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1 凱旋

「そろそろ起きなよ」


 鈴のなるような美しい声が枕元から聞こえる。この声は妻だろうか? いや、違う。妻はついこの間、家を出て行ったばかり。寝起きで記憶がごっちゃになっているようだ。


 頭がズキズキして、体がだるい。もしかしたら、また酒の飲み過ぎで病院に運ばれたのかもしれない。とすると、さっきの声は看護師さんだろうか。もしそうならば、起き上がって顔を合わせるのが気まずい。しばらく狸寝入りでもしていよう。そんな意味のない先延ばしを考えていたら、ジャーキング現象のごとく、体に浮遊感を感じた。


「はっ!」


 落下する感覚に思わず起き上がってしまった。貧血気味で視界が暗い。全身に筋肉痛のような痛みを感じ、汗でベトベトしていて、起き心地は最悪だ。


「ムヂくん大丈夫?」


 おぼろげな視界のまま、声のする方に目を向けると、空色の長い髪に、目鼻立ちのくっきりした女の子が心配そうにこちらを見つめている。瞳も透き通るような薄青色で、まるでアニメの世界から飛び出してきたような顔立ちだ。思わず見惚れてしまう。


「ちょっと。口が開いたままだけれど。本当に大丈夫? もうすぐ街に着くよ」


 頬をぺちぺちされ、正気に戻る。


「うっせえな。そんな堪え性の無いやつ、ほっとけや。どうせ寝てても勇者様は歓迎されるだろうからよ」


 少し遠くから、体躯の大きい男が言った。その男の隣には、目つきのきつい女の子が座っている。あたりを見渡すと、四角いテントの中にいるようだ。さっきから、荒れた海で船に乗っているかのように地面が揺れる。少し気を抜くと胃の内容物をぶちまけそうになる。


「もう、いじわる言わないで。魔王を倒したことを教皇に伝えたら、私たちのパーティーは解散するんだから、それまでの少しの間ぐらい仲良くしなさいよ」


 青髪の子が庇ってくれた気がする。しかし、勇者に魔王。間違いない。これは、いわゆる異世界転生ってやつだ。僕は現実世界で散々な日々を送っていたから、神様がご褒美をくれたのだ。暇さえあれば、なろうの小説を読み、ランキングは基本的に読破している僕は歩く異世界攻略本といっても過言ではない。やばい、ちょっとテンションが上がってきた。

 しかし、気がかりな点が一つある。


「ねえ、青髪ちゃん。さっき魔王を倒したって言った?」


 青髪美少女がキョトンとした顔でこちらを見つめる。あまり言葉に出してはいけないヴォルデモート的な存在の奴だったのだろうか。


「ええ。そう言ったけれど…」


 ……へ? いやいやいやそれは違う!


「異世界転生の醍醐味なくなっちゃったよ! 仲間と困難を乗り越えて、友情を深めたり成長していくのが楽しいんだろうがっ! こんな詐欺的異世界転生、日本だったら消費者センターに通報レベルだよ? …ちなみに、次の目標は何なの?」


「いや、もう私たち解散するし…」


 なんてこった。仲間と困難を乗り越える胸アツ展開は、今後期待できそうにない…しかし、まだ慌てる時間じゃない。少し趣向を変えて、チートスキルを使ってスローライフを送ったり、ハーレムを作ろう。勇者なのだからチートスキルの一つや二つあるはず。もし仮に、一切のチートスキルが無かったとしても現代知識を使って無双してやる。こちらには第二、第三の手があるのだ。


「あはは!なに言ってんだか。ついに勇者様もボケちゃったね。まあ無理もないよ。あの魔王を倒したんだから。でも、ボケたのなら報酬は要らないよね? 私が代わりにもらっておくよ」


