才能の残滓
馬車から地上に降りた瞬間、馬頭が俺に照準を合わせたことは肌で理解した。
荒ぶってこの場から逃げ出したそうな馬を落ち着かせながら、ハルヒが慎重に馬車を移動させる。その間、馬と俺はピンと張りつめた一本の糸で繋がっていた。
ぐるる、と嘶いた馬頭が前傾姿勢をとる。縮こまったような体勢はそれでも巨大で、むしろ力が凝縮されたような圧迫感があった。
―来い。
チキリ、と剣先を背後に回して迎撃態勢を取ったと同時に。
敵も滾った黄色い眼の照準を合わせて突進してきた。
(突進か?)
ならば躱しながら斬る。
全身に『巡』を行き渡らせて迎え撃とうとする。しかし、馬頭は突進の推進力のまま大きく右腕を振りかぶる。
殴打と判断した俺は、構えは変えずに馬頭の右腕とは反対側に位置を移動する。2メートル以上ある魔獣からの一発は重そうだが、避ける自信はあった。
しかしここで再度俺の予想は裏切られる。
「!」
飛び込んできた勢いそのままに、二足歩行の馬は一瞬視界から消えた。
(飛んだ!)
自身の身長の何倍も高く跳ねた馬頭は振りかぶったままの右腕を自重の重力を味方に付けて思い切り叩きつけた。
「うぃっ! ヨウくん!?」
轟音とともに砂埃が舞い、地面が揺れ岩肌から小石が転がり落ちる。
思わずハルヒが声を上げた数瞬後、薄い砂埃の中で獣の咆哮が木霊した。
「え!?」
風にさらわれた砂埃の中で見えたのは、腕から鮮血が噴き出す馬頭と、その斜め背後に立つ男の背中だった。
――
苛立ったような馬頭は筋肥大の著しい脚を屈ませて、後ろに回り込んでいたヨウを視界に収めると反転するように跳躍した。巨体が水平に跳ねて一瞬でヨウとの距離を詰める。そのまま掴みかかった左腕の五指はしかし、すんでのところで空を掻く。勢い余ってつんのめった馬頭が目標物を見失った一瞬の後、今度は左の二の腕に貫くような激痛が走った。
思わず喉から声が漏れる。見れば鋼のような自身の二頭筋に刃物が差し込まれており、瞬時に引き抜かれた先から血が溢れ出していた。
「固ぇ。抜くのも一苦労だな」
通じない言葉を聞きながら、馬頭は混乱した。
この渓谷に来た理由は特になかった。強いて言えば遠目から視えたこの馬車が妙に気になったからである。しかし上からその馬車と御者台に乗った人間を見た時すぐに襲うことを決めた。理由はない。無いはずだった。
しかしそれは間違いだったことを悟る。
再び真正面から敵を睨んだ。
「グウゥ……!」
目の前の男。自分と同じ二足歩行の動物。人間と呼ばれる種族。
こいつを殺すためだ。一目見た時からの衝動はこれだ。
殺す必要があるのだ。そのために俺は呼ばれた。
しかし。―迅い。
恐ろしく速い。捕らえたと思った瞬間見失う。ギリギリで躱され、すれ違いざまに刃で撫でられるといつのまにか体が傷つき鮮血が舞う。
今までも人間達から何度かまともに喰らったこともある。しかしこれほど容易く傷つけられたことなど無かった。
鼻から息を吐き、自身の中の魔素を循環させる。傷つけられ貫かれた筋繊維が収縮し、流血が止まる。
もう油断はしない。
全てをさらけ出し、全霊で叩き潰す。
全身が熱くなり、細胞が白熱する。
初めての状態変化にも馬頭は戸惑う事無く、身体全体から溢れ出るエネルギーを視線の先の人間にぶつけるために、ゆっくりと再び体を屈めた。
――
「赤銅……!?」
ハルヒはその展開の速さに驚く。
たった二合。二合だけのぶつかり合いで『赤銅』が発生するとは。
「ヨウくん! ……~~気を付けて!」
それくらいしか言えなかった。間違いなくヨウも気付いている。
『赤銅』状態は極度の興奮状態に陥った物理攻撃系で中位以上の魔獣が、稀に発生する状態変化である。
拮抗した戦いの終盤戦などに発生すると聞いたことがある。筋肉が膨張して熱を帯び、黒い身体が鉄が灼けたような赤銅色になったことが由来であるが、変化するのは見た目だけではない。
色が変わるほど筋膨張した魔獣は速度・膂力が著しく上昇する。
魔獣対人で『赤銅』状態を発生させたならば、それは力と力が拮抗した証であり誉であるが。発生した後に勝てる可能性は当然ガクンと下がる。
ネガティブな言葉が頭を駆け巡った直後、馬頭が疾駆した。
大柄で筋肉質な肉体が一瞬のうちに搔き消える。
と思えばヨウが大きく真横に飛んで受け身を取っていた。赤黒の肉体弾丸を辛うじて躱したことに遅れて気付く。
