3 『七夕の奇跡』
百合が仕込んだ悪戯説を有力視していた俺だが、転校生の紹介がないままホームルームは終わるし、教師は当然のように〝川野天〟という謎の女生徒の存在を許容しているしで、ついに俺は『川野天が妹』という現実を呑み込まざるを得ない状況に陥ってしまった。
いや誰だよ川野天って。俺の知らない親戚か?
あ、逆から読んだら天の川じゃんとか思ったが、気づいたことと言えばそれくらいである。出産と同時に取り違えた説や隠し子説はアニメ文化に毒されたが故に生まれてしまった悲しい妄想なので、候補に上げることもなく破棄しておく。
しかし彼女が俺の妹であるというのは、俺以外にとっては公然たる事実のようで、俺と彼女が帰宅したら母さんが「おかえり~紫音、天」とまごついた様子もなく言ったのがなによりの証拠だろう。いつの間に彼女が⁉ なんて驚嘆されたらどれほどよかったことか。
荷物を部屋に放り投げた俺は、妹の部屋になっているらしい空き部屋だったはずの扉を叩いて妹(仮)を呼び出し、階段をタッタカ下りてだだっ広い和室に滑り込んだ。
「さて、事の顛末を話してもらおうか」
このとき俺はやはり百合のドッキリだろうと見当をつけていた。
記憶改竄、パラレルワールドなんて言葉が脳裏に浮かんだが、そんなものはフィクションの産物だ。二十一世紀の技術では、せいぜい地球の周りを三日ほどくるくるするのが限度である。
腕を組んで彼女の第一声を今か今かと待ち兼ねていると、
「紫音さんが悪いんですよ!」
今にも泣き出しそうな感極まった顔で彼女は叫んだ。
「紫音さんがでたらめなお願いごとをしたせいで、わたしの休暇殲滅ですよ⁉ あーほんと、貧乏くじを引いた自分が恨めしいっ!」
がみがみ小言を言いながら、目に涙を浮かべる自称妹。学校での淑やかな雰囲気は何処へ……と悲嘆したくなる残念系美少女がそこにはいた。
「落ち着け。まずは順を追って話してくれよ」
理解が追いつくかは別の話だが。
眦の端の涙を払ってしゅんと鼻をすすると、
「じゃあ聞きますけど、紫音さんはこれまでいくつの星が隕石と化して地球に降り注いだか答えられますか?」
なんの話だ。
眉間に皺を寄せて胡乱な目を向けると、新年ガチャでピックアップされたら売上一位待ったなしの容貌SSR級美少女(内面は覗く)は、再び瞳に大粒の涙を潤ませて、フンとそっぽを向いた。
「落胆しなくて結構です。紫音さんはただの人間ですから」
まるで改造人間でもいるかのような言い草だな。
「ならお前は人間じゃないってか?」
「はい。わたしは銀河の彼方より飛来した神の一端、織姫の役割を担う者です」
思わず失笑したね。SF小説のプロット案にしちゃあ上出来だが、なにもそんな真顔で言うことないだろ。冗談は微笑み交じりに言わないと冗談にならないぞ。
「こんなシリアスな空気で冗談をかます人がいますか! まあわたしは神ですが!」
ああ、こいつは手遅れに違いない。誰かこの子を腕利きの精神科の元に連れていってやってくれ。
「なんで信じないんですか! 耄碌なんですか⁉」
本質は短気らしい神様(笑)はちゃぶ台を叩いて立ち上がり、
「銀河渦巻く瞳! 艶やかな黒髪! こんな絶世の美女が実在するはずがないじゃないですか!」
しーんと沈黙の帳が客間に落ちる。
確かに俺の網膜には超絶美少女が焼き付いている。だがな妹よ、本物の美女は仮に自分が可愛いと自覚してようが、自分で自分を美女だとは言わないんだぜ?
