魔状との出会い
開拓場までの道をユウラさんと歩きつつ、初めての土地が珍しくてつい視線を忙しなく動かしてしまう。
気づいたユウラさんがほほえましそうに含み笑いした後、村の説明をしてくれる。
「周りは畑ばかりですよ。やはり小麦は育てやすく、税としても徴収されますし、主食なのでこればっかりになりますね」
来た道側にはなかったが、反対側には青々と広がる畑があった。
税はやはり存在するのか。おそらく地代としてなのだろう。インプットされた一般常識では貨幣も流通しているはずだったが、村を見ているとなんとなく、まだ貨幣経済という雰囲気は感じない。
しかしそれも仕方ない。転換期であれば都市から離れた場所ほど貨幣の普及が遅いのは至極当然であるし何より貨幣に価値を感じ難い。衣食住のどれかが容易く欠けるであろうこの世界で、空腹時に必要なものは一枚の銀貨より一袋の小麦粉だ。まだまだ自給自足が根強いことが村の景色からも伺える。
そして徴収という言葉。明治時代レベルと聞いていたが、やはり色々と差異がありそうだ。少なくとも、徴収する側、領主のような存在がいるわけだ。
最後に、主食は小麦であるということ。欧州っぽいのでうすうす感じていたが、米ではないのか。ということはパン食ということか。そもそもパンという言葉があるのか。
「小麦はここらではどのようにして食べますか?」
この聞き方ならばそれほど違和感はあるまい。いや、ここまでどうやって来たのと思われそうだ。……うん。やはり不思議そうな顔をさせてしまった。まぁ不審な顔でないだけよかった。
「そうですね。パンにして食べることも多いですが、小麦粉を水で溶いて野菜と混ぜて焼いて食べたりと色々ありますよ」
お好み焼きみたいなものだな。粉ものは好物なのでありがたい。そしてパンもあると。前世との言葉の互換性の高さはいちいち気にしないことにしよう。
「やはり遠くから来られたのですね。こちらの国の方でもなさそうです」
「……そうですね」
「いえ、詮索する気はないのです。ただ、こちらの生活に馴染むまでは気になること、わからないことは何でも聞いてください、と言おうとしただけで。うちの主人も助力するとは思いますが、今は忙しい時期なので」
そういうと元気づけるように笑ってくれた。女神かな。
「ありがとうございます。見当違いの質問もするかもしれませんが、何もわからないのでとても心強いです」
「ふふ、いつでもどうぞ」
広い畑を通り過ぎると黒く陰った森が随分と近くなってきた。
そしてそこかしこで引っこ抜いた木の根を斧で少しずつ割る人たち、割った木をそりのような道具に積んでいる人たちなど、森の開拓作業に従事している村人たちが目につき始めた。
しかしこれは大変そうだ。牛などの家畜を使って根を抜き、森を切り開いているのだろう。現代日本で育った身の上からすると、失礼ながら社会の授業で習ったような原始的な開墾作業である。しばし目を奪われつつも、俺とユウラさんは一際開けた開拓場に足を踏み入れた。
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人生は何が起こるかわからない。
突然の不幸に見舞われもすれば、降って湧いた奇跡に泣くこともある。
後悔も安堵も先には立たず、すれ違って振り向いてやっと判る。それは俺の人生が証明している。
ただ今回に限って言えば、とりわけ大きなY字路に立った時点で気づくことができた。ここが俺の二度目の人生の大きな転機だと。
まあ有り体に言えば、マーリンさんとの、そして『魔状』との出会いは、それほど衝撃だったってことだ。
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「あら、今日はマーリンさんもいますね」
ユウラさんが独りごちた。
誰だろう、という疑問が顔に出ていたらしい。ユウラさんが笑んだまま続ける。
「ヨウさんの故郷ではどうかわかりませんが、ここらでは都市ではなく村にいてくださることが本当に珍しいですから。ハイシェット村が近辺の村よりも富んでいる一因である方ですね」
誇らしげに言いつつ、森の一方向を上品に指し示す。
その先には白髪の大柄な老人が立っていた。ゆったりとしたシルエットの白シャツを着ているため体型はわかりにくかったが、彼にはどこか鋭利な雰囲気が漂っている。周囲は彼の邪魔をしないようになのか、一定の距離を空けて見守っていた。
老人が目を閉じる 。
「……っ!」
ぞわり。
と、唐突に恐怖が首筋を撫でた。首の裏から始まった悪寒はそこで止まず、肩を伝って上腕にまで伝播する。
俺はわけもわからないまま、「何かある。何かが起こる」という言葉だけが脳を埋め尽くし、無意識に全身を強張らせた。
視線の先。目をつぶっていたはずのマーリンが顔を上げ、視線がこちらを向いた。
確かに目が合った。しかし、次の瞬きの間にはすでに前を向いており、瞼は再び閉じられていた。
それから五秒ほど経っただろうか。ふいにマーリンは、ゆるりとした動作で前方に手を向ける。手のひらの先には直径三メートルはありそうな巨大な切り株。根が深すぎて、まだ完全に抜けきっていない状態だった。
一拍。
白髪の老人は目を開き、開いていた手をつかむように握りこんだ。
「巨兵の掌」
―めしり、と万力で圧し潰したような圧砕音が開拓場に響く。
その直後、轟音が十とも百ともわからぬほど重なって木霊し、大気と鼓膜を震わせた。
飛び散る木くずを防ぐため思わず目を閉じる。
そして恐る恐る瞼を開くと、木片けぶる景色の先には、拳で握りつぶされたような木の根が外見をとどめない状態で横たわっていた。
「……嘘だろ」
思わず漏れたつぶやきをユウラさんが拾う。
「驚かれましたか? あれが魔状の力です」
「マジョウ?」
魔法ではなかったのか?
「他のお国では呼び方が違うかもしれませんが、ここエスハーティではそう呼びます。個にして全、遍く魔子を通して物体に干渉する。持たざる私には理解し得ない、超常の力です」
ユウラさんの説明を呆けた面して聞いていた俺は、衝撃の発端である白老が遠くから見つめていることに気が付かなかった。