 黒髪のツインのお団子を頭につけた女の子が高笑いしながら言った。おそらく、僕のことを揶揄しているのだろう。


「そういうのやめなさいよ…」


 庇ってくれる青髪ちゃんの言葉が弱弱しい。なんだかすごくきまりが悪い。青髪ちゃん以外のパーティーメンバーの僕に対するからかいは、信頼関係がある上で場を和ますために言っているものだろうか? それにしては、やっかみが過ぎると思うが。


「お客さん、そろそろ目的地に着きますぜ」


 テントの外からドスのきいた声が聞こえる。パーティーメンバーたちがテントを外すと、流れる景色が現れた。どうやら、馬車の荷台のようなものに乗っていたようだ。遠くに西洋風の街が見え、その街の奥にはひときわ立派にそびえ立つお城が霞んで見える。


「寝ぼけてて、よくわかんないかもしれないけれど。とりあえず、手を振ってニコニコしていればいいから」


 町に着くとたくさんの人がお祝いムードで出迎えてくれた。そして、青髪ちゃんに言われた通り、ニコニコしながら手を振った。まるでオリンピック選手のパレードのよう。魔王を倒したという話から察するに、これは凱旋みたいなことなのだろうか。


 そして、為されるがままに王様チックな人に挨拶したり、儀式的なことをおこなった。そのせいで、月がかなり高くに見える頃にようやく用意された部屋で横になれた。


「入るよ」


 青髪ちゃんが部屋に来た。薄紫のローブに濡れた青髪が艶めかしい。お風呂上がりで化粧っ気がないのに、きめ細かい肌や長いまつ毛は健在だ。

 青髪ちゃんはベッド腰を掛けた。


「ねえ。今日ずっとおどおどしてたけど、何かあった?」


 髪を耳にかけながら、のぞき込むような姿勢で青髪ちゃんが言う。彼女の一挙一動が絵になる。


「いやぁ。なんでもないでござるよ。魔王を倒したばかりなんだから気が動転していて当然当然。青髪ちゃんが心配する必要はなし!」


 疲れと深夜テンションが相まって自分でも何を言っているかわからない。


「うん。それがおかしいと言っているのだけれど。そもそも青髪ちゃんって何?」


 干からびたミミズでも見るかのように侮蔑した目で見てくる青髪ちゃん。端正な顔立ちでそんな表情をされたら、むしろご褒美である。

 そんな邪な考えは置いておいて、青髪ちゃんには異世界転生のことを言うべきだろう。親切にしてもらっているし、敵になることはあるまい。


「えっと、なにから言ったらいいかなあ。とりあえず、記憶がない」


「は?」


「ごめんなさい!」


 青髪ちゃんの険しい顔に反射的に謝ってしまった。整った顔立ちが、険しい表情をより引き立てている気がする。しかし、すぐに元の顔に戻って首を振りながら青髪ちゃんは言った。


「私こそ、怖い顔をしてごめんなさい。ちょっと疲れているみたい。それで、記憶がないってどの程度なのかしら? 会話は出来ているようだけれど」


 やけにあっさり信じてくれた。彼女と勇者の間にはかなりの信頼関係があったように思える。


「強いて言うなら全部かなあ。パーティーメンバーのことも分からないし、自分が勇者だったことも覚えていないし、この世界の成り立ちのこともわからない」


 青髪ちゃんの目が点になる。さっきまでのお姉さんのような余裕がなくなって、不安げにキョロキョロしだした。


「私のことも…覚えていないの?」


悲壮な顔で青髪ちゃんは言う。


「うん」


 ずっと良くしてもらっていたから、告白するのが忍びない。やっかみを言われたときは庇ってくれて、お偉いさんたちと話すときも僕があまり話さなくてもいいように上手く回してくれた。今だって僕のことを心配してくれている。


「私と出会った時のことも忘れちゃった?」



「ごめん」


唇をギュッと閉め、何かを堪えようとしている青髪ちゃんの目にはうるうる涙が浮かんでいる。


「そっか……ひぐっ」


 青髪ちゃんは両手で顔を抑えて泣き始めてしまった。

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