14 『伝説の騎士』
静寂と男の啜り泣く声が入れ替わりで教室を満たす中、
「もしかして、バトラー様ですか?」
と誰も知らない名で男を呼んだのは、ゆかりだ。
バトラーと呼ばれた男は、隣に腰掛けたゆかりを振り返ると、
「いかにも。僕はヴィルバルド王国名誉騎士、バトラー・ミライトだよ」
涙を払い、穏やかな笑みを浮かべて男は言った。そこに狂気の影は見えない。さっきまでは操られてたって解釈していいのか? 結論を出すにはまだ早計だろう。
はてそんな王国あったかなと地球儀を回すだけ無駄である。まず間違いなくそんな国は地球上のどこにも存在しない。地上に騎士階級が存在したのは三世紀ほど前の話だ。
しかしこの男、どうやら異世界では有名人のようで、天もなにか思い当たるフシがあるようだ。
「英雄バトラー……『天界聖戦』に終止符を打った、伝説の騎士じゃないですか」
天界聖戦。その言葉はいつかゆかりも口にしていたものだ。概要は知らないが、英雄や伝説といった誇大な言葉の数々から、大きな出来事であったということはなんとなく察することができる。
「伝説の騎士だなんてとんでもない。僕はルクシア皇女の側近に任命された、有象無象の一人だよ」
精悍な顔に浮かんだ微笑はそれだけで数多の女性の黄色い声を巻き起こせそうで、加えて長身、物腰柔らかと雌殺しの三種の神器を備えているのだから、有象無象ではないと思う。って、ルックスはそこまで関係ないか。
世界中探してもここまでの美男子はいないだろうと思う奴がいるってのに、女性陣は一人としてそれらしい反応をしない。おずおずと天が口を開いた。
「……本当にバトラー・ミライトさんですか?」
罪を摘発するような緊張感をもった言葉に、男は逡巡することなく頷く。
「そうだよ。証拠といってはなんだけど、『無殲剣』を見せようか?」
「無殲……」と二の句を告げないまま驚嘆するゆかりを見るに、相当にすごい代物なのだと推測できる。恐らく彼の代名詞的役割を担うものなのだろう。
「あ、いえ疑ってるわけではないんです」
と言うものの、天は落ち着かない様子で視線を彷徨わせている。
男は首を捻ると、
「君の右目、それってアルザスの村に伝わる魔眼だよね?」
とゆかりに微笑みかけた。ここまでの様子を見るに、男――バトラーは話の通じる相手と見て相違ないだろう。よかった。奇声を上げながら剣をぶん回されちゃあ、こっちも堪ったもんじゃないからな。
ゆかりは気後れしながらも「は、はい」と返事をし、
「あ、あの、不躾ながらお聞きしたいのですが……あなたは『天界聖戦』の終結に際して命を落としたのではないのですか?」
なんと、ここまで原形を留めながらリビングテッドと来たか。男が口を開いてからというもの姉貴と百合はあんぐりと口を開けて呆けているが、俺は至って冷静である。かなしいかな、こんな非現実的な事態に慣れちまったらしい。今後の人生において俺はフィクションで感動することができるのだろうか。現実は小説より奇なりと言うが、にしても限度があるだろ。神様に魔法使いに伝説の騎士。もう腹いっぱいだぞ。
「そんなことないよ。黒炎のカルマを討った後、僕はルクシア皇女と婚約して、へんぴな農村で大往生を遂げたんだ」
じゃあなんで生きてるんだよとツッコみたくなるね。
男は顎に手を当てて頷くと、
「なるほど。ここは四千万年後の地上か。まさか僕の救った人類がここまで繁殖して発展を遂げるなんて驚いたな。ルクシア様にも、ぜひこの光景をお目にかかってもらいたいものだよ」
「理解が早くて助かります。英雄バトラー」
天は言った。
「君は神々の末裔かなにかかな?」
「いいえ、現役の神です。訳あって今は地上を苗床にしています」
「なるほど。カルマを復活させたのは君かい?」
「さすが伝説の騎士。そのことも既に承知で」
「当然だよ。異界が混乱に陥ってるんだからね」
「まてまて」
異次元の会話を繰り広げる分には構わないが、それより先にすべきことがあるだろ。
「どうかしましたかマスター?」
問いかけるバトラーはさも当然といった風であるが、俺はマスターになった覚えはないぞ。
「いきなりかしこまった態度を取られても困る。バトラー、とか言ったな。まずはそこでおったまげてる二人も納得できるような自己PRをしてくれ」
相手が下手に出てることを良いことに強気に出ると、バトラーは微笑を浮かべた。
「かしこまりました。ですがその前に、害虫を駆除しましょう」
言い終わるが早いか、バトラーの身体が白銀の甲冑に覆われる。一瞬前までは簡素な布切れ一枚の原始スタイルだったのに、西洋スタイルに早変わりだ。コンパクトな鎧の腰だまりには鞘に収められた剣が取りつけられていて、その堂に入った姿はまさに思い描く騎士そのものだ。武具はもちろん、顔立ちも含めて。
相当に腕が立つのか知らんが、変貌に際してバトラーは詠唱することも、ハレーションに包まれることもなかった。そんな伝説の騎士が鞘張りの音を響かせながら剣を抜いて睨みつけた相手はゴキブリくんだ。ゆかりの魔法で作られた桃色の籠の中でかさかさ動いている。
「先にお礼を申し上げます。ありがとうございますマスター。あなたがいなければ危うく僕は寄生虫に操られて、この星を破滅させるところでした」
冗談とは思えない真摯な口振りで謝辞を述べたかと思うと、バトラーの姿がぷつりと、まるでこの世から消されたかのように忽然と消滅した。
「グガァァッ――!」
と野太い咆哮は校庭から。窓辺に駆けよって声の発生源を凝視するが、目を凝らす必要はなかった。
校舎と比類ないサイズの大蛇が眼前でのたうち回っていた。
……ん?
幻覚を疑い目を擦るが、視界に変化は生じない。妖怪大戦争を思わせる特大サイズの蛇が、苦痛から逃れるように暴れ狂っている。
よくよく目を凝らせば大蛇の頭頂部に陽光を反射する金髪が見える。バトラーだ。最強の騎士は鱗に刺さった剣を抜くなり鞘に収めて、両手を叩いたようだった。爆音が響いたりはしない。蚊を叩くような、さほど激しくない仕草に見えた。
しかし次の瞬間、大蛇の姿は頭部だけを残して消えた。ほどなくその頭部はメラメラと燃えだし、ついに大蛇の残骸は皮一枚残すことなく灰燼と化した。
不思議なことに、この間校舎は少しも揺れなかった。怪物だなんて絶叫が校内を駆け巡ることはなく、けれど姉貴と百合が顔面蒼白だから、今の出来事は幻ではなく本当に起きたことなんだと思う。部室にいる俺たちだけが観測してたってことだろうか。
「おまたせしました」
という声に振り返れば、真新しい制服に身を包んだ金髪の長身男がいる。
「まずは自己紹介から。できるだけ端的に」
ツッコんでいたらキリがないと思い、投げやりに命令を下すと「承知しました」とバトラーは爽やかな笑みを浮かべて頷いた。執事かこいつは。こんな伊達男が側近にいたら、くさくさする未来しか見えないんだが。主に嫉妬で。
にしても最強の騎士か。とんでもない奴がきたもんだ。これならもしかして、カルマの討伐も夢じゃないんじゃないか?
……なんて、思ったら時点で負けたも同義である。




