドタバタしていると、最悪のタイミングで青髪ちゃんが部屋に入ってきた。服の乱れたヤカミちゃんが僕のお腹の上に馬乗りになっているこの状態では、要らぬ誤解をされてしまう!
「昨日はみっともないところを見せてごめんね。でも、記憶が曖昧になっていても優しいままのムヂで安心したよ。これから大変なことがあるかもしれないけれど、私はずっとムヂくんの味方だからね…………は?」
青髪ちゃんがアスファルトの上で干乾びたミミズでも見るかのような蔑んだ目でこちらを見ている。今のところ唯一の話し相手で、脈ありそうな青髪ちゃんに変態扱いされては困る!
「ち、ちがうんだよ、青髪ちゃん。これはちょっとじゃれ合っていただけで。こんなチビッ子に劣情を抱いたりしないから!」
「…………………きしょ」
そう吐き捨てて青髪ちゃんは扉をバンっと思いっきり閉めて出て行った。今までの状況から察するに、青髪ちゃんとムヂ(自分)はかなり良い関係だったのに、明らかに嫌われてしまった。どうしよう。唯一の味方が居なくなった。
「気の毒だけれど、私にとってはライバルが一人減ってラッキーだわ。あなたは青髪の子を狙っていたようだけれど、今後は私一筋になることね」
まあ冷静に考えて王女様と結婚できるなんて、この世界では勝ち組中の勝ち組だ。やっかみから庇ってくれた青髪ちゃん、僕のおかしな様子に気づいてくれた青髪ちゃん、ずっと味方だよと言ってくれた青髪ちゃん…名残惜しい、とっても名残惜しいけれど、しばらくはヤカミちゃんの言いなりになろう。
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「ムヂ、いよいよおまえ皇女様と結婚するんだな。畜生、同じ魔王を倒しに行ったパーティーの俺とお前で何が違うってんだよ。俺だって勇者の血筋に生まれてたら、皇女様と結婚できていたのに」
「そうよ。あなた特別扱いされ過ぎじゃないかしら? どこに行っても勇者様勇者様って。別にあなた一人が頑張って倒したわけではないのに。少しは遠慮したらどうなの?」
パーティーメンバーには会うたびにぐちぐち文句を言われる。青髪ちゃんはそれを見て見ぬふり。どうやら僕は勇者の家系でどうやら特別扱いされるらしい。今回の魔王討伐は僕が活躍したことになっていて、彼らはそのサポートを担ったことになっている。
現場を見たわけではないので、真実は分からないけれど、彼らの言うことが本当なら申し訳ない。
「あなたたち、私のパートナーにいちゃもんをつけるなんていい度胸ね。この国から追放されたいのかしら?」
「やだなあ、いつも俺らはこうやって冗談を言い合っているんですよ。しっかし皇女様は可愛いなあ。俺とも結婚してくれね?」
「身の程をわきまえなさい、この蛮族風情が。冗談でも私は不快になるのだから、今後一切彼を悪く言うのはやめなさい」
そう言い放って、ヤカミちゃんは僕の手を引き、部屋を後にした。
「はー、ドキドキした。力では敵わない相手なので、興奮されて襲われたらお終いだったわね。あ、この襲われるっていうのは別に隠語の意味ではないわよ」
あれから流されるようにヤカミちゃんとの結婚準備を進めている。もちろん強制的ではないと言われたし、出ていくこともできるけれど、なんだかやりたいことも見つからず、ずーっと無気力に言われるがままに過ごしている。
一途で美人な婚約者がいて、毎日おいしいものが出てきて、最高に恵まれている状況なのに、おぼろげな不安がある。満たされているのに満たされていない。かと言って新しい行動を起こす気は起きない。同じ環境にいるヤカミちゃんは生き生きしているのに、なんてみみっちい話だ。
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日の出の時間はとっくに過ぎているというのに空はまだ薄暗い。かなり厚い雲に覆われていて、今にも雨が降り出しだしそうだ。
「式は中でやれば関係ないわ。さあ、気持ちまでどんよりしている場合じゃない。張り切って準備しましょう」
僕の婚約者は頼もしい。マリッジブルーなんてどこ吹く風。彼女の言うとおりだ。晴れ晴れしい舞台で、主役の気が滅入ってたら締まらない。
「そうだね。せっかくの式だし楽しもう」
清々しい気持ちとは言えないが、口に弧を描いて笑顔を作る。笑顔を作れば自然と気分も晴れていくことだろう。
そういえば外が何だか騒がしい。相場感がわからないけれど、式の準備をしていたらこんなものなのだろうか?
「なんだか、やけに外が騒がしいわね。ちょっとメイドに様子を見に行かせようかしら」
彼女も同じことを思っていたようで、メイドを呼ぼうとヤカミちゃんがドアを開けようとすると同時に、向こう側から扉が開かれ、メイドが飛び込んできた。
「わ! いきなり何よ」
メイドは走ってきたようで息を切らしている。そして、ペコペコ謝りながら、息が整う時間も待たずに途切れ途切れに話し始めた。
「大変です。結婚式ができません!」
「いったいどういうことよ。落ち着いてからでいいから理由を話しなさい」
ヤカミちゃんはいつも傲慢な態度でメイドに接していたように思えたが、切迫した状況の今は冷静に落ち着いて合理的な指示をしている。その姿を見て、爆上がりした脈拍が落ち着いてくる。やはりリーダー気質のある貴族的な人は土壇場に強いのかもしれない。
「教会に人が押しかけてクーデターを起こそうとしています」