なんという速度。しかし馬頭は止まらない。岩肌を利用して跳弾するように向きを変えると再びヨウへ突きかかる。空気の壁を無理矢理押し破るような音を響かせて振り抜かれた拳。それをヨウは下半身を動かさずに上半身だけで避けた。同じく足を止めた馬頭が間髪入れず左腕を振り切る。一瞬前に頭の合った場所を黒い丸太が風を巻いて振り抜かれる。
知らず血が滲む程手綱を握りしめたハルヒは、恐ろしくて目が離せない。かすっただけで命が終わりそうな光景が彼女を腹の底から震え上がらせた。
一撃目とは打って変わって開拓者一人と魔獣一体は狭い空間で戦い続けていた。傍目から見れば防戦一方。止むことの無い暴風のような連続攻撃にヨウは避けることが精いっぱいに見える。しかしこれは。
「聞いてたのと一緒……!」
従兄が語ってくれた、ベニメリヌと戦った際の彼の様子と同じなのだ。「あいつはすべてを躱せるんじゃないか、と思ったよ」と言った男はどこか誇らしげだった。
昔だったら他人をそんなふうに褒めることなど無かった彼が。
しかし躱せても『赤銅』状態となった馬頭の肉体を切り裂くことができるのか。ましてや致命傷など与えることができるのか。そもそも馬頭だ。淡墨だ。淡墨の『赤銅』なのだ。
せめてもう一人いれば。
しかし突然救世主が現れるのは神話と劇の中でだけであり、そして私は登場人物にはなり得ないただの行商で傍観者であった。
ハルヒは何もできずただ手綱を握りしめたまま戦局を見つめていた。
――
(だんだんわかってきた)
何がか。
『遍』の使い方だ。簡単に斬れるからといっても、力が不要という訳ではない。身体能力を上げつつも剣への魔素供給は怠らず、身体も剣も全てが均等である方が斬りやすい。
(これ得意かも)
全身にも剣にも均等に流す。難しいようでいてやってみると意外とできる。むしろ、斬る瞬間に剣に魔素を注いだり、避けるたびに身体能力を引き上げる方が忙しなくて集中力を欠く。それよりは動的平均を維持するように全ての魔素量を均すほうがヨウとしては遥かにストレスが無かったのだった。
躱すために身体能力を上げる必要性がそもそも無かった、というヨウの反射神経ありきの話であったが。
馬頭の前蹴りがヨウの正面を狙う。これは避けれない。バックステップで自分から後ろに飛ぶことで衝撃を和らげる。空中でムーンサルトするように宙がえりしながら体をひねり片足で簡単に着地する。一瞬でゼロ距離まで詰めんとする馬頭の突進を着いたままの片足に力を込めてそのまま跳躍することで飛び越えて躱す。
だが馬頭もそろそろ躱され慣れてきたのか、手応えの無い拳に苛立つことも無く背後に降り立とうとしたヨウをコンマ秒で振り返った。それよりも早く今度はヨウが着地の瞬間刺突を繰り出す。馬頭は赤く灼けた鋼鉄のような腕をクロスし致命傷を回避した。
二撃目を見舞おうとしたが、馬頭は憎らしいほどの俊敏さで後ろに跳ねて距離を取る。
馬頭も少しずつヨウの身体に触れ始めてきたが、完全に一発を入れるのは先が長いと感じていた。そしてヨウも、強靭で分厚い肉体といくら失血しようと動きの変わらないこの魔獣に対して決め手を欠いていると感じ始めていた。
「ふー……」
そこでヨウは深い息を吐き、馬頭へ向かって半身の態勢を取る。剣は敵から隠すように逆袈裟を振れる位置に持ってきた。
「……」
馬頭も何かを悟ったのか。一度大きく鼻から息を吐くとまるでクラウチングスタートのような構えを取る。
「ははっ」
思わずヨウの口から笑いが漏れる。お互い思うところは一緒だった。魔獣の表情など読めないが、もしかしたら馬頭も嗤っているのではなかろうか。
先ほどの激戦とは一転して、渓谷が鳴らす風の音が聞こえるほどの静寂。
「―ヴァッ!!」
その静寂を破砕する声で鳴いたのは馬頭。と同時に足元の地面が弾け飛び一個の弾丸が射出された。ただ相手を吹き飛ばすためだけしか頭にない程の特攻。ヨウがそう思った瞬間、馬頭は両手を広げた。
ひらひらと躱す敵を逃さないためのラリアット。顔面を斬られようと必ず身体を衝突させて相手を潰し殺す肉を切らせて骨を断つ攻撃だった。
逃げる場所はない。しかし馬頭の視界に迫る男は動いていない。
逃げないのか。ならば弾けろ!
―その思考が魔獣の最後だった。
馬頭の眼前からまたしても男が消えた後、突然視界が光で弾け反転する。身体と思考が分離し、次に迫ってきたのは地面だった。
赤土と激突した頭部がごろりと空を向いた時、既に馬頭の身体から思考能力は消え去り、切り離された首以下は尚も二歩三歩と歩を進めたものの最後は崩れ落ちた。
故に、命が絶たれる寸前に見た雷光のような光がなんであったのか、馬頭が知る術はなかった。




