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このままでは地球が滅びてしまいます!  作者: 風戸輝斗
第5章 
27/29

27 『十年越しの願い』

 精も根も尽き果てたと言わんばかりの疲れ切った表情を浮かべながらトンボがけする野球部員を脇目に、無名・活動内容不明・部員数未定の不確定要素三冠を達成した謎集団六名は、玄関を抜けて軽い足取りで校門へと足を向ける。


「さ、咲月様! お疲れ様です!」

「うん。お疲れさま。先週、昨年の地区大会優勝校に勝ったんだってね」

「な、なんたる光栄ッ! たかだか練習試合のレコードが咲月様のお耳に触れていようとは……ッ!」

「いつも頑張ってるから当然の結果だと思うよ。来週の大会、頑張ってね!」

「は、はい! 絶対に……絶対に優勝旗を持ち帰るであります!」

「うん。その意気だよ」


 姉貴の激励を受けた野球部員は深々と頭を下げ、踵を返す際に垣間見えた彼の顔つきは十代くらい若返っているように見えた。姉貴、もう野球部のマネージャーになれよ……。 と、姉貴の人望の厚さは言わずもがなだが、


「ば、バトラーくん! そ、その……読んでくれませんか⁉」

「もちろん。明日には返事をしたいから名前を教えてくれないかな?」

「っ⁉ は、はい! わ、わたしは……」


 右を向けば、金髪転校生(今日で四日目)がラブレターにしか見えないお洒落な小封筒を四枚手にしており、


「ゆ、百合先輩! そ、その……わたしの気持ち、受け取ってください!」

「あ、ありがと……じっくり、読ませてもらうわね」

「はい! 来週から部活が再開することを切に願ってます!」

「う、うん。……その、気をつけなさいよ」

「っ⁉ あ、ありがとうございます! 気をつけて帰ります!」

「ええ。……夜道を心配したわけじゃないんだけどなぁ」


 左方で展開される百合の百合ルートは、気の毒というかなんというか……。

 男子の枯渇した運動部においてクールでカッコいい系の女子がモテるというのは、それほど珍しいことではない。吹奏楽部なんかだと、マドンナの取り合いで内部分裂が起こるのだとかなんとか。土俵を間違えてないか?


「兄さん聞いてますか?」

「ん。ああ、ごめんごめん」


 日向あれば日陰あり。三人からやや離れて歩く他三人は、益体のない会話をしながらゆっくりと歩いている。

 この下校風景にも慣れたものだ。いつも姉貴と百合の周りは騒がしくて、俺と天とゆかりの周りは森の深奥部みたいにのどかで、今週の頭からは学園二代スターに匹敵する期待の新星、バトラーが加わって……。

 こんな日々も、今日で最後になってしまうのだろうか。

 ゆかりは本来の記憶を取り戻し、バトラーは元いた場所に還る。少なくとも、部員が一人減ってしまうことは確実だ。

 近い将来に思いを馳せるなり、胸の奥の寂寥感が肥大していき、俺はこの時間を快く思っていたのだと改めて気づかされる。

 当事者としての責任なんてものが原動力になっていたのは最初だけで、この場所を守りたいという切な思いが、いつからか俺を獅子奮迅と動かしていたのかも知れない。人類の存亡なんて、はじめからどうでもよかったのかもな。

 頭上の絶景は、新たな門出に際しての神様からの些細な贈り物だろう。

 レクイエムを告げるように、からすの歌が街に響き渡りはじめた。



「なにをしてるルカ」


 放課後の何気ない日常を事細かに解説できるくらいに、俺は気を緩めていた。

 今日も何事もなく終わる。明日ですべてが終わる。来週からこの日常はなくなる。 

 そう割り切っていたから。今日を既に終えた気でいたから。

 だから、青天の霹靂に気づくことができなかったのだろう。


「……え?」


 隣を歩いていた天は、首を巡らすや否や顔面蒼白となった。


「どうした天?」

「ど、どうして……」


 さほど寒くないのに天は全身を小刻みに震わせている。

 視線の先に立つのは赤髪の男。一見細身だが、腹筋は遠目でもわかるほどにヒビ割れていて、上腕二頭筋にははち切れんばかりの血管が浮かんでいる。下はややくるぶしより高いチノパンツ。上は開放的で……