容姿をSSSとすれば性格がBといったところで、加減した結果、まあ美少女に分類されるであろう自意識高めな自称神様の話が真実だと仮定した上で話を進める。でないと、物語が俺とこいつの討論だけで終わっちまうからな。それが許されるのは、日曜のお茶の間だけだ。
「でもよ織姫さん、今はまだ四月だぜ? それに確かに我が家では毎年七夕行事をやっちゃあいるが、ここ数年、俺は願いごとなんかしてないぜ?」
夢見がちな他三名は毎年夜空に思いを馳せているが、その脇に立つ俺はアルタイルもベガもデネブも探さず、コスモパワーの吸収に精を出している。最後に短冊に願いを綴ったのはいつだったかな。曖昧だが六歳くらいだったと記憶している。
でもしょうがないだろ? 天の川に希求したって、日常はこれっぽちも変わりゃしない。初詣も二年参りも然りだ。神社に向かうまでのエネルギーが徒労に思えてならないね。あ、けど正月に関して言えば、暴飲暴食で蓄積されたカロリーが消費できるから利点になるのか。っつっても、一日の消費カロリーのほとんどは基礎代謝だから、運動する意味って実はあんまないんだよなぁ。
などと妄想の世界で禅問答を繰り返していると、織姫様はげんなりとため息をついた。
「ですよね。高校生にもなって世界を滅亡の危機から救うヒーローになりたい、なんて幼稚なお願いごとをするはずありませんもんね」
俺は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「そんなことを願うのは幼稚園児くらいだ。思春期真っ盛りの時期に特撮に熱中して現実と理想の区別がつかなくなるような残念な奴じゃないよ俺は」
厳ついベルトをつけて変身フォームを完コピしなければ、二次元キャラを待ち受け画面にして見る度にデュフデュフしたりもしない。アニメをそこそこに嗜み、学業をそこそこに熟し、そこそこに青春を謳歌する凡人。それが俺である。普通星人と読んでほしい。
穏やかに微笑んでいると、自称神様は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「確信犯じゃないですか……」続けて「それはつまり、紫音さんが幼稚園児ならそう願ってもおかしくないと解釈していいんですよね?」
頑なに否定はできない。なんせ幼少期は戦隊ものに沼る黄金時代だからな。かく言う俺も、あの頃は五人組のヒーローに憧れたものさ。
「そうだな。あの頃の俺ならそう願ったかも知れない」
苦笑しながら降伏を意味する肯定の言葉を漏らすと、高次元の存在であることを自称する美少女はゆるゆるとかぶりを振り、
「違いますよ紫音さん。かもじゃないから現実が狂ってしまったんです」
それは言外に可能性の話ではなく、確定したことなのだと告げていて。
「十年前に紫音さんが願ったこと。それが現実になってしまったんです」
「……」
えっと、つまりどういうことだ?
悪いが六歳の頃のデータなんて、写真くらいしか残っていない。他はすべて記憶という膨大な渦の中に呑み込まれてしまっていて、探そうにも探す手立てがない。
いや待てよ。でも姉貴ならもしかしたら……。
「ってなに鵜呑みにしてるんだ俺は」
願いが叶っただって? アホらしい。仮に七十億分の一の確率で俺の願いが叶えられるというなら、年末ジャンボのキャリーオーバーでも当てて欲しいもんだね。そうなりゃ新年の福袋に果たして目玉商品が本当に入ってるのか確認して、仮になかろうものならその顛末をネットにアップして一儲け狙える。夏祭りや新年初売りのピックアップ商品は大抵内封されてないから、俺の勝利は約束されたようなもんさ。はは、俺の手でこの世の悪事をことごとく表沙汰にしてやるぜ!
「まだわたしを疑ってるんですか? 執拗な男はモテませんよ」
ビッグドリームに思いを馳せて春一番に吹かれていると、木枯らしにも負けない冷ややかな風を正面から感じた。発生源は自称妹の黒曜石のような瞳だ。仮に神様なら、あの瞳は俺の非道な姦計も見え透いているのかも知れないね。
「なら証拠を見せろ証拠を。神様なら超現象のひとつやふたつ簡単に起こせるんだろ?」
どうせなにもできないに決まってる。そうなればこいつは誰だって話だが、そうなる前に百合と母さんがドッキリだと明かしてくるだろう。
よく仕込まれた芸だ。俺じゃなきゃ見破れないね。
などと思ったのも束の間、
「いいですよ。わたしの異能は願望者の妄想を現実にするというものです。紫音さん、なんでも願いを口にしてください」
思わず息を呑んだ。なぜならその瞬間、手を組み合わせた彼女の姿が異様にサマになっていたからだ。後光が差したように見えたのは、果たして錯覚だろうか。
「なら姉貴を俺の隣に呼び出してくれ」
片手を上げて俺は投げやりに言った。
さぁて見物だ。どんなトリックを見せてくれるのかね。
「承知しました。ではこの場に川野咲月様をお呼びしますね」
後に俺は気づくのだが、この段階に至るまで俺は一度も姉貴の名を口にしていない。なのに彼女はさも当然のように姉貴の名を知っていた。思えばこの時点で十分立証に至っていたのだ。彼女が常人ではないということの。
祝詞を口ずさむことも畳に魔法陣が浮かび上がることもなく、なんだやっぱりガセかと少々期待していた分の反動で雀の涙ほどのショックを受けながら目を閉じ、次に視界が開けた瞬間、姉貴が隣に正座していた。
「……しーくん?」
