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がばりと跳ね起きるとまた景色が変わっていた。明らかに上質な寝具、見えるのは上質な家具とインテリア。見下ろすと着ているものまで変わっている。思わずうめいて頭を抱え、体を確認するが異常はない。
思わず首を傾げた。致したあとではないらしい。
そばの椅子にリュックがあることを確かめ、ぼさついた髪を束ね直そうとして手が空を切った。シュシュも外されたらしい。そのまま寝具から足を下ろした。何も履いていないつま先を見つめたのち、目で履物を探す。立ち上がろうとしたところでドアが開いた。
「失礼いたします」
姿を現したのは妙齢の女性。メイド服のような黒いロングドレスに白いエプロンをつけ、一礼した拍子に頭の後ろでお団子にしているのが見えた。
アジア系の容貌に肩の力が抜けた。少しだけ髪が金髪がかっている。
「お目覚めになりましたか、ご気分はいかがですか」
にこやかにアルトの声が尋ねる。手に持った盆には水差しとグラスが乗っており、尋ねるあいだにもそばのサイドテーブルに盆を置いてグラスへ水差しから注いでいた。
「気分は悪くないです…ここは、どこですか」
あっけに取られつつ警戒は解かずに問う。
「後で主より説明があるとのこと。今呼んで参りますね」
どうぞ、とグラスを手渡され、思わず受け取る。
「主?」
「では、一度失礼いたします」
こちらの疑問には何も答えず、重厚な音を立ててドアが閉まった。見れば天井も高い。諦めて視線をグラスに戻し、一口飲んだ。
このグラスをどうしようか、サイドテーブルに戻そうかと腕を伸ばしたところでドアが再び開いた。
「失礼する」
動きを止めてドアの方を見やると、2人が部屋に入ってこちらへ向かってきた。1人はあのときの軍人。服装が軍服ではなくスーツにネクタイを締めていた。1人は鞄を下げた、こちらもスーツの壮年の男性。先程の女性が最後に入ってドアを閉めると壮年の男性がこちらへ向かってきた。
ベッドの前で一礼してにこやかに笑みを浮かべる。
「医師のカトウです。診察したいのですがよろしいですか?」
どうぞ、短く返すと温和そうな顔の笑みが深くなった。鞄からバインダーのようなものを取り出して開く。ちらりと画面らしいものが見えたので驚いた。そのまま問診に移り、健康診断で聞かれるような項目を応答して満足したらしい。
「ありがとうございました、異常はなさそうですね。昼食から通常の生活で構いません。あとは…」
「こちらで説明しましょう」
硬質な声が遮った。やれやれとでも言いたげにカトウは肩をすくめ、バインダーをたたんで鞄にしまった。そのまま女性が持ってきた椅子に会釈して腰掛ける。
その間に自分で椅子を持ってきたらしい軍人が目の前に椅子を置き、腰を据えた。
「改めまして、飛鳥国第一軍三佐、キサラギです」
切り出して一礼した。眼差しが相変わらず冷たい。
お名前を伺ってよろしいですか、耳障りの良い声に問われて一瞬名乗りかけ、止めた。
「オガワ、です」
「オガワどの。オガが家名でしょうか?」
「ああ…オガワシオリ、です。オガワが家名、シオリが名前と」
「なるほど。ではシオリどのとお呼びしましょう」
いきなり名前呼びか、と内心のけぞりつつ、密かに相手の反応を観察していた。
本当は小川詩音。本名を明かすと事に巻き込まれたときにおそろしく面倒になるととっさに踏んで偽名を告げたが、後にこれが身を助けることになることを彼女は知らない。
特に大きな反応もなくキサラギは手元になにか書きつけて目線をこちらによこした。
「手短に説明します。あまり最初から煩雑になると大変かと思いますので」
まずこちらを、と紙を渡されて一気呵成に説明される。
落人という存在があること。
落人は異世界からこちらの世界に現れ、恵みをもたらすこと。
落人のコンディションにより恵みにもなり災害にもなること。
この世界のおおまかな成り立ち、そしてこの国が飛鳥国といって世襲制の王政で統治されていること。
「大まかには以上です。不明な点は聞いてください。また、注意点を言うが、この屋敷から出ないことを大前提にしてもらいたい」
「屋敷とは?」
「この建物、と言い換えれば分かりますか。」
「オガワさんは落人なんです。この世界へ身体が慣れるまでは医師としてなるべく外界へ出ていただきたくない。出られるかどうかは私が適宜判断します」
にこやかにカトウが説明を足した。
身体が慣れる…?まばたきを数度すると、
「そちらの世界とは構造が違う部分が数カ所ありまして。大きくは、」
ぱちりとキサラギが指を鳴らすと指先に火が灯った。
「このように魔術があります。これもおいおい。以前来た落人の記録によると、高い山に登ったときに体を慣らすのと同じようなものということです」
手で煽ぐと火は消えた。詩音は目を丸くする。正直理解が追いつかない。
「あと、いちばん重要なことですが、毎晩魔石の確認と調整が必要になります」
気づいたらキサラギが目の前にいた。手が伸びてくるのに首をすくめる。そのまま首の後ろに手がまわり、知らない間にかかっていた細いチェーンをたどって首元からなにか引き出した。
半透明の石がぎりぎり見える範囲にチェーンの先で揺れているのが見える。
「こちら、私の魔素が入っておりますので、着用した状態で毎晩見せてください。魔素を補充します。今日分は先程補充しましたが、明日の晩から見せていただきます」
指を離すと石が鎖骨の上で踊った。キサラギの手の熱さと体温が遠ざかるのに、知らずに入っていた体の力が抜けた。