「どうしてここにいるのですか――〝兄さん〟」


 待て待て、半裸で歩く一般人がいるわけないだろ。低く見積もっても、そいつは変質者。ただこの場合に至っては、変質者である方が断然ありがたいのだが……


「それはオレの台詞だルカ。誰が人間と戯れろと命令した?」


 男の語勢は横柄で起伏がなくて。そこに感情は感じられなかった。

 琥珀色の瞳に、頭部から生えた角のような突起物。


「姉貴と百合とゆかりは俺の家から今日一日出られない!」


 理解するより早く、口早に叫んでいた。

 背後にあった人の気配が消える。

 場所は閑散とした、夕暮れ時の一本道。人通りの少ない場所で助かった。街中だと、どう対処すべきか考え倦ねてしまうに違いないからな。


「なぜ今、呪いをかけなかった?」


 俺など眼中にないのか、男は険のある目を天に向け続ける。


「……」

「どうして呪いをかけなかったかと聞いてるんだ。その男にほだされて、口も利けなくなったのか?」

「……ます」


 肺腑から絞り出したような掠れた声。


「わた、しが……わたしが自分の意志で決めたこと、です。〝兄さん〟を悪く言わないでください」


 キッと天は眦を決する。恐らく、本当の〝兄さん〟に向けて。


「そうか」


 気分を害した様子も翻意を促す素振りも見せることなく、男は無表情にそう一言呟いた。 

 そこでようやく男は俺を一瞥し――次の瞬間、男の姿が消えた。


「カッ……!」


 と息が詰まったような声は隣から。

 見れば、天の腹部に拳がめり込んでいる。


「なら躾けるまでだ。オレに服従を誓うまでな」


 冷淡に言い放って拳を引き抜くと、男は天の髪を引っ張り上げて頬に蹴りを入れはじめた。膝で何度も何度も。その度に天は苦悶の声を漏らす。


「……なに、してんだよ」


 突然はじまった躾と称される虐待。

 鈍い音が二回ほど聞こえた辺りで、俺は正気を取り戻した。そして理解した。

 妹が激しい暴行を受けているという現状を。


「天になにしやがんだてめぇ!」


 相手が誰か、彼我の差はどれくらいか。激情に身を委ねたが故に、思考はろくに機能していなかった。そして、蛮勇をふるうことが常に最善の結果を導くわけではないという当然の理を、数秒後に俺は身をもって知ることになる。


「落ち着くんだ紫音!」


 進路に忽然とバトラーが現れて、俺の両腕を強く握り締める。全体重を乗せて前進を試みるが、身体は前傾姿勢になるばかりで、一歩も天に近づくことができない。


「離せよ! 天が傷つけられてんだ!」


 激昂して叫ぶも、バトラーが膂力を緩める気配はない。


「だからこそ、一度熱を抑えるんだ! 紫音もわかってるんだろ⁉ アイツはカルマだ!感情任せに挑んで勝てる相手じゃな……っ」


 その時、信じられない光景を目の当たりにして、苛立ちはたちまち驚愕に転じた。

 あのバトラーが、英雄とまで称される男が。歯を強く噛み締めながら、瞼をぴくぴくと震わせている。

 やがてバトラーは両膝を地につき、後ろを振り返る。


「……卑劣な。お前には矜持というものがないのか」


 声を発するのもやっとのようで、バトラーの声はひどく嗄れていた。


「勝負の世界においては勝利こそが絶対だ。オレにくだらん騎士道を押しつけるな、英雄バトラー」

「……くそっ」


 バトラーがなにをされたのか、それは二瞬のちに明らかとなった。

 男――カルマの一方の手は天の髪を握ったままで、もう片方の手には注射器のようなものが握られていた。それだけ見れば、なんとなくなにがあったか見当がつく。恐らくバトラーは、俺の動きを封じて両手が塞がったために、毒か麻痺か、いずれにせよ身体に支障を来す薬剤を投与されたのだ。闇討ちのような形で。