まるで摩訶不思議な出来事を体験して現実が飲み込めないとでも言うかのように首を捻る姉貴だが、今回に関して言えば比喩が比喩としての働きを果たしていないと思われる。 嘘だろ……こいつ、マジで姉貴を呼び寄せやがったぞ。
双子の妹。織姫。人類滅亡。
どうやら彼女の言葉を戯れ言として処理することは問屋が卸さないようだ。
「……あのさ姉貴」
声を震わせながら問いかける。
「俺が六歳のとき、七夕でどんな願いごとをしたか覚えてるか?」
実状は百合に負けず劣らずの残念っぷりだが、ふわふわした気性とふわふわした笑顔ですべての生徒を癒やし、かつ才気煥発な姉貴は絶大な支持を誇る生徒会長である。混迷に陥った際、杖とも柱ともつかぬ存在として輝く自慢の姉でもある。
垂れ下がった瞳を三日月形にし、セミロングの髪を揺らして姉貴は柔和に微笑んだ。
「覚えてないはずがないでしょ? 大好きなしーくんの言葉なんだもの。喃語から今に至るまでしっかり暗記してるわ」
きゅぴこーん☆とウインク。この行き過ぎたブラコンは恵まれたと見るべきか呪われたと見るべきか。まぁ険悪な関係よりは幾分マシか。
姉貴はお祈りポーズで身体を捩らせながら、
「六歳のしーくんはね、地球滅亡の危機から人類を守るヒーローになりたいって願ったの。きゃ~可愛いっ! キュンキュンしちゃう~」
俺もキュンキュンしてきたよ。不整脈のせいで。
こうして十年前の願いごとが判明したところで視線を天に移す。
「そもそもそんな巨悪が実在したっていうのか?」
なんとしても責任転嫁したい俺である。だってそうだろ? 無自覚とはいえ、自分のせいで地球が滅びました~なんて言ったら、来世で閻魔様に舌を抜かれるくらいでは済まないに決まっている。ゼウスの落雷とトールの鉄槌を喰らう羽目になるのは確実だろう。現世でのいざこざを来世にまで引きずるなんてごめんだね。
「いいえ、存在しませんでした」
過去形なのは意図的だろう。腹に一物ありそうな顔をしているのは、俺の失態を咎めようという衝動を呑み込んでのものだろうか。優しい神様で助かるね。
「今はいるってことか」
返事に少し間を要した。
「……はい。紫音さんの願いを成就させるための前提条件として、本来は存在し得ない架空の存在が地上に現界してしまいました」
なんてこった。俺がヒーローになって世界を救いたいだなんて願っちまったがために、本当にそのシチュエーションが確立されてしまったらしい。
悪がいて俺が退治するのではなく、俺が退治したいと思ったがために悪が生まれたというなんたる矛盾……。裁判にかけられようと弁明の余地などない歴史的大逆を犯した諸悪の根源は、ほんのミジンコ程度の冤罪の可能性もなく俺で確定だった。大戦犯である。
「しーくん、あーちゃん……」
見れば、姉貴が口許を押さえて身体を震わせている。
姉貴は頭の回転が常人よりも遥かに速い。俺と天がたった二言程度交わしただけで状況が呑み込めてしまったとしてもなんらおかしくない。
「姉貴。俺さ――」
自首しよう。腹は決まっていた。
しかし俺が二の句を継ぐよりも早く、
「わたしに隠れて新しいゲームをするなんてひどいよっ!」
姉貴は涙目で抗議の声を上げた。
俺の有罪判決でなく、自分が仲間外れにされたことに対しての、だ。
天がなに言ってんだこいつ? とばかりの面食らった顔で姉貴を凝視する中、そんなことはお構いなしに姉貴は俺の肩を掴んで揺さぶってくる。
「巨悪とかヒーローとか現界とか、お姉ちゃんの大好きなジャンルじゃん! しーくんもあーちゃんも知ってるよね⁉」
脳がぐわんぐわん揺れる。おかげでもう一人の俺が目を覚ましてしまった。
「もちろんでござるよ」
格ゲーからギャルゲーに至るまで某が熟知していることは、この小生、当然存じ上げているでございまするよ。
「ならどうして誘ってくれなかったの⁉ 来年受験生だから⁉」
と、いけないいけない。つい対ネトゲプレーヤー用のオタ紫音が出てしまった。画面の前で突如変貌するのはあるある……だよな?
「違うんだ姉貴。これはゲームじゃなくてリアルな話で――」
言い終える前に姉貴は座布団に飛び込んで、赤児のように泣き喚きはじめた。
「しーくんとあーちゃんが反抗期だよぉ! 二人揃ってわたしをハブってくるよぉ! うわぁぁん! 神様、わたしと二人を三つ子にしてくださいなんでもしますからぁ!」
これには現職神様もドン引きである。路上の苔を見るような目で姉貴を見下ろしている。
「……兄さん、一応確認しますけど、お姉さんですよね?」
俺と天は双子の兄妹……という設定。呼称は〝兄さん〟のようだ。
「ああ、そうだ」
「男女問わず絶大な支持を受ける理想の生徒会長、川野咲月さん、ですよね?」
すごいな姉貴、神様から高評価されてるぞ。現在進行形で大暴落中だが。
「ああ、そうだ」
などと俺と天がお御通夜状態で言葉を交わす間も、姉貴は自動掃除機と化してごろごろと畳をクリーニングしている。転移現象をどう説明したもんかと思っていたが、この様子なら大丈夫そうだな。そんなことはショックに上塗りされて忘れているに違いない。
「あーちゃんがさん付けしてきたぁ! もはや他人扱いだよぉ!」
「事実、他人なんだけどな」
嘆息し、俺は引き戸を引いた。
「天、場所を移そう」
ここじゃ埒があかないからな。
「あ、はい」
てててと天が駆けてくる。途中天がなにか呟いたようだが、姉貴の「裏切られたぁ~!」という叫声が重なったためにうまく聞き取れなかった。
近所迷惑だぞ姉貴。まぁあの部屋は防音だから問題ないんだけどさ。