「大丈夫かバトラー。すぐ治すから」


 と熱りの冷めた脳が最適解を導き出すが、


「それは叶わない」


 カルマは天に暴行を加えることも、バトラーにトドメを刺すこともせず、心底つまらなさそうに俺を見下ろしている。今なら三人を鏖殺することなど、雑作でもないだろうに。


「オレが識閾上にある限り、オレの許可なく力を行使することは叶わない。今のお前は、一人類にすぎん。特異性をもたない、ありふれた存在だ」


 冗談だと言ってほしいね。なんて眉をピクリとも動かさない鉄仮面に思うのも、望み薄だけどさ。


「マジかよ……」


 言いつつも、目で見て確認するまでは諦めまいとバトラーの治癒を試みるも、バトラーの憔悴した顔が頬笑みに変化することはない。マジかよ……。

 そりゃカルマが俺を使い古されたアルカリ電池みたいに扱うわけだ。危険性など皆無なのだから。逆上しようと、なにもできないのだから。


「フィレンゼルの血を失ったお前に興味はない。己の無力さに悲嘆しろ」


 なんだよフィレンゼルの血って。……ああ、もしかしてルクシア皇女のラストネームかな。なんて、今知ったところでなんの役にも立たねぇよ……。

 ゴスゴスと鈍い音が響き出す。天が傷つけられている音だ。


「ごめんなさいごめんなさい」


 痛ましい声。妹の嘆きに対して、俺はなにをすることもできない。


「謝辞はいらない。オレが欲するのは服従の言葉だ」


 超常的な力がないから。抗う術をもたないから。

 膝を抱えることしかできない。


「ごめんなさいごめんなさい」

「強情を張らず諦めろ。オレとて実の妹の命を奪いたくない」


 ならそんなことするなよ。


「……嫌、だ。〝兄さん〟が絶対助けてくれるんです」


 舌足らずの弱々しい声だった。けれど、瞳の輝きは消えていなくて。


「怜悧なお前はどこにいったんだ。兄さん兄さんなどと、まるで赤児みたいに」

「〝兄さん〟はいつだって助けるんです。奇跡なんかに期待しないで、身の危険も厭わないで。だからきっと、この絶望的な状況だって打破してくれます」だって、と天は一呼吸おいて「神様はそんな一生懸命な人の味方をしますから」

「天……」


 どくんと、身体の内側でなにかが流動しはじめた気がした。


「っ⁉ ふざけるのも大概にしろ……悪魔ともあろうものが神にすがろうとするなァ!」

「んぐ……ッ!」


 打撃音は響かない。それもそのはずで、カルマの蹴りは天の腹部に命中していた。

 ……限界だ。もう傍観者を貫いてはいられない。


「……おい。そこは命を授かる大切な場所だぞ」

「なんだ。死にたいのか」


 どうやら『神様』という単語は悪の帝王の逆鱗に触れるものだったようで、カルマはかなり気が立っているようだった。相変わらず、言葉に起伏はないが。


「天が大切な人との絆の形を宿す唯一無二の場所なんだ。数少ない俺の将来の楽しみを奪うんじゃねぇよ」


 本当に命を落とすかも知れない。

 けど、それでも、妹がぽっくり逝っちまう様を見るよりは幾らかマシだ。

 バトラーは意識があるものの、起き上がることもままならない。

 天は頭部からの流血が酷くて、片目は青紫色に腫れ上がっている。

 対して俺はどうだ? 五体満足、無傷の健全体である。

 ……情けない。能力がなくなったってだけでこのザマだ。妹に鼓舞されなきゃ、ろくに歩くもできない兄だってのに、それでも天は信じてくれている。

 俺が助けるって。自分を救い出してくれるって。

 十年前、天の川に願った夢。子供の妄言と唾棄されて当然の理想。

 ――ヒーローになりたいという願い。

 絶体絶命のこの状況。舞台の配備は皮肉なまでに行き届いている。

 ああ、なってやろうじゃねぇか。

 たった一人の、妹の――天のヒーローに。


「お前は兄貴失格だ。天は返してもらうぞ」


 強く言い放って伸脚開始。なんとも締まりないがやむを得まい。俺にあるのはこの身ひとつだ。


「中てられたか。お前がオレに触れることなど到底叶わないというのに」


 愚かな奴だ。冷笑も憤りもなく、カルマはただ無表情に蔑んで呟く。


「どうかな。やってみないとわからないぜ」


 少なくとも未来は変わっている。俺がアクションを起こしたことで、カルマの暴行がやんだ。天に人心地つく時間が生まれた。なにもしなければ、天は今も悶え苦しんでいたに違いない。

 さて、準備運動終了っと。仕上げに肩を回して前傾姿勢を取る。


「正気の沙汰とは思えんな。なぜ自ら死を選ぶ」

「とか言いつつ、どうせお前は自分の手で人類を滅ぼしに来たんだろ? ならここで動かなくてもどうせ死ぬ。死に場所くらい選ばせてくれよ」


 ふっと、ここにきてカルマははじめて微笑を見せた。


「奇特な奴だ。……面白い。お前の拳がオレに届いた暁には、人類滅亡を繰延してやろう」


 薄ら笑いを浮かべながら、カルマは堂に入ったファイティングポーズを取る。いつか見た、ゆかりのヘンテコなものとは格が違う。十メートル近い間合いがあるのに、重圧がひしひしと感じられる。

 正拳突きを狙っているのか、腰は低く落とされ、固く握られた拳は腰に据えられている。 魔王様渾身の一撃か。肉片ひとつ残らず吹き飛ばされそうだな……。

 最悪の展開が脳裏を掠め、回れ右して逃げようかと一時思うが、逃げたところで死というシナリオは変わらない。いや、嘘だ。俺が一発入れれば未来は変わる。

 掛け値なしに、世界の命運は俺に託されていた。


「……いくぞ」

「ああ。こい」


 角を生やした悪の帝王と対峙した男、か。こんな肩書きを持つ奴は、俺の他にいないだろうな。

 などと、早くも死後の世界に思いを馳せて、俺は駆け出す。

 仕方ないだろ? そうでもしないと、いつまでも尻込んで一歩を踏み出せないんだからさ。

 人生大概は体験できるが、生と死の瞬間は一度しか味わうことができない。産後ほどなくして言語と知性が大成することはないし、死後「そういえば俺、この間トラックに轢かれてさー」などと世間話の一端として誰かに語り継ぐことはできないし、要するに、この二つの経験は世に共有されていない未知の事象である。

 羊水に浮かぶ感覚なんて知らないし、首が吹っ飛ぶ感覚も知らない。知らないが故に、未知は恐怖という感情を呼び起こす。人間、知らないから恐れ戦くのだ。

 気づけば、カルマの眼前だ。どうやらその時は近いらしい。

 振りかぶった拳をカルマの頬めがけて放つ。対してカルマは腰に据えた拳を放ち――


 あ、死んだ。


 と思った矢先、渾身のブローを放った握り拳に違和感を覚えた。じんじん痛んだのだ。


「……え?」


 痛んだということは痛覚があるということ。神経が途絶えていないということ。 

 生きているということ。

 身体ごと吹き飛ばされそうな豪風が吹きつけて死を悟ったのだが、瞳の先に広がる世界は俺のよく知るものだった。

 ぱちぱちと瞬きして伸ばした腕の先を凝視すれば……なんと、俺の拳がカルマの頬を捉えているじゃないか。蚊でも止まったかのように無反応であるが、間違いなく俺の一撃はカルマに見舞われている。

 凡人の悪あがきが、悪の帝王に一矢報いた奇跡の瞬間だった